自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

めぐみ手帳(光文社)~横田滋さん、横田早紀江さん

2008-11-17 | 
1977年11月15日、横田めぐみさんはこつぜんとご両親の前から姿を消しました。13歳、まだ中学1年の少女でした。

その前日、11月14日は父親さんの45歳の誕生日でした。

ごく普通の家族が、そのあと31年間、運命にもてあそばれることになりました。しかも、解決まであと何年かかるのか誰もわかりません。

昨日の新聞に、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて、31年となった15日、拉致されたとき暮らしていた新潟市で集会が開かれたという記事が載りました。母親早紀江さんは「政府にもっと怒っていただきたい」と訴えたそうです。

めぐみさんと北朝鮮の招待所で暮らしたことのある曾我ひとみさんは「もみじ」小さな声でいっしょに歌った思い出を集会で語っています。

同じ紙面に鹿児島県鹿屋市の市川トミさんが、くも膜下出血で亡くなった死亡記事が載っています。91歳でした。

息子の市川修一さんも北朝鮮に拉致された方です。30年間、首を長くして待っていたでしょうに、生きている間の再会はかないませんでした。


このめぐみ手帳は2003年2月10日からの日々のスケジュールとその時どきの情勢・思いを併記した本です。

拉致被害者を待つご家族は、ご高齢の方が多くなっています。

一体全体、この31年間、北朝鮮で生活していたと分かってからでも11年間、日本の首相は何人代わったのでしょう。

こんなエピソードが書かれていました。
2005年6月、首相官邸前で、家族会・救う会の方々が座り込みをした時、さりげなく車を寄せ、飲み物を差し入れていった人たちがいて、あとでナンバーを調べたら、米国大使館の車だと分かったそうです。

引きかえ官邸側からはなんの反応もなかったとか。

現在の首相^^は、いつもブルーリボンバッヂをつけています。その気持ちを行動に表しましょうよ。

めぐみさん、今、日本は「もみじ」がきれいです。





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