ゆみこの『邁歩如猫行』

街で見かけた猫のこと、太極拳・中国武術のこと、日々の雑感を気が向いたときに書き綴ります。

千葉勝浦と言えばカツオのなめろう

2013-08-31 21:21:02 | グルメ
生まれて初めて食べた『なめろう』は根室で食べたサンマのなめろう。今日のは房総半島のカツオで作った郷土料理。

勝浦駅から歩いて15分ほどのところにある「中むら」。カウンターに座っているとカツオを叩く小気味よい音がしてくる。正確にはカツオに味噌やネギなどを一緒に混ぜてたたきにする。十分に粘りが出るまでたたかれたカツオのなめろうは見るからに美味しそう。それを好みで甘酢やわさび醤油につけて食べる。ご飯によくあう!

カツオで作った本場のなめろうが美味しかったのは言うまでもないのだが、根室で食べたサンマのなめろうは、これまた美味しいのだ。刺身にできる新鮮なサンマに味噌やしょうが、ネギなどの薬味を入れて作る。カツオより脂があるのでこってりと、濃厚な味になる。居酒屋で食べたのだが、一口食べた瞬間に丼いっぱいの白飯を頼んでしまったほど! 本家に並んで、こちらのなめろうもお勧めなのだ。
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緊張を以って緊張を制する

2013-08-30 23:20:29 | 東京
今日も猛暑日。
暑さ寒さも彼岸までと言うが、お彼岸まではまだ3週間以上ある。

8月後半。襟足に汗とともにへばりつく髪がうっとうしくなり美容院に行った時のこと。普段は学生時代から付き合いのある美容師さんのところでお願いしているのだが、今回はあまりの暑さで一刻を争う事態だったため、急きょ近くの美容院に駆け込んだのだった。

初めての太極拳。初めての仕事。初めての美容院。初めての時は何であれ、いつも緊張するものだ。相手はどんな人なのか。周りの人は私を受け入れてくれるのか。案の定、美容師さんも緊張気味。特に髪となると、カット一つでその人の印象がガラッと変わってしまう。私が「私も緊張していますが、あなたも緊張してるでしょう?」と尋ねたら、美容師さんも「はい」との返事。空疎な世間話をしつつ、終始硬い雰囲気のまま初めての美容院での2時間が過ぎて行った。

緊張には色々な種類があるけれど、緊張を乗り越えるには一度頭が真っ白になる状態を経験し、それを乗り越えるのが克服法だと言われたことがある。真っ白になった状態を自力で超えることができたら、以後、同じような状況に置かれた時でももう大丈夫、と言うことなのだった。これはずっと昔にカラオケ大会の司会をやっていた時にいただいたアドバイス。確かに一度頭が白くなった後は度胸が据わった。緊張は慣れの問題なのかも。


初対面なのに全然緊張していないウラジオストクで出会った猫。オス。


頭を撫でているうちに仰向けになり、お腹を撫でさせてくれた。
この猫はスーパーフレンドリー。若しくはちょっと無防備。

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叱られて奮起する人もいる

2013-08-29 22:56:40 | 太極拳
あの空手少年、そうとう叱られていたなあ。

空手のことは門外漢だが、どうやら彼は呼吸と腕の動きが合っていないようなのだ。叱られても、叱られても委縮せず。頼もしい少年だった。叱られても凹まない。だからこそ指導者もあの少年に真剣に向き合えるのだろう。叱られているうちが華。上手になるんだよと、私は心の中で少年にエールを送っていたのだ。

「褒めて伸ばす」と言うフレーズがしばしば聞かれる。
そういえば最近、叱ってくれる人っていなくなったなあ。

自分はもはや中学生や高校生じゃない。いい大人なんだから叱ってくれるのを求めると言うのは甘えに過ぎないと、自分でも思う。でも叱られる=感情が波立つ→奮起すると言う構図って、よくあることだと思う。今、私を本気で叱ってくれるのは太極拳の先生たちくらいなものだ。

ある先生から「叱られなくなったら終わりだよ」と言われていた。叱られるのはいやだけど、叱ってもらえている方が確かにまだましだ。叱られると言うことは、まだ見込みがあると思ってもらえているから。先生に「うん、うん、上手、上手!」などと気のない声音で言われるようになったら、それこそ自分自身何か考え直さなければならない。叱るのはその人を育てたい、伸ばしたいと言う気持ちがあるからこそ。親ごころの裏返しなのだと思う。

4年前の練習ノート。先生から名指しで「きついこと言われてもへこたれない」奴と言われたと書いてある。確かにあの頃は怒られない日はなかった。今は自分で自分を叱りながら、しかも時には脚やお尻を叩いてセルフ体罰もしながら、自分を鼓舞する方が多いかなあ。
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小さな間違いを小さな無理で解決しない

