今年度3回目となる『会報若穂』107号は、3月1日発行の予定で編集を始めています。前号との期間が3か月なので内容的には少な目ですが、2月16日の地域史研究会の報告資料を掲載する予定です。
⓫となる《「旧い写真」の物語》は、会員I・Hさんから提供された千曲川に架かる “船橋” の写真としました。その名前を聞いていても、どんなものなのか知る人は少ないと思います。ましてや、見た人は・・・。
写真は昭和38年(1963)に石沢芳朗さん(故)が撮影されてもので、その年、“船橋” の少し下流に現在の鉄橋が完成しています。

『綿内村公民館報』によると
―牛島と大豆島との交通は、江戸時代から渡し船で行われていたが、明治13年(1902)に千曲川筋と犀川筋にそれぞれ船橋が架設された。そして、明治35年には犀川船橋が、大正11年には千曲川船橋が木橋となった。
昭和38年まで飯山に “橋橋” があったことには驚かされます。
⓫となる《「旧い写真」の物語》は、会員I・Hさんから提供された千曲川に架かる “船橋” の写真としました。その名前を聞いていても、どんなものなのか知る人は少ないと思います。ましてや、見た人は・・・。
写真は昭和38年(1963)に石沢芳朗さん(故)が撮影されてもので、その年、“船橋” の少し下流に現在の鉄橋が完成しています。

『綿内村公民館報』によると
―牛島と大豆島との交通は、江戸時代から渡し船で行われていたが、明治13年(1902)に千曲川筋と犀川筋にそれぞれ船橋が架設された。そして、明治35年には犀川船橋が、大正11年には千曲川船橋が木橋となった。
昭和38年まで飯山に “橋橋” があったことには驚かされます。






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