島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

野口英世

2010-10-21 | 
    
 子供の頃から、偉人伝として読んだり、映画も見たような気がする
     野口英世
 もしかして潜在意識の中で、私が医者になる背中を押してくれたかもしれませんが、その頃知っていたのは、博士の子供の頃の話だけでした。
 しかも、台座にある博士の座右の銘「忍耐」は、私の辞書にはない言葉です。
   会津若松の街中にあった銅像は、何故かTSUTAYAに見下ろされていました。
      
 会津に行ったからには、猪苗代湖のほとり、野口英世博士生家にも行かなくては。
 生前から有名になったので、色々残っているのですね。
1歳半の時に転がり落ちて、左手に大火傷を負った有名ないろりもちゃんと有りました。
 貧乏なはずですが、結構大きな生家です。
    
 会津若松市内にある「会津壱番館」という喫茶店、昔風の喫茶店でコーヒーも美味しい。
都会ではチェーンのコーヒー店ばかりになる今、地方の方がゆっくりする喫茶店が多いいかもしれません。
      
 この喫茶店は野口英世が火傷で動かなくなった左手を、同級生達の募金のお金で手術してもらった、渡辺鼎の開業医院「会陽医院」の跡だそうです。
 コーヒーを飲んだ後、その2階の記念館(有料)で博士が座った隅の椅子にも座ってきました。
       この真下の椅子
     
 子供の頃少しは憧れた偉人の地元で、誇張しすぎのような偉大な足跡を見学するのは楽しかったですが、
母ばかり偉いと書かれていて「父親の影が薄いなあ」と子供心に感じたことや、借金上手の面やその金で放蕩もした面を大人になって知ったあとの方が、小さな日本人として誰もいない異国で、異国人と結婚して、「よく頑張った」と、思えました。 

   返事
花水木さん:私も、日が暮れるまで子供達と遊んでいるより、
     夜が明けるまで熟女と遊んでいる方が好きですが・・・・・。
喜珍さん:ありがとうございます。京都の娘がビデオ撮ってくれる事になっています。
     私も今朝、待合室のTVでチラッと「瞳を閉じて」を歌うEさんを見ました。
      それだけで、私は少し涙目になっていました。
福山市さん:花水木さんともいくら続いても、あと20年ぐらいだと思います。
     また、明石・高砂球場で奈留高校を応援できたら幸いです。
       泊ってもらえるぐらいの近さでしょう。
コメント (3)
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