2013-08-27 21:25:15 | 太極拳
ボタンの掛け違い。

何かの動作が上手くいかない時は、その前の動作がおかしいから。「おかしい」「これもおかしい」と動作を遡って行ったら起勢まで行ってしまったこともある。

理に適わないことをすると軸がぶれる。軸がぶれて不安定になると筋肉でカバー。これがか弱い女性なら筋肉に頼ることもできず、不安定になった時点で正しい動きを模索しだすのだろう。でも私はなまじっか筋力があるから問題棚上げで、筋肉の力で無理やり解決してきた。身体には相当無理を強いてきたのに、幸いこれまでのところ怪我はない。

よく言われることに「競技会じゃないんだから、架式は低くしなくていい」と言う指摘がある。でも本人に低くする気はない。套路をするうちにいつの間にか低くなっていってしまうのだ。その一番の原因が発達した脚の筋肉だと、私は思っている。不安定さをカバーするのに余りある強靭さがあるのだ。収脚するときや、上歩するとき、軸脚が不安定になると身体を下げて(つまり膝つぶれの状態にして)一時的に姿勢の安定性を上げる。あとは筋力でよっこらしょと後足を引き寄せる。それが套路の中で繰り返されるうちに架式がどんどん下がっていくのだ。

ボタンの掛け違い。

軸脚が不安定と言うことは、軸脚を作る前の動作がおかしい。例えば左脚を軸足にして右脚を寄せる。その左脚に軸を作る際の身体の処理がおかしい。どうおかしいかと言うと、軸足に乗らなきゃと言う意識が先行し、体軸が若干前のめりになるのだ。前傾姿勢、つまり臀部がいつまでも後方に残っている状態。すると後ろ足がなかなか軽くならない。それで脚を寄せようと言うときに軸が不安定になり、膝つぶれになり、筋肉を使う。ちょっとした角度の違いにしか思えないんだけれど、講習で指摘されてハッとした。先生の目はごまかせない。

理に適っている動作と、理に適っていないのの差は、取るに足りないほど小さく思える。本当にちょっとした違い。だからちょっとした無理で解決してしまいがち。

でも無理は絶対に禁物なのだ。
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明るい声。暗い声。100通の「こんにちは」伝説

2013-08-26 21:29:18 | 太極拳
先日、ある先生が生徒のリクエストに応えて身体がゆるんだ状態を示範してくださった。力みや滞ったところが一つもなく、先生の身体は軸だけを残して見る見るうちに沈んでいった。特に肩が下へ、下へと下がっていった。数年前に私の先生も同じように示範してくださったことがある。力んで頑張っている様子は一切ない。しかしゆるめていくにつれて肩がスーッと(と言うよりも「えーっ?!」と言うくらいに)下がっていった。

要はゆるめればよいのだ。でも「ゆるめる」と言う言葉の定義は本当に難しい。ゆるめ方が正しく理解されているかは、先生の示範のように肩が沈むと言う外形の変化から読み取ることができるかもしれないが、力んで力づくで肩を下げたって外形的には肩は下がるものだ。結局は身体の中のことだから、ゆるんだかどうかは本人の感覚に頼るしかない。

私自身の真の「ゆるめる」を求める試行錯誤を振り返ったとき、ずっと昔に友人から聞いた、ある女性アナウンサーの新人研修の話を思い出した。

ある地方局の女性アナウンサーは新人研修の一環でラジオ番組ディレクターから「こんにちは」を100通で言うまでは帰れないと言われたそうだ。ラジオだから声だけで変化をつけなければならない。明るい声。暗い声。子供のような声。しわがれ声…。こんな風に、「こんにちは」を考え付く限り、幾通りもの表現で言い続けたのだが、さすがに100通ともなると並大抵の想像力では追いつかない。しかも途中からは自分の中の羞恥心との闘いにもなっていく。中盤からは泣きながら「こんにちは」を言い続けたそうだ。そしてついに100のハードルを越えた。

太極拳の「ゆるめる」と言うのも、この女性アナウンサーの100通の「こんにちは」に通じるものがあると思うのだ。例えば肩をゆるめると言っても、肩をどうゆるめるのか? 自分が思いつく限りのあらゆる「ゆるめ」を試し尽くした先に答が待っているはずなのだ。少なくとも今のゆるめ方は1年前には思いつかなかった。この先も「ゆるめる」の定義は適切な方向に向かって、自分の中でさらに変わっていくと思うのだが、そのためにはさらに100通、200通の試行錯誤が必要なのかもしれない。


急がば回れ。
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