おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その4。(「川越街道」第1日目。)

2018-12-28 19:20:11 | 川越街道
                              「白子川」を渡り、「白子宿」(和光市内)へ。

1880年代のようす。○が「白子宿」エリア。


2010年代のようす。まだまだ緑が多い。東北側に東武東上線。

白子宿
 川越街道(川越・児玉往還)にあった宿場。現在の埼玉県和光市白子にあたる。
 現在の川越街道旧道と白子川が出会う場所から熊野神社までが中心部と推測される(白子2丁目)。豊富な湧き水を利用した造酒が盛んであった。
 元々白子(シラコ)は「新羅」の転訛で、渡来人らが開いた土地とされ、古代からこの辺り一帯の中心地であったと推測されている。川越街道がこの地に宿場に置いたのも、自然発生的な結果であろう。
 しかし並走するように北側に東武鉄道が開通すると成増駅と和光市駅周辺に賑わいは移り、現在は和光市の町名に残るのみとなっている。当時の面影を残すものは熊野神社や富沢家などを除いてほとんどない。
(この項、「Wikipedia」より)

(13:33)「白子川」。

「くつがなる」の歌詞。 
1お手(てて)つないで 野道を行(ゆ)けば
 みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
 歌をうたへば 靴が鳴る
 晴れたみ空に 靴が鳴る

2花をつんでは お頭(つむ)にさせば
 みんな可愛(かわ)い うさぎになつて
 はねて踊れば 靴が鳴る
 晴れたみ空に 靴が鳴る

この童謡の作詩家・清水かつら氏と「白子宿」の関係は?

郷土の偉人 童謡詩人 「清水 かつら」
<<< 童謡詩人 清水 かつら >>>(1898年~1951年)
 日本を代表する童謡詩人である清水かつら(本名・桂)は、明治31年(1898年)7月1日に東京本所小名木川(現在の東京都江東区深川)で生まれました。
 子どもの頃から文学に深い興味と優れた理解力があり、商業学校を経て、出版社に入社し、雑誌の編集に携わるかたわら詩作に励みました。
 大正12年(1923年)の関東大震災で家屋・家財を失ったかつらは、母の実家のある新倉村(現和光市下新倉)に身を寄せ、その後、白子村(現和光市白子)に移り住むことになりました。
 昭和26年(1951年)7月4日、病気でこの世を去るまで、この地で武蔵野の自然と子どもの純真さを愛して作詩した数々の童謡は、多くの人々に親しまれています。

代表作
叱られて・靴が鳴る・雀の学校・みどりのそよ風 など

(この項、「」HPより)

東武東上線和光市駅南口にある歌碑。 

                              (HPより) 

橋のたもとにある「道路元標」。   

現在の街並み。  

  「白子宿通り」の標識(「中宿」付近)。 

「魚くめ」。

上り坂の右手のおうち。旅籠「川越屋」跡(富澤家)。

「大坂」への上りから宿内を望む。

けっこう急な坂道にさしかかります。

左手には「大坂ふれあいの森」が。

 
湧き水の町「白子宿」
 お江戸日本橋から川越まで、川越街道の宿場として栄えた。江戸時代の紀行文に、「此のしらこ宿の町の左右には清潔の水漲(みなぎ)り流れて潤沢なるは尤(もっと)も浦山(うらやま)し」とあります。石垣湧水道など湧水利用の文化があり、白子は「自然と歴史の交差点」と言われるゆえんです。湧き水と共にのこしていきたい和光の宝です。


陽光と せせらぎの音 森の里 まり子

 武蔵野台地末端から湧き出す水とそれを取り囲む樹林地にはイヌタデ、ムクなどの茂り、カタクリ、イチリンソウ、キツネノカミソリなどの野生植物が咲く、春はウグイスなどの鳴き声が聞かれ、夏になると水辺にはオニヤンマやシオカラトンボが飛び交う光景が愉しめる(昔はホタルもたくさんいた)。とても貴重で豊かな生態系が残された市民緑地です。           

                    振り返る。

(13:46)「笹目通り」を越えて行きます。 
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