ゆみこの『邁歩如猫行』

街で見かけた猫のこと、太極拳・中国武術のこと、日々の雑感を気が向いたときに書き綴ります。

2015-07-31 22:30:29 | 太極拳
橋の構造には色々ある。

桁橋は橋脚の上に橋桁をわたしたもの。上からの荷重を受けると、桁には下方向に引っ張られる力とそれに対抗する力が生まれる。

吊り橋は両端にある支点(アンカレジ)と支柱(塔)の間にメインケーブルがかけられ、メインケーブルからは桁を吊るためのハンガーケーブルがぶら下がっている。桁に荷重がかかるとメインケーブルが引っ張られ、塔には鉛直方向に圧縮力がかかる。

アーチ橋はアーチの上方から荷重がかかると、アーチの両端に鉛直方向と水平方向に力とその反力がかかる構造だそうだ。これらの力によりアーチ本体の部分には圧縮力が生じる。もしアーチ橋の工事が手抜きで、両端のうちの一方の収まりが悪くて上からの荷重がかかった時にずるずると水平方向へ押し広げられてしまったら、橋はもはや橋の体をなさず、崩壊してしまう。

太極拳でよく言われる円襠。股を丸く含ませる形はアーチ橋のようでもある。と言うことは、弓歩になるとき、あるいは虚歩になるとき、両足裏にきちんと鉛直力とその反力、水平力とその反力が感じられなければ、上からの荷重(上半身)に対し円襠が崩れてしまうのかもしれない。またアーチの弧も、細いアーチと広いアーチとではアーチの両端(つまり両足裏)にかかる力が変わってくる。

アーチ橋と自分の脚の状態を重ね合わせながら想像してみると、虚歩から弓歩になるときに、後ろ足の足裏は勁を送りだすため足裏に圧を感じやすいが、勁を受ける側の前足の足裏の感覚は心もとなかったりする。あるいは退歩して虚歩になるとき、勁を送る前足の足裏はしっかり感じられても、勁を受ける後足の足裏は所在無げであったりする。言ってみれば、脚のアーチの一方の端が不安定で内部崩壊しかかったアーチ橋だ。

問題は、本物のアーチ橋と異なり、太極拳では動きの中にアーチ(円襠)があると言うこと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今日学ばずして

2015-07-30 23:40:33 | 詩吟
朱熹の勧学の文

謂う勿れ 今日学ばずして来日有りと
謂う勿れ 今年学ばずして来年有りと
日月逝きぬ 歳我と延びず
嗚呼 老いたり 是誰の愆ぞや

詩吟をかじってみると、これまで全く縁のなかった漢詩の世界を垣間見る機会も巡ってきた。今日学ばずに、明日があるからなどと言ってはいけない。年月は去り、歳は取るばかり。目の前のことを先延ばしにしたり、疎かにしていたら、歳ばかり取って行ってしまう。

怠け癖が顔を出さぬよう、自分にとっくりと言い聞かせたい漢詩である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

心の励み

2015-07-28 20:15:32 | 太極拳
ある日、野球中継の解説を聞いていたら、西武ライオンズの中村選手のスイングの調整方法を話していた。

その解説によると、まず思いっきり力んで振ることから始まるのだそうだ。そこから徐々に余分な力を抜いていき、最終的に我々が野球中継で見るような、力みや無理のない柔らかいスイングに整えていくらしい。無駄な力がない状態がホームランの秘訣なのだろうと思いながら説明を聞いていた。

因みにその時の解説の様子からすると、普通の選手はその逆のプロセスを踏むようだった。

中村選手のように意図して力み→ゆるみの調整過程を進んでいるわけではないのだが、太極拳では多分ほとんどの人がこの過程を辿っている。私もいつも硬さ(=力)を指摘される。

偉大な打者も力みからゆるみと言う調整過程を取っているのだと思えば、私自身もゆるめるという越えがたい難題と日頃から闘いつつも、その先には希望があると大いに励みになる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

詰めの甘さ

2015-07-27 23:58:07 | 日記
嘘をついてもどこか詰めが甘くて、すぐに夫に見破られると、友人がぼやいていた。私には、器用に嘘をつける人や、心の中で思ってもいないことを平然と言える人よりも、嘘をつききることができない私の友人みたいな人の方が絶対に信用できると思うのだけど。

今日も友人は家族に内緒で私と会っていた。事情を知らずに私は友人に土産品を渡したのだが、今夜、友人は家でどんな嘘を試みるのだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

牡丹灯籠

2015-07-26 22:00:05 | 日記
誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたり。自分にとって都合の悪い過去は誰にでもある。過去をすっかり清算したつもりでも、実際にはそれは心の奥底に封印されただけで、消え去ったわけではない。

だから時に都合の悪い過去が頭をよぎったり、突然思い出されたりする。人は結局、過去に怯え、過去に苦しみ、迷うものだ。

歌舞伎座で明日までやっている怪談牡丹灯籠。伴蔵の市川中車とお峰の坂東玉三郎さんの夫婦の掛け合いがあまりに自然で軽妙で、幽霊と取り引きしようとしたり、幽霊に怯える様子は滑稽でもあったのだが、終盤の気が狂った伴蔵を観ているとどこか身につまされるような、重い気持ちにさせられた。

誰にでも不都合な過去はあり、誰でもそれに心が乱されるもの。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加