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お山にお宮がたちました

四国八十八箇所お遍路 第二十三番札所 薬王寺

第23番札所は厄除けの寺、薬王寺。高知の人は、厄除け詣りによくこちらの日和佐へお詣りに行きます。
私の厄年は日和佐ではなく氏神様で太鼓を叩いてもらいました。

信心深くない人が日和佐行くと、厄を拾ってくることもあるといわれて、厄年の時、日和佐へのお詣りはやめておこうと思ったのでした。
そんな厄除けで有名な日和佐に、厄年でもないこの度、お遍路詣りでお詣りさせていただきました。

御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃(るり)の薬をあたえましませ

厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。

縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。

大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。

以上Wikipedia 薬王寺紹介HPより

こちらが本堂です。



薬師如来様かと思いきや、魚籃観音(ぎょらんかんのん)様という観音様です。

はじめて知る観音様だったのでWikipediaよりこの魚籃観音様を調べてみました。

中国唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの3つの経典を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。

この女性は、法華経を広めるために現れた観音とされ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。

この観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰された。

と紹介されていました。

こちらが大師堂です。
 

 
鎮守堂として、山岳信仰として名高い北陸の、白山神社の御神体である白山大権現をお祀りしています。


南極老人の寿老人様です。天井画を描いてから勝手に親しみを覚えています。またお会いしましたねと喜びます。笑

因みに、ほら優しいでしょ⬇️💖


こちらが薬王寺の大楠です。


初詣や厄年の厄払い祈願で年間100万人が参拝すると云われる薬王寺。肺病に効く霊水があったり、見どころはまだまだ沢山あります!

徳島の23の札所をまわりました。あと一つ残っているのですが、そちらは愛媛から香川に入るところにあるようで、一旦徳島は終わりです。お遍路をしなければ、なかなかお詣りできない素敵な神社も、お遍路をしたから参拝できて幸せです。本当に楽しいです。

お遍路は、自分なんかよりもっと年配の方とか、人生に悩みある方とか、哀しみを背負った方とかがお詣りするものかと思ってました。
こんなに素晴らしいと知らなかったから、偏った考えで、私は神社が好きでお寺は興味ないとか言っていた自分を反省します。

お大師様が、仏教が盛んな時代背景もあり、お寺として人間が手を合わし、神様と繋がれる聖地を作ってくれたんだと思います。そして、空海さん自ら歩き、神様を感得して、観音様や如来様、菩薩様やお不動様としてお祀りするように各地に建てたお寺が四国八十八箇所であり、その場には磐座があったり、御神木があったりと本当に感動がとまらないのです。
自然崇拝では人間が神様を気づけないから、こうしてわかりやすく信仰の場を各地につくってくれたとさえ思い、こうして時代を超えて、容易にお詣りさせて頂ける事に感謝しないといけないとさえ思ってます。

徳島県から高知県にこれから移動です。やっと高知県でのお詣りが始まります。マイスイート故郷、何だか嬉しいです!



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