おやじのつぶやき

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読書「鉄道人とナチス ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀」(鴋澤歩)国書刊行会

2018-07-23 20:25:19 | 読書無限
 アベ政権下で公文書偽造、忖度、詭弁、責任回避、・・・等々、官僚・テクノクラートたちの不祥事が相次いでいます。官僚としての自分たちの生殺与奪を強権的な政府によって握られてしまっている現在。その意に逆らうことはできない、のか。
 エリートが言いように振り回されているようすに溜飲を下げる世間の存在。とりわけ右翼的言辞をこれでもか、これでもかと「フェイクニュース」まがいに発信している自公の政治家たち。それに「面従腹背」もできず、官僚=国家・国民に奉仕する矜持も失っているかのよう。
 ただひたすらアベとそれをとりまく政治家に翻弄されている、むしろ積極的に荷担しているとしか思えない惨状。

 わずか13年で滅びたナチスドイツの中で、官僚たちはどう振る舞ったのか。けっして他人事ではなさそう。当事者だけでなく、また国民も。

 ユリウス・ドルプミュラー。ドイツ国鉄(ドイツ・ライヒスバーン社)総裁にしてナチス政権下の交通大臣として輸送部門のトップに君臨した人物。

 筆者の姿勢は、「本稿が・・・あくまでも鉄道史をめぐる研究だとするならば、・・・ホロコーストに手を染めることで崩壊した組織とその代表者からえられる教訓」を「すぐれた才質と人間性の持ち主でありながら、悲惨な失敗をみずからにもたらした多数の二十世紀前半のドイツ人のひとり」としてその生涯を描くことで、「私たちもこれから直面するであろう」(P302)問題を明らかにすることにある。

 いうまでもなく、ユダヤ人等は、「アウシュヴィッツ」など絶滅収容所に鉄道によって送り込まれていた。(本書にも残された運行ダイヤなどが掲載されている。)
 絶滅収容所への移送遂行という鉄道が果たした荷担の実態、その運営主体であるドイツ国鉄のトップであった人物の評伝、というスタイルを取りながら、厳しくその「罪」と「責任」を追求していく。

 「一般に、政権奪取後のナチスが国家統治機構に強力に押し入ることによって、伝統的なエリート支配の官僚機構は弱体化し、党や政府の複数の権力者が競合する多頭制的な統治が行政を左右するようになったとされる。そうした「指導のカオス」「組織のジャングル」とも後年よばれる状況では本来は行政組織や統治機構には距離のあった異物的な人間、新政権にキャリアアップの機会をみた『政治的投機者』が組織の中に入りこみ、しばしば従来の組織構成員と角逐をくりひろげた。」(P303)

 そうした中にあって、
 「・・・ドルプミュラーには自己の責任をはたすべきという意識は、過多なほどあったと想像できる。だからこそ、ナチ政権の攻撃にさらされても、大臣としての権能を制限されても、あるいは病身となってさえも、ライヒバーン総裁の座を去ろうとはしなかったのであろう。個人としての潔さを発揮して職を去ることは、祖国にために自分に課せられた義務を放棄することだと、ドルプミュラーは心から思っていたはずである。自分ほどうまくドイツの鉄道を動かせる者はいない、と信じていたからである。だが、それは思い上がりというべきものだったかもしれない。・・・
 いいかえれば、もしもドルプミュラーに悲劇があるとすれば、死にいたるまで鉄道の荷担する虐殺の惨劇を見て見ぬふりをするという心理の陥穽におちたまま、自分の追うべき真の責任とは何かという問いに真剣に思いをめぐらすことができなかっただろう点にある。」(P301)

 「科学精神に富んだテクノクラートであったドルプミュラーには、人格の内部にもちあわせているものが、意外に乏しかったようである。たしかに持っていた誇るべき数々の才質も、非科学的な精神や暴力の前で、かれを毅然と立たせることができないものだったからである。
 ひょっとしてこれは、程度の差はあれ、私たちの姿ではないか。・・・経済社会、技術社会、グローバリゼーションの申し子だったドルプミュラーは、私たちにとって遠い人物ではない。そしてかれが人生の後半で突きつけられた問題が、私たちのそれではない、決してそうはならない―と誰がいえようか。(P311)

 「強い悪意を特定の人的集団にむけ、自分たちの問題の原因をすべてそこに見出そうとする極端な考えの持ち主は、幸いにも、たいていはごく少数に過ぎない。だが、そうした人間たちが、社会においてみずからの非人道的な考えを私たちに強制できる立場に立つことはありうる。好んでかどうか、かれらの扇動にのる人びとの数は決して少なくないことを私たちは知っている。『ポピュリズム』という言葉は、そうした場合に使うべきなのだろう。
 そんなとき、被害者の集団に属さないかもしれない私たちも、決して最後には安寧を維持することはできない。最初の軽挙妄動から身を持し、積極的な加害者と距離を置いて傍観者の立場をまもることすら、容易ではない。『ただ技術のために』『ただ鉄道のために』生きてきた人物が無力であらざるを得なかった、それどころか加害者の列にはいってしまった例を、本書は追ってきたといえるだろう。
 自分たちにあたえられた限られた領分を懸命に守って、『ただ○○のために』生きざるをえない私たちに、貴重な省察の材料がここにあたえられている」(P310)

 「ホロコーストは、加害者、被害者、そしてその間に立つ傍観者で成りたっていた。傍観者のなかには、加害者に取り込まれ、単なる傍観者でありつづけることすらできなかった者も多い。そうなりうる私たちが、これを銘記するために、ドルブミュラーの名は残されねばならない。」(P313)
 
 読み応えのある力作・内容でした。

 次の本も、最近読んだものです。

ヒトラーの娘たち ホロコーストに荷担したドイツ女性
                                                   (明石書店)

ウェンディ・ロワー 著
武井 彩佳 監訳
石川 ミカ 訳

 ナチス・ドイツ占領下の東欧に赴いた一般女性たちは、ホロコーストに直面したとき何を目撃し、何を為したのか。冷戦後に明らかになった膨大な資料や丹念な聞き取り調査から、個々の一般ドイツ女性をヒトラーが台頭していったドイツ社会史のなかで捉え直し、歴史の闇に新たな光を当てる。2013年全米図書賞ノンフィクション部門最終候補選出作。

想像せよ、自分が立っている場所はすでに『灰色』ではないか。自戒せよ、大きな流れの中で自分を押しとどめるだけの確たる信念はあるか。」(「監訳者解題」より)

 


 
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