自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

男道(幻冬舎)~清原和博さん

2009-08-11 | 

誰でもが認める華やかな野球人生を送ったにもかかわらず、誰もが、彼の野球人生を順風満帆だったとは思えなかった。



そんな 清原さんの野球にかかわってきた人生の記録です。
奥付前の巻末には企画者や構成者、編集者たちの名前が記載されています。チームで作られた本なんでしょう。
でも、清原さん自身が実際に文章を書かなかったとしても、深くこの本作りに参加したに違いない、心の内や具体的な記録タップリの内容です。

5章に分かれていて、それぞれのタイトルが地名。
そこで何が起こったかが書かれています。

第1章 岸和田
リトルリーグ時代、ピッチャーで4番の清原さんがいます。

第2章 富田林
PL学園時代、甲子園に春・夏5回も出場しました。
もうこんな学校は出てこないでしょう。驚異的な強さです。

第3章 所沢
巨人から指名されないなど、夢にも思わなかった18歳のドラフトです。
早稲田大学進学を表明して、野球部に退部届けを出していない桑田を、巨人が1位指名しました。
裏取引があったとしか思えません。・・・というのは私の感想で、清原さんはじっと耐えていました。
立派なご両親のアドバイスもありました。
清原さんは西武に入団、黄金時代を築きました。
日本シリーズで巨人と対戦した清原さんが優勝前に泣き出した姿は今でも覚えています。

第4章 東京
巨人に移籍しました。
しかし、放り出されるような形で、巨人から去ります。
入団の時も、退団の時も、巨人のフロントの対応は紳士的ではありません。
それでも、清原さんの文章からは、恨みがましさなんてまったく 感じません。
紳士^^です。

第5章 大阪
仰木監督からの強い誘いで、オリックスに移籍します。
でも開幕時に監督はもういませんでした。亡くなったからです。
私が神戸のスカイマークスタジアムで清原さんをよく見た時代です。
DHか代打^^。
まだ試合中だというのに、スタンド奥でベースボールカードを配ってたりしました。
その時撮ったツーショットはおばさん(私ね)の宝です。
マスコミが作り上げた悪太郎のイメージはまったく払拭されました。


私が撮ったヒーローインタビューの写真は2006年8月29日、延長11回裏に清原さんが12本目のさよならホームランを打った日のものです。



この日、通算打点が長嶋さんを超え、21年連続2桁ホームランという記録を作りました。2桁といっても10号では自慢にならないと、ご本人は言っていますが・・・。

今年のWBCの、技術論も精神論もこなす清原さんの解説、実にみごとでした。
次はどんなユニホームを着て、グラウンドに立つんでしょうか?
まず、ひざをしっかり治さないと難しそうですがね。
楽しみに待ってますよ。

この本、老若男女誰でも向き^^です。
私はこの本、図書館で借りたので、カバーをめくれませんでしたが、本屋さんで見た本体の表紙の写真はごつごつした両方の掌なんですよ。


 

コメント
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