狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

戦後の世代として

2018年07月15日 | スピーカーズ・コーナー

昭和23年生まれだから、まさに戦後世代である。

最近は団塊の世代とも言われているが、数値的な団塊よりも戦後世代が良く表現されている。

古い記憶は生々しい戦後であった。父は軍隊の外套を着て職場に行った。

昼飯を薩摩芋で済ませる家庭があった。同級生の家は満州からの引揚者だった。

米軍からの払い下げ兵舎(かまぼこ型)に複数家族と住んでいた。

学校に給食はなく、弁当を持参できない子供は市町村から支給される弁当を職員室で食べていた。学校では「海人草の汁」を飲み回虫駆除をした。野球ではグローブのある児が内野を守り、ない児は外野だった。靴は傷めるのを嫌い、裸足でプレーした。

 

そして東京オリンピックや大阪万博があった。復帰前の沖縄に行ったが、アメリカ世の沖縄で、コザの夜空には銃声が響いていた。ベトナム戦争の激しかった時期で、巨大な爆撃機が嘉手納基地より飛び立っていた。沖縄人民党なんて泥臭い名前の党が「首切り反対」の看板を立てていた。基地労働者の首切り反対で、基地の存在を認めない党が反対しているのだ。

そしてイラクへもサモアへも世界中へ自衛隊が行く世の中になった。他国の軍が来ても進駐軍と呼び変える日本と違い、絶対に受け入れられない。

周辺国には核武装をして威嚇する国が出てきた。その国の民は飢えに苦しんでいるという。

戦後世代として「反戦平和」、絶対の平和を欣求するドン・キホーテである。