走れ!優柔不断児

優柔不断なオヤジの戯言。

平々凡々なオヤジが少しだけ頑張るjogやマラニック、日常の出来事について語ります。

長崎街道巡り 原田~桂川の巻

2018年02月20日 19時38分16秒 | ジョギング


2月18日(日)長崎街道の一部である、福岡県の原田~桂川までを歩いて「街道巡り」してきました。
その様子をレポートします。

もともとこの日(18日)はジョグトリップの主催者でもある“あみりん”の企画で「平戸☆トレック」(別名:大変、変態?山路ウォーク)に参加予定でした。しかし“あみりん”の声かけ虚しく、数名の方が「興味あり」としてくれたものの、結局参加希望者は私一人だけでした。
あみりんと(開催するか)どうしようと相談したところ、「谷崎さんに任せます」とのことでした。迷ったのですが、せっかく開催するのであれば賑やかな方がいいと思い、今回はキャンセルさせて頂く旨伝えました。ちょうどこの日は北九州や熊本、沖縄、京都等各地でのマラソン大会と重なったため希望者がいなかったのかもしれません。
また改めて開催して頂くようあみりんにお願いしました。

ということで天気が良い休日何しようと考えていたところ、タエコさんが街道歩きをするので同行者を募っている記事をブログで見かけたのを思い出しました。
タエコさんとはまだ直接お会いしたことがなく、次回(2月25日)のジョグトリップで初めてお会いする予定でしたが、良い機会だしご一緒させて頂いてご挨拶しようと同行希望を申し出しました。
あみりんへ、決して浮気した訳ではありませんのであしからず(笑)
私の職場は香椎駅前でタエコさんのご自宅からも割りと近く、タエコさんのブログを読んでいると親近感を覚えます。
そんなこんなで同行の了解を頂き、18日(日)朝8時にJR原田駅集合となりました。
私ともう一人、先に同行表明されていたF川さん(通称:えびぞうさん)がご一緒していただけます。
原田駅を出発し、桂川駅がゴール地点となるため、車ではなくJRで集合地点の原田駅に向かうこととしました。
と言っても自宅近辺にはJRは通っていません。地図で調べると笹原駅まで環状線沿いにほぼ一直線で約12kmです。笹原駅まで走っていくことにしました。
7時6分の電車に乗ろうと自宅を5時45分に出発し小走りで向かいました。
まだ外は真っ暗ですが天気は良さそうです。放射冷却でかなり冷え込んでいます。
何箇所か信号にかかりながらも予定通り笹原駅へ到着しました。




滅多に乗らないJRに乗り20分ちょっとで原田駅へ到着しました。
駅舎の外に出てみると朝日が反射して眩しいです。




集合時間の8時まで少し時間があったので近くのコンビニに行き、使い捨てカイロとのど飴を調達しました。買い物を終え駅に戻るとF川さん(通称:えびぞうさん)が来れていました。
「おはようございます、本日はよろしくお願いします」ご挨拶し、ここまで来られた手段を伺うと自宅(城南区鳥飼)から走ってこられたとのことです。30km弱あります。
4時半に出てこられたそうで頭が下がります。
しばらく雑談しているとタエコさんがやってきました。
初対面ですがすぐタエコさんと分かりました。トレードマークのまあるい眼鏡。
「おはようございます。谷崎と申します、よろしくお願いします」ご挨拶をするとタエコさんが私たちそれぞれに本日の行程図(地図)をくださいました。
全10ページにわたる詳細な地図で進むべき街道を赤色の線で引いてくれています。
ご丁寧にありがとうございました。
じっとしていると寒いので早速出発することとしました。地図に沿って歩いて行きます。
本日終点の桂川町には私の実家があり両親が暮らしています。年に数回帰省しますが、いつも車で篠栗経由八木山バイパスで向かうので冷水越えは久しぶりです。冷水越えと言っても国道(旧有料道路のバイパス)を車で走ったことしかないので、旧道(街道)を歩いて越えるのは初めての経験です。
そもそも「街道」を歩いたり走ったりすることは、この1年いや半年前から始めたことで以前は全くと言っていいほど通ることもなく、いや興味すらありませんでした。
昨年からジョグトリップに参加し始め、コース途中に「街道」が含まれる大会に参加してきました。最初のうちは意識することもなく、なんとなく「あぁ古い街並みだなぁ」と漠然と通り過ぎていたのですが、最近は立ち止まって歴史を案内してくれる石碑や看板に見入ったり、古い建造物を見るたび当時はどんな生活をしていたのかなぁと思いにふけるようになりました。
普段生活している身近な場所にもこのように歴史を感じさせてくれる風景が残っていることに興味を持ち、少しずつでも歴史を勉強していこうかなと最近感じています。

