静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

☆ 2015.04.27   ≪ 戦争と戦後の総括は 言葉よりも具体策で 総括は屈辱ではない! ≫  

2015-04-27 08:55:39 | トーク・ネットTalk Net
  ☆  風知草:過去の克服=山田孝男  http://mainichi.jp/shimen/news/20150427ddm002070111000c.html
 ・ <日本とドイツの戦争は違う。戦後も違う。単純に比べるなと外務省ホームページに書いてある。ならば注意深く比べよう>。此の掴みが気に入った。
 ・ 日本が犯した戦時国際法違反の残虐行為は<歴史家の通説に従えばホロコーストではない。にもかかわらず、中国などが日本の蛮行をホロコーストと同列に
   置き、「ドイツの戦後対応は誠実、日本は不実」と単純化する政治の現実がある>。<それでも日独比較は不可避である−−と、石田勇治東京大大学院教授(57)=ドイツ近現代史専攻=が言っている(17日、日本記者クラブで会見)>。 以下、長くなるが重要なので引用したい。
《(1)単純な日独比較も問題だが、単純過ぎる日独異質論も問題である》 つまり、日独の戦争には似た側面がある。
    日中戦争下、華北で村落を焼き払った日本軍の大規模な掃討作戦は、独ソ戦でヒトラーが命じた「絶滅戦争」に通じる。ドイツ占領下で強制労働に駆り立て
    られたポーランドやソ連の人々と、日本で似た境遇にあった中国人、朝鮮人の経験も相通じている。
《(2)なるほど、ドイツの償いへの世評は高いが、そうなったのは、わりあい最近のことである》 00年、シュレーダー政権下で、政府と企業が「強制労働補償
    基金」を設立、167万人に支払いを始めたところが節目になった。ベルリン中心部にホロコースト警鐘モニュメントをつくるなど、戦争記憶の継承事業が
    実を結んだのも21世紀になってからだ。
《(3)ドイツにも混乱と苦悩があった。今もある。時代の社会的要請と国際圧力にさらされ、あえて言えば場当たり的にやってきたことが、どうにか整理されて
    きた現状である》 強制労働補償基金設立の背景には米国での集団訴訟があった。ドイツの米国系企業に徴用された被害者たちが原告だった。
    ドイツをまとめたものは指導者の決断だ。その土台に、ユダヤ人や旧敵との和解を探り続けた民間の努力の蓄積があった。
 ← そう、最も大事なポイントは、此の最後の文章だ。政府は、石田教授が行った調査や分析/内外への説明を自らが行うべきなのである。 今の与党政治家に、いや民主党など野党政治家にも、そのような気概と謙虚さは有るか?   残念だが、私には有りそうに見えない。

 それに気づくだけでも日独比較の意味はある。戦後70年。日本の首相の発信が注目されて当然だが、片言隻句で時代が動くわけではない。
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