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お山にお宮がたちました

厳島神社 御神体の弥山登山

仕事がずっと忙しかったこともあり、厳島神社について詳しく調べないままで来てしまいました。

そして、三度目のお詣りにして、厳島神社の御神体が弥山である事を知りました。
弥山に登るルートも何も知らないまま、パンフレット片手に、弥山に登ってみる事にしました。



気楽に考えていたので、登山靴も履かず、スティックも待たず大聖院コースを出発する事にしました。
パンフレットで見た感じが一番近そうだから。。。
あとで、近道ロープーウェイがある事を知り、登るには中級の登山道を選んだことを知りました。
すれ違う人は皆んな、しっかり登山装備でしたから。

初級が紅葉谷コースで、中級が大聖院コース、上級が大元コースだとか。。
途中ですれ違った可愛い登山女子に教えてもらいました。



まず、こちらの粟島神社で少彦名神にご挨拶です。


此処から、およそ2時間の登山が始まります。


けれど、大聖院コースは登山道としてはとても良く整備されていて、歩き易い道でした。



自然の織りなす(植物と巨岩)景色がとても素晴らしかったです。
こちらに白糸の滝がありました。



山に登ろうと思って来たわけではなかったので、もうすぐ山頂かなと白糸の滝の辺りで思い、
あとどれくらいですか?と下山している方に尋ねると
此処で四分の一だと言われました。
もう笑うしか無かったです。
格好を見て、ロープーウェイで行った方が良いかもしれませんよと。。
そうですよね。





こちらが賽の河原です。
賽の河原は、親に先立って亡くなった子どもが、河原の小石を積んで塔を作ろうとしても、地獄の鬼がそれを壊してしまい、親不孝のために報われぬ苦行を強いられているところに、地蔵菩薩が現れて救済するという地蔵信仰に結びつく説話です。

確かに沢山のお地蔵さんがありましたね。



宮島には女人は入山禁止、島内では出産禁止等女性蔑視の歴史があったようです。
江戸時代広島藩は、1625年に倹約令が出て、市内の遊郭を宮島に移設しました。
それから明治維新まで宮島は全国的に有名な「風俗島」となります。



本川から番船に乗って男達が神の島に遊びに来たのです。男達の都合で、夫婦でお参りできない厳島にしてしまったようです。
厳島大明神嫉妬説を作って。。
町家通りに残る古家には、女性の悲しい歴史が刻まれています。

「年切り奉公」に出され、病に倒れた女性達が、この世の地獄から逃れ、この世で成仏出来るよう、弥山への参道整備に「遊女の石畳」として残る寄進をしています。
その歓楽街の遊女が設置したというのがこの石畳のようです。



時代は流れ、女性の地位は明らかに向上しました。男性の欲望を満たすため、金銭で女性を買うようなことは無くなればいいと思います。
女性の身体は聖なる宮ですから。。



こちらの「仁王門」で大元コースと合流します。こちらで、若い登山女子にあい、この先のルートを聞いて確認しました。
今時のメイクをしている子でしたが、話してみると素朴で可愛くて、自分が20代の頃に信仰心とか無かったから、日本の未来も明るい、大丈夫と思いました。
合流後、三女神が祀られている奥宮へ向かいます。こちらの仁王門を抜けて目指します。



この仁王門を抜けると、不思議とエネルギーが湧き出てきて、足取りが軽くなり、心が弾みはじめました。
空間がキラキラし始め、何となく気が変わったのがわかりました。

続く

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