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若穂の歴男、歴女の掲示板

長野市の一地区ですが、以前は上高井郡若穂町でそのまた昔は綿内村、川田村、保科村。集まる情報の一つひとつが現代の歴史です。

企画展《若穂の昭和 「二つの写真展」》を特集しました 『会報』3月号

2023-01-27 06:23:00 | 日記
『会報』3月号の編集が進んでいます。



(作成中の「表紙」です)



「一言インタビュー」を含めて、10数名の会員が筆を寄せ、昨年11月に開催した企画展《若穂の昭和 「二つの写真展」》を特集しました。貴重な集団学童疎開の写真は、今年1月に市役所本庁でミニ展示してきましたが、他の場所でのミニ展示も今後予定しています。
連載の「若穂に見る「川中島の戦い」は第3回となります。
3月早々には、会員の皆さんにお届けできると思います。    (小)
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連載の《旧い写真の物語》は❹で、保科清水寺に奈良の石位寺から譲られた ”仏たち” の運搬光景です

2023-01-10 09:24:56 | 日記
3月発行予定の『会報』の、編集が始まりました
連載の《旧い写真の物語》は❹で、保科清水寺に奈良の石位寺から譲られた ”仏たち” の運搬光景です


(保科川沿いの松原を清水寺へと上る運搬隊)



(長野市若穂保科の清水寺)



(奈良からやってきた仏像群・・・)


大正5年(1916)の「保科の大火」で悉く焼失した真言宗の古刹清水寺は、その後縁あって、桜井市の石位寺(無住)から仏像を譲り受けることができました
十二神将も含めて、19体(後、7体は重文指定)もの仏像です
運搬は桜井駅から長野駅まで、鉄道が使われました
幟旗を連ねて清水寺に向かう様は、大火からの復興を願う保科の人々に大きな希望をもたらしたことでしょう



同じく真言宗の古刹で、綿内にある蓮台寺・・・
9体の阿弥陀如来像がある「九品寺」で有名ですが、この寺もその昔、火災で8体を焼失していました
江戸の宝永期、京の仏師に再造させたのは「中興の祖」とされる「駒澤氏」出身の智光住職です
そのモチベーションも資力もですが、あの時代、京都からの8体もの運搬をどのようにしたのか、興味が湧いてきませんか?
(あるいは地元で彫った?)


(本堂の、8体の阿弥陀仏坐像)



(収納庫で管理されている重文の、阿弥陀佛坐像ー-毎年5月8日の「花祭り」の日だけ一般公開)


あの時代、遠く京や奈良からの運搬となると、それだけで壮大な物語です

                                                             (小)


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