ゆみこの『邁歩如猫行』

街で見かけた猫のこと、太極拳・中国武術のこと、日々の雑感を気が向いたときに書き綴ります。

時は上から下へ? 下から上へ?

2015-02-28 20:53:20 | 太極拳
足裏が脚、体幹を経て手と繋がるようにと、いわゆる勁道を探すのだが、楊式と制定拳とでは繋げる経路が異なるそうだ。同じ名称の技でも、ある時は左足から右手に繋げ、ある時は右足を右手と繋げる。要はいかようにでも足裏と手が繋げられるようにしなければ楊式にも、制定拳にも、そのほかの太極拳にもなりえないと言うことだ。

繋がりと言えば。

中国語を勉強中の友人から、先週と来週の言い方を聞いた。先週と言う中国語には「上」がつき、来週と言う中国語には「下」がつくそうだ。単純に日本語の「上」と「下」の意味から想像すると、中国語では「未来は過去の下に創られる」「時間は上から下へ進む」ということか。私は大した根拠もなく、友人に言われるまでは、過去は未来の土台だから時間は下から上へと進む(つまり先週が下で、来週が上)と言うイメージを持っていた。連綿と繋がる時間の進み方の概念が中国語と私とではひょっとして異なるのかと、友人の話に興味を掻き立てられた。でもそう言われて手元のカレンダーを見ると、確かに先週は来週より上の段にあり、来週は先週より下の段にある。

時間が上から下へと流れようとも、下から上へと流れようとも、重要なのは連綿と不断に繋がり流れ続けることだ。勁道もいかなる状況になろうとも、しっかり繋げられるようになれますように。
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波うろこ

2015-02-27 20:53:05 | 日記
友だちが厄除けにとくれた印傳屋の小銭入れ。



三角がたくさん並んだ波うろこの模様は厄除けの意味があるそうだ。運気の流れを良い方に変えてくれることを期待して。
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肩も自動詞的に

2015-02-27 00:12:32 | 太極拳
胯がゆるむと肩もゆるむ。重心移動のときでも、胯がきちんとゆるんでいたら、肩は自然に下がる。肩も自動詞的にゆるまるもののようだ。

海底針から閃通臂のときには構えるときの右肩が上がり、定式で架掌したときにも右肩が上がりがちになる。それも左胯から右胯に、また右胯から左胯にきちんと繋げられたら右肩は上がることなく自然に収まる。

先生に久しぶりに誉めてもらったばかり。それがまぐれに終わらないように。
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2015-02-26 01:00:29 | 太極拳
漢和辞典によると、函は「象形文字で、矢袋に矢が入れてある様子をかたどり、ふくむ、はこの意味」。両肩と両胯が上下で合って、含胸したら文字通り身体は四角い形になり函のような奥行きができる。

実際は胸だけではなく、脚も腹も函のイメージだそうだ。

函に草冠をつけたら蓮の蕾を指し、因みに美人と言う意味もある。また、さんずいをつけたら水を含んで潤うと言う意味になる。

身体が函になったとき、その空間は矢で満たされるのか、水で潤うのか、美しい花びらが開花の瞬間を待っているのか。

明日からの自主練習の検討課題は函。
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魔法の鏡

2015-02-24 21:19:32 | 太極拳
背中は死角だが、鏡を向かい合せに並べればリアルタイムで後姿が見える。今思えば前から機会はあったのに、周囲に遠慮していた。動画でチェックするのとは違い、おかしいところを今すぐに直せるメリットは何にも代えがたい。

普段は見えない自分の背面。つむじに寝ぐせがついているのも明瞭に見える。しかも後ろから見ると自分の尻が思ったよりも大きいことも分かる。腰や背中が捩れているのも一目瞭然だ。姿勢がおかしい時、これまで色々なアプローチで改良を試みていた。腰の開きが遅い、もしくは肩の開きが速くて胯と肩が合わず背中が捩れているとき、腰の動きを大きくしようとしたり、逆に肩が行き過ぎないように抑えたりするのも一つ。放鬆して腰や肩がしかるべき位置に落ち着くまで身体の自然な動きに任せるのも一つ。

講習会で先生たちが背後に回って私たちの動きを観察する意味も良く分かった。
鏡はありのままの姿を映す。
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