静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

東条英機のひ孫 (# 2)

2014-06-04 10:23:43 | トーク・ネットTalk Net
第2回目の惹きは「語るなかれの家訓」だ。

 ここで<語るなかれ>が示唆するのは、戦犯/処刑/極東軍事裁判など東条英機の処遇にかかわること一切に触れず、己の意見を表明せず、であろう。だから、英樹の長男の娘にあたる人が<1990年代から大東亜戦争は自存自衛の戦いだった>とか<東条の旧姓を名乗り東京裁判・南京事件・従軍慰安婦問題などを次々に否定する論客となった>のを、<他の子孫は苦々しく見ていたという>わけだ。

 だが、私は<語るなかれ>を恭順の意を顕わしているだとか、後世の歴史の審判に委ねているためだと単純に理解すべきではないと思う。何故なら、この日本の風土は、議論を突き詰めるのをなんとなく回避し、時の流れに溶け込ませて自分個人のスタンス表明は留保しつつ大勢をじっと様子見する、それが賢いことだと教える伝統が続く社会なので、東条家一族に生まれ育った・係わり合いをもってしまった人々が半ば苦肉の策として身につけた処世訓であろうからである。

 この処世訓は、英利氏がA級戦犯分祀についての考えを聞かれ「氏子が皆でそうしたらいいと思うならしたらいいでしょう。私個人がどうすべきだ、してはならないと主張する問題ではないと思っています。」と、まるで多数決に従うと答えているかのごとき言葉そのものに現れており、処刑遺族の一人として靖国に祭られることの人間個人としての是非判断を問われているのにもかかわらず、意思表示を迂回しているわけだ。意思表示だけでなく思考も停止しているのかどうかは定かでない。

 「私は感情の保守には否定的なんですよ。理知的な保守でありたいと思っています」という言葉の意味すること全体が何なのか、記事からは不明だ。前日の記事にあった<グローバリズムの源泉としての神道・神社>を含む言説のことなのか、わからない。

 自分が東条姓でなくても社会に発信する活動をしていたか、と問われ「・・・してなかったでしょうね」と英利氏が答えている。子は親を選べない、親族も選べない。氏が黙り続けるのではなく国際教養振興協会なる団体活動を選んだのは、東条家に連なる身に生まれたことに苦しんだすえの反転攻勢であろうか。そう想像するとつらいが、曽祖父が靖国から分祀されたら彼の苦しみも消えないものだろうか?とふと思ってみた。
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