さて、ずいぶん前置きが長くなりましたが進んで行きます。


原田駅を出発してすぐ街道に入りました。その昔この辺りは「筑前六宿」のひとつである「原田宿」として筑前、筑後、肥前の三国境の宿駅だったそうです。




今日は「筑前六宿」のうち、原田宿、山鹿宿、内野宿を経由し飯塚宿の手前の桂川までを途中冷水峠を越えて向かっていきます。

筑紫神社です。境内に長崎街道の旧街道筋や太宰府参詣道(博多街道)への分岐が残っているそうです。神社脇の街道を進んでいきます。




宝満川を渡ります。向こうに筑豊本線の鉄橋が見えます。昔はこれが「本線」だったのだなぁ。


山鹿のセブンイレブンで小休止。トイレと飲み物を調達しこの先の「山鹿(やまえ)宿」へ向かって進みます。




郡境石が立っていました。「従是 東夜須郡 西御笠郡」と書いてあります。


至る所に街道の看板が立っており案内してくれます。




「山鹿宿」跡地区へやってきました。
宿駅図です。


花壇のお手入れをされていた方が声を掛けて下さいました。「どちらからいらしたのですか、昨年400年祭をやりました。その時のパンフレットがあるので差し上げます」とご丁寧に家の中からパンフレットを持ってきて下さいました。


ここ「山鹿宿」は慶長16年(1611年)に冷水峠の開削工事と共に開設されたそうです。
山鹿は長崎街道だけでなく、福岡・博多~二日市~天山~二夕村を抜けて天領日田、甘木・秋月方面へと向かう日田街道や山鹿から松崎(小郡)・府中(久留米)、筑後・肥後方面へと向かう薩摩街道も通じ、旅人の往来・交通量も多く大いににぎわったそうです。

郡屋跡を見学することができます。
今となっては見ることができない畳ばかりの広い部屋が広がっていました。




郡屋土蔵跡です。




山鹿地区を後にして少しずつ冷水峠へ向かって進んで行きます。


舗装路を離れ山路を進んで行きます。


時折、猪除けの金網との間を人がやっと通れるほどの狭い道を進んで行きます。


一里塚の標識が立っていました。元々は石碑が建っていたのでしょうか。


山路を進んでいくと「首無し地蔵」が祭ってあるお堂に辿りつきました。






首無し地蔵の由来について以下引用です。
昔、悪者がこの峠で旅人を殺害した。悪者はこのことを道ばたのお地蔵様に向かい、誰にも言うなという。
お地蔵様は「ワシは言わぬがわれ言うな」という。悪者は驚いてお地蔵様の首を叩き落として行方をくらました。
その後何年かして二人の旅人がここを通りかかる。谷川の水で喉をうるおし、お地蔵様を拝すると首がないのに一人は驚くが、もう一人の男はあの悪者であった。「ワシは言わぬがわれ言うな」のお地蔵さまの言葉を忘れて、その首のないわけについて、何年前かの自分の仕業を自慢げに白状した。
話を聞いた男は、前にここで殺された旅人の血縁であったので、仇打ちが行われた。
とのことです。なんだかぞーっとします。

古いお堂の隣に新しいお堂が建てられており、その中にお地蔵様が佇んでおられました。

多くの旅人がこの場所で足を休めたと言われ、冷水峠の名の由来はこの川の清流に由来すると言われています。
手を合わせお参りして先へと進みます。

石畳の道がしばらく続きます。


峠を越えて飯塚側へ出ました。
国道に沿うような形で街道が続きます。


しばらく進むと本日3つ目の宿である「内野宿」に差しかかりました。


先程の山鹿宿と同じく冷水峠の開削・開通に伴って宿駅として起宿したそうです。
難所冷水峠を越え、飯塚宿までの宿駅として大名の参勤交代、オランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来などがあり、交通量も多く賑わったそうです。

あちこちに宿屋の後を表す看板が設置しています。




中にはかなり古い白壁の建物も残っていました。


古い町並みを通り抜け、筑豊本線と国道の間を進んで行きます。


まもなく本日のゴール地点である桂川駅の入口まで来ました。


時刻は14時を過ぎています。
お腹がすいたので国道沿いのうどん屋でちょっと遅めの昼食を頂き、桂川駅へと向かいました。




本日の楽しかった街道巡りもここで終了です。
「お疲れ様でした、ありがとうございました」「次回は嬉野から大村方面を巡ってみましょう」「ぜひお願いします」
約25kmの道のりを3人で楽しく歩き終え、電車に乗って帰路へとつきました。


タエコさん、F川(えびぞうさん)本日はどうもありがとうございました。
そうそう、私たち3人とも偶然来週のジョグトリップ「長崎街道 佐世保諫早路」に参加します。ジョグトリップでの再開を楽しみにしてレポートを終了とさせて頂きます。
本日も早朝から家を留守にして好き勝手やらせてくれてありがとうございました。

本日の街道走行(歩行)距離…約25km+自宅から駅との往復17km