ゆみこの『邁歩如猫行』

街で見かけた猫のこと、太極拳・中国武術のこと、日々の雑感を気が向いたときに書き綴ります。

暮れの築地市場と、原子の平均的ふるまいの相似性

2013-12-31 00:17:53 | 東京
暮れの築地市場は人でごった返していた。目当ての甘海老(ロシア産)を入手し、そそくさと家に帰ってきた。去年は買い物中に雨が降り出し、人ごみの中で傘をささなければならなかった。すれ違う人や前後左右の人と傘がぶつかり合い、時には店の軒先から雨が滝のように流れたり。それを思えば、今年の買い物は楽だったと言わざるを得ない。

人は単体で見ると個性豊かに見えるが、群となると均一化する。築地市場の人込みをかき分けながらそんなことを思っていた。そこで思い出したのが生物学者の福岡伸一教授の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)。この本の中で福岡先生は、原子は小さいのに、人は何故大きいのかと言う問いに対する答えを示していた。「すべての秩序ある現象は、膨大な数の原子が、一緒になって行動する場合にはじめて、その「平均」的なふるまとして顕在化する」のだそうだ。これを読んで、各原子にはそれぞれ固有の特質や傾向があるが、それが顕在化するのは原子が群として動く場合。人間社会と似ていなくもない気がする。

ただしこんな場合でも、ある一時点を切り取って個々の原子のふるまいを見ると、中には例外的な動きをするものもあるとのこと。例外が発生する割合は統計学的なアプローチから平方根の法則で説明できるそうだ。例外の発生する割合は母数の平方根を母数で割り、それに100をかけて表される。そして母数が大きくなればなるほど、例外の発生率は低くなる。例えば4の平方根は2。だから例外の発生率は50%。でも母数が100になれば例外の発生率は10%。人が多くの原子からできているのは、人を構成する原子の例外的ふるまいによる誤差の影響を最小化できるからだそうだ。人の体は神秘だ。

さて築地市場の人込みに戻る。人も原子同様、群になると同じ傾向を示すような気がしてならない。ただしそれ以前に、社会における人の「平均的」ふるまいとは何なのかと言う問いに対する答えを探す必要がありそうな気がするが。
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真っ新な状態で新年を迎えたいと思うのが心情

2013-12-29 23:59:06 | 日記
例えば5月から6月に変わる時、あるいは11月から12月になる時、私の心情には何の変化も起きない。しかし12月が1月になる時にはなぜか気忙しい。

明日が仕事納めと言う日にクライアントが年内最後の仕事を発注した。私がどんなに急ごうとも、依頼主が私からの納品のメールをチェックするのは来年の仕事始め以降。それでも年内に頼まれた仕事は年内に仕上げてしまいたいと、発破をかける自分がいる。

新年は前年のやり残しがない、真っ新な状態で迎えたいとついつい思ってしまうのだ。2013年もあと2日。大掃除、買い出し、新年の準備。仕事以上にやり残しが許されない重要な用事がまだ残っている。
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紳士たれ! 水であれ!

2013-12-28 21:12:13 | 太極拳
北海道大学の前身である札幌農学校では開校当時、学生の素行の悪さに困り果て、細かい規則をたくさん作り学生の行動を縛ろうとしたのだそうだ。しかしアメリカから招聘されて北海道に来ていたウィリアム S. クラークはそんな規則をすべて破棄し、学生に行動の規範を一つだけ与えた。その規範とは「紳士たれ」だったそうだ。紳士だったら酒を飲んで騒いだりしない。紳士だったら授業に遅刻したりしない。

「紳士だったらいかに行動すべきか」。

たった一つの判断基準さえあれば、学生は自ら考え、自ずと分別を持てるようになると言う考えからだったようだ。そしてそれは効果を上げたとのこと。一つの正しい方向に導こうとするとき、細かいことを並べるよりも、大きな方針を掲げる方が人の心はまとまりやすいのかもしれない。

興味の赴くまま太極拳を練習していると、いつの間にか身体操作の断片的な要求に囚われ、全体が見えなくなっているときがある。実際、教室に出たり、講習を受けるたびに練習ノートは先生からの指導の言葉や自分の気づきなどでぎっしりと埋め尽くされる。でも時にそれが「木を見て森を見ず」と言う状況を生む。

