おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武「太田」駅~「福居」駅。その1。(「日光例幣使街道」。第3日目)

2018-07-18 20:20:18 | 日光例幣使街道
                               (16:08)前回の地点。奥が東武伊勢崎線・太田駅。

 猛暑日が続く日本列島。関東・中部、西日本を中心に「熱中症」で死者も出る異常事態。被災地ではその暑さの中で悪戦苦闘中です。その中で、性懲りもなく・・・。

 7月16日(休)。快晴。猛暑。

 前回行き着けなかった「八木宿」まで、午後4時過ぎなら少しは過酷な地帯でも歩けるのでは、と。イレギュラーの計画。

 太田駅に降りたとたん、「暑い! 」。
 クーラーのほどよく効いた電車を乗り継いで来ましたが、途中駅でドアが開く度に、上州の熱風が車内に吹き込みます。

 外を歩いている人もほとんどいません。作業着姿の方は「SUBARU」工場の関係者。車はけっこう行き交います。車でないとこの時期の移動は生命の危険になりそう。
 ま、8㎞くらいの行程、歩いているうちに日差しも傾いて、日陰もあるだろうし、風も出て・・・、と。

 ところが思惑はずれ。「日光例幣使街道」は、ほとんど西から東に向かう道。そのため、背中に暑い陽を浴びての歩きとなります。
 西に傾き始めた日差しは心なしか弱くなったように感じても、今度は蒸し暑さが並みではありません。

 そのうち夕風が吹いてきて、遠くに雷鳴を聞きつつ、後半はやっとのんびりと歩きました。(16:00~18:35)

 それにしても上州の方々は皆、親切。声を掛けてきます。
 こうして、群馬(上野・上州)から栃木(下野・野州)へ足を踏み入れました。

左手に「SUBARU(旧富士重工)」の本社・工場。

「スバル最中」の看板。若い二人が入って行きます。名物なのでしょう。

左手に「追分の道しるべ」が見えてきます。

(16:16)  
   「右 たてはやし こか道 左 日光道 さの やき駅」 
解説板。
 この道しるべは日光例幣使道と古河道との分岐点、新島の追分(例幣使道側は工場敷地となっている)にある。享和3年(1803)に太田宿の永竹幸助義信により百番供養を兼ねて建立されたものである。百番供養は西国三十三番と板東三十三番に秩父三十四番の札所を加えた百番信仰によるものである。裏面には次の和歌がある。

 ひとすしに 出れハ安き法の旅 今なすわさそ 後の世の夢

 道しるべの左側には追分地蔵と呼ばれる地蔵菩薩があり、今でも子供を庇護する地蔵として厚い信仰の対象となっている。
・・・
 例幣使道中は中山道倉賀野宿(高崎市)から分かれ、玉村・五料・柴・木崎・太田・八木・梁田・天明・富田・栃木・合戦場を経て金崎宿(栃木県上都賀郡西方村)に至る13宿、23里11町(92㎞)ほどの道程である。金崎宿の次の楡木宿で壬生道に入り、今市宿で日光街道に合流した。・・・

隣には旧道と現在の地図とを比較した図。

1880年代のようす。○が「追分」

2010年代のようす。「例幣使道」は工場と線路で分断。

さすが「SUBARU」の城下町。 

社員駐車場だから当然?

 群馬製作所本社工場が所在するのは「スバル町1番地」。

 
 SUBARUのロゴは、「昴」。「六連星(むつらぼし)」とも。おうし座の「プレアデス星団」。

 日本では昔から中国での呼び名を用いて「昴(すばる)」と呼んでいます。普通、肉眼だと6個の星が見えるので、「六連星(むつらぼし)」ともいいます。
 注:「昴」=「統(すば)る」・「すまる(統まる)」という言葉は、「統一されている」「一つにまとまる」という意味。

 清少納言『枕草子』の一節(第236段)が有名。
 星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて

(「Wikipedia」より)

 ・「ひこぼし」は、七夕の彦星で「わし座」のアルタイル。
 アルタイルは、わし座で最も明るい恒星で1等星。七夕の彦星(ひこぼし。牽牛星とも)としてよく知られています。こと座のベガ(七夕のおりひめ星・織女星)、はくちょう座のデネブとともに、夏の大三角をつくっています。
 ・「ゆふづつ」は、漢字で書くと「夕星」で宵の明星、すなわち金星。
 ・「よばひぼし」は、流れ星のこと。「よばひ星」の「せめて尾がなかったらもっといいのに」とは言い得て妙です。
 「婚ひ星」「夜這ひ星」という漢字を当てはめてみると、男女の密かな逢瀬を意味するのでしょう。もしかしたら、これはたんなる流れ星ではなく「彗星」(ほうきぼし)なのかもしれません。

 蒸し暑い歩きの中で、つい、夏の夜空のお話を。

 我が家は一貫して「トヨタ」車ですので、まことに失礼ですが、どんな名前の車があるのか、残念ながらまったく存じあげません。
 谷村新司の「昴」の方になじみが。
 
 目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
 ああ 砕け散る 宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ
 我は行く 蒼白き頬のままに
 我は行く さらば昴よ

 
(作詞・作曲 谷村新司)

 旧道が失われているので、「新島町」交差点を左折して進みます。小さな地蔵堂を左手に見て、さらに進むと、右に曲がって行きます。このあたりで旧道が復活?
        

小さな水路を越えると、

(16:33)左手に「日光例幣使街道馬洗い場跡」碑。

「馬頭観音」。


 「国道122号線」を横切り、さらにすぐ「県道128号線」を越えると、左手に「鳥居のない神社」へ。
 ところが、国道との交差点は変則五差路。まっすぐ正面の道を素直に進めばいいのですが、自動車販売店が両側にあって何だか店先みたいな感じ。右の方に道が広く、そちらに進む車が多い。ついそっちの道に行き、途中で気づき戻って、事なきを得ます。
(16:50)

                          
 「由来の碑
 例幣使一行が境内で休んで時、にわかに一匹の犬が激しく吠えはじめた。不審に思った供侍が追い払おうとして何度も制したけれども、激しく訴えるように吠えたてて逃げようともしなかった。怒った供侍はとうとう犬を切り捨ててしまった。すると意外なことに胴を離れた犬の首は空に飛び上がった。人々が見上げると、犬の首は鳥居の上の大蛇に噛みついた。犬はたまたま鳥居下に休んでいた例幣使に犬は大蛇のいる危険を知らせる為に盛んに吠えたのだった。例幣使は自分をを助けようと吠えたことが分かった。このため日光から帰ってくるまで犬の供養をして塚をこしらえていくようにいってこの神社を去った(帰ってくるまでに三ヶ月かかったという)。
 そこで犬を供養しその上に石尊様をまつった。この為、村では鳥居があったので蛇がそこへ上がったということで鳥居をはずしてしまい今もないのだという。
 また、はたし(機織機)にも鳥居がついているため正月には鳥居を出さないということで正月中は機を織ってはいけないといわれている。

 由来碑の前には「救命犬座像」。

神社脇の住宅街の道を進みます。

変則四差路の手前に旧家。

 (17:00)その先は左手の細い道に入ります。真ん中に新しい道標がたっていて、「日光例幣使道 台之郷の辻」と記されています。
 
                            小さな道標には「東 福居佐野道 北 丸山桐生道 南 龍舞小泉道 西 太田道」と。



1880年代のようす。●が辻。



2010年代のようす。旧道は道が付け替えられているようです。
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