おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その5。(「川越街道」第1日目。)

2019-01-04 19:05:49 | 川越街道
                              アップダウンの坂道が続きます。


(13:54)坂道の途中、右手の「伯楽製鋲所」の敷地に「馬頭観音」。

    入って右手の大きな祠の中にあります。

会社名の「伯楽」と「馬頭観音」の関連は? 

 国語の漢文でよく教材として出てきます。
『雑説』(韓愈)
 世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇(ただ)奴隷人の手に辱められ、槽櫪(そうれき)の間に駢死(べんし)して、千里を以て、称せられざるなり。
 馬の千里なる者は、一食に或いは粟(ぞく)一石を尽くす。馬を食(やしな)ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。 是の馬や、千里の能有りと雖も、食飽かざれば、力足らず、才の美、外に見えず。且つ常馬と等しからんと欲するも得べからず。 安くんぞ(いづくんぞ)其の能の千里なるを求めんや。 之に鳴けども、其の意に通ずる能はず。策(むち)を執りて之に臨みて曰はく、「天下に馬無し。」と。嗚呼(ああ)、其れ真に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。

現代語訳
 世の中に馬を見分ける名人がいて、そこで初めて、一日に千里を走る名馬がいるのだ。千里を走れる名馬はいつの時代でもいるのだけれど、名人は、いつの時代にもいるとは限らない。だから、たとえ名馬がいたとしても、ただ使用人の手によって粗末に扱われ、馬小屋の中で(平凡な馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬として賞賛されることはないのである。 
 一日に千里を走る馬は、ときには、一食につき、穀物を一石も食べ尽くしてしまうこともある。(ところが)飼い主は、その馬が一日千里を走る馬だとは分かって飼っていない。(そのため)この馬は、千里の能力を持っているのに、餌に満足できず、力が発揮できず、名馬としての才能の素晴らしさが発揮されない。 
 さらに(その名馬が)、(他の)平凡な馬と同じように生きようと思っていてもできない。(こんな状況では)どうしてその(名馬としての)千里も走るという素晴らしい能力を求めることができようか(いや、求めるのは無理である)。(この馬が)飼い主に鳴いて(訴えて)も、(飼い主は)馬の気持ちを理解することができない(名馬にふさわしくない粗末な扱い方しかできない)。それなのに、飼い主が鞭(むち)をとってこの馬に向かって言うには、「この世には名馬がいないものだ。」と。
 ああ、(はたして)本当に名馬が(この世には)いないのだろうか、(それとも、)名馬であることを見抜けないのか。

作者の意図(寓意)
 もし優秀な人材がいたとしても、暗愚な君主だと、その優れた才能を見抜くことはできず、その人物は登用もされない。

 「名伯楽」というように、スポーツなどで育成に優れた指導者のたとえに使われます。伝説的な話は仰木監督とイチローでしょうか。前監督に打法が疎んぜられ、二軍暮らしをしていた鈴木の天賦の才を見抜き、改名させ、超一流の打者に育てたことは有名です。

 「都道109号線」と合流し、左に進みます。

(13:59)「外環自動車道」を歩道橋で越えます。

                                                        
 その歩道橋には、
 
 理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループの森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授)を中心とする研究グループ(森田グループ)が発見した「113番元素」を国際機関が2015年12月に新元素であると認定しました。
 そして、森田グループに発見者として新元素の命名権が与えられ、2016年11月、元素名が「nihonium(ニホニウム)」、元素記号が「Nh」に決まりました。欧米諸国以外の研究グループに命名権が与えられたのは初めてです。
 元素周期表にアジアの国としては初めて、日本発の元素が加わりました。「元素周期表に日本発の名前を書き込む」という日本の科学者の夢が、ついに実現しました!
 (「」HPより)

 この近く、「外環道」の西南にその研究所があるようです。

こちらは、「干支」。

                               


(14:13)賑やかな通りになりますが、右手に旧道が残っています。

右手奥に地下鉄の車両基地が広がっています(↓)。

すぐに都道に復帰、しばらく進みます。


「幸町3丁目」交差点の先にも短く旧道が残っています。

 
                               「朝霞警察署」方向を望む。

(14:42)「膝折坂下」バス停。ここで、「膝折宿」に入ります。

膝折宿(ひざおりじゅく)
川越街道(川越・児玉往還)にあった宿場。現在の埼玉県朝霞市膝折町にあたる。
 膝折の名は、賊に追われた小栗助重が鬼鹿毛という名の馬に乗って当地まで逃れてきたところで、鬼鹿毛が膝を折って死んだことに由来すると伝えられる。室町時代には既に宿駅としての機能を持ち、市が立って商人が集まった。
 近世には川越街道4番目の宿場として、平林寺や仙波東照宮の参拝客、川越藩の参勤交代などで賑わいを見せた。白子宿、大和田宿のいずれからも33町の距離で、万治3年(1660年)の検地帳によると、本陣・脇本陣を中心に39の商家があった。脇本陣だった村田屋が現存する。本陣の跡地は膝折郵便局(膝折町2-4)となっている。1932年までは自治体として膝折村が存在していたが、町制施行の際に改称し朝霞町となった(1967年市制施行)。
 川越街道には対になる地名として脚折があり、現在も鶴ヶ島市に残る。

(この項、「Wikipedia」参照)

      
      
1880年代のようす。丘陵地の街並み。         2010年代のようす。
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