また面白い感覚を深追いするうちに近視眼的になり、全体のバランスが崩れてしまう。そういう時に思う。私の現段階の太極拳において、クラーク博士が札幌農学校の学生たちに与えたような万能な規範に当たる言葉は何なのだろうかと。

今日はついに年内最後の自主練習。練習のテーマは昨日に引き続き「百会と会陰と地球の中心との繋がり」だ。百会と会陰の繋がりへの意識、唯一万能の規範、すなわち迷った時に立ち返るべき原点となりうるのか。それともこれも森の木の一本に過ぎないのか。

ブルース・リーの有名な言葉「Be water(水であれ)」は哲学的で、極めて真を突いているが、あまりにも抽象的だ。こうしている間に今年も暮れていく。
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百会と会陰と地球の中心

2013-12-27 21:04:50 | 太極拳
今日は改めて会陰から百会を貫く体軸を意識した練習。
越境していつもと違う体育館に自主練習に行ったのだ。

久しぶりの登山から一夜明け、今日はお尻が筋肉痛だ。一方、普段は運動をする習慣がまったくない友人からのメールでは、昨日の山登りの時点ですでに大腿四頭筋がパンパンになり、今日は朝から腿の前面が激しく筋肉痛とのこと。私も20年ほど前に北海道の羊蹄山を登った時はこの友人と同じ状況で、腿が張り、帰り道では膝が笑って歩くのも大変だったのを覚えている。筋肉痛はそれぞれがどの筋肉を使って動いていたかを正直に反映してくれる。

休憩を含め合計5時間の山歩きで軸の意識を再認識させられた。以前、山登りで膝が笑った経験から、膝に負担をかけないためにはどうしたら良いか、また疲れにくい歩き方はどんなものか、そんなことを考えていたら、結局行き着いた先は、太極拳でいつも目指している「筋肉に頼らない身体の使い方」だった。それで会陰から百会を貫く軸が地球の中心に繋がるようなイメージを持ち続けて歩いた結果がお尻の筋肉痛…。お尻ならいくら痛くなっても心配はない。

20年ほど前の羊蹄山の時とは身体の使い方が違ったことは明らかで、その結果、膝痛や大腿四頭筋の筋肉痛にならなかったことも客観的事実だ。とにかく羊蹄山登山から20年がたち、すっかりお年頃になった私にとっては、膝をまったくの無傷で守り切れただけでも大きな成果なのだった。

だから今一度体軸を練習テーマに据えてみた。今日の練習で軸の状態を細かくチェックしていくと、動きにつれて体軸が微妙に歪むのが分かる。そこで少し動いては体軸を修正し、また少し動いては体軸を修正し、コマ送りのようなイメージで練習。こうして定式でも過渡動作でも軸が通った状態を保てるよう、軸に拘り続けてみた。この練習テーマは間違いなく越年する。

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高尾山のそば屋で食べた『十割あげそば』

2013-12-26 22:40:56 | グルメ

これが御膳所琵琶家本館の『十割あげそば』(735円)。

朝、千木良を出て高尾山、薬王院を巡り、高尾山口に着いたのは出発から5時間後。寒くて、お腹が空いたので、温かいそばを食べることに。でも新名物と言う文句に惹かれまず頼んだのが『十割あげそば』。

蕎麦がきを丸めて揚げ、餡をかけたもの。これがとてもおいしかった! 特に表面が油でカリッと揚がっていて、かじった時の食感が良いのだ。中は蕎麦がき特有のねっちりした感じ。そばの香りはそれほど強くはない。餡(とろみの付いたお出汁)との相性は抜群だった。


説明では1人前は揚げた蕎麦がきが5つほどと言うことだったが、3人連れだったことを考慮して下さったのか、私たちが喧嘩しないよう大きなどんぶりに3の倍数(6つ)の『あげそば』が入っていた。

言うまでもなく、それぞれお蕎麦も注文。身体の心から温まり、お腹もいっぱいに。これが女子三人による厄落とし登山の締めくくり。
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