おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

川船番所跡。清洲橋。大川端芭蕉句選。芭蕉記念館。江東区「小名木川」。その6。(「鮮魚街道」番外編。)

2020-12-18 19:33:45 | 鮮魚街道

           橋のたもとにある「川船番所跡」解説板。

川船番所は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。
 設置の年代は明らかではありませんが、正保4年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。江戸から小名木川を通り利根川水系を結ぶ流通網は、寛永年間(1624~1644)にはすでに整いつつあり、関東各所から江戸へ運ばれる荷物は、この場所を通り、神田・日本橋(現中央区)など江戸の中心部へ運ばれました。こうしたことから、江戸への出入口としてこの地に置かれたことと思われます。建物の規模などは不詳ですが、弓・槍がそれぞれ5本ずつ装備されていました。
 明暦3年(1657)の大火後、江戸市街地の拡大や本所の堀割の完成などに伴い、寛文元年(1661)中川口に移転しました。以後中川番所として機能することとなり、当地は元番所と通称されました。

もう一つの解説板。

万年橋は、区内の橋のなかでも古く架けられた橋のひとつです。架橋された年代は明らかではありませんが、延宝8年(1680)の江戸図には「元番所のはし」として記されているので、この頃にはすでに架けられていたことがわかります。江戸時代には、この橋の北岸に小名木川を航行する船を取り締まる、通船改めの番所が置かれていました。この番所は、寛文年間(1661~73)の頃に中川口へ移され、このため「元番所のはし」とも呼ばれました。小名木川に架けられた橋は、船の通航を妨げないように高く架けられていました。万年橋も虹型をした優美な橋で、安藤広重は「名所江戸百景」のなかで、「深川万年橋」としてとりあげています。また、葛飾北斎は「富嶽三十六景」の一つに「深川万年橋下」として美しい曲線を描く万年橋を大きく扱い、その下から富士山を望む、洋画の影響を受けた錦絵を残しています。

(注:隣に描かれた絵は、「芭蕉庵」で、「古池や蛙飛び込む水の音」の句が記されている。)

隅田川のテラスに降りてみます。

清洲橋

清洲橋の名は、深川区清住町と日本橋中洲町を結ぶことから付けられました。関東大震災後の復興事業で、ドイツのケルン市にあった大吊橋をモデルとして昭和3年(1928)に完成したもので、女性的な曲線で優雅なシルエットが印象的です。平成19年(2007)6月18日に、永代橋とともに国の重要文化財に指定されました。

ライトアップされた清洲橋。(「GO TO TOKYO」公式HPより)

・・・以前訪れたときの記事。


「清洲橋」。
「清洲橋」からのスカイツリー。
「清洲橋」。この上流あたりに「中洲の渡し」がありました。

・・・

上流の「新大橋」を望む。

大川端芭蕉句選しばの戸にちゃをこの葉かくあらし哉

九年の春秋、市中に住み侘びて、居を深川のほとりに移す。「長安は古来名利の地、空手にして金なきものは行路難し」と言ひけむ人の賢く覚えはべるは、この身の乏しきゆゑにや。「柴の戸に茶を木の葉搔く嵐かな」

同「芭蕉野分して盥に雨を聞(く)夜哉

(老壮、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたびこの句を侘びて、屋漏の句作る。その夜の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸。)

二句とも「芭蕉発句全集」HPの解説による。どちらも芭蕉庵にての作句。

「隅田川テラス案内板」。

さて戻ることにします。「萬年橋」。

「万年橋」の北岸は松尾芭蕉が居を構えた場所で、隅田川と小名木川の合流地点付近の住居跡は芭蕉歴史庭園として整備されています。また北には「江東区芭蕉記念館」があります。 

 「バショウ」。

            


芭蕉のブロンズ像。遠くに見えるのは「清洲橋」。(以前の訪問時の写真)

東京・下町の隅田川沿いにある松尾芭蕉のブロンズ座像が、日暮れになると動きだす。場所は芭蕉が「奥の細道」に出立したゆかりの地、江東区の芭蕉庵史跡展望庭園。「座り直してるんですか」「夜、立って動いてるんですか」といった問い合わせも舞い込む、ユニークな仕掛けだ。

 像は高さ約120センチ。閉園後の午後5時ごろ、座布団に正座姿の芭蕉がライトアップされ、川方向に電動で約90度回転する。タイマー設定で、特に前触れもない。方向転換は30秒ほどの早業だが、狙いをつけて近くの遊歩道で見守る人も。

 1995年の建立以来続く謎の行動。実は、夜になったら川側から見てもらいたい、というサービス精神のなせる技なのだ。遊覧船の往来が少なくなる午後10時ごろ、像は元の位置に戻り朝を迎える。

(この項、「」HPより)

今回行ったところ、閉館しているようでした。

これで、「小名木川」編は終了。この際、日本橋の旧市場跡まで、「日本橋川」を散策してみます。

                     1880年代のようす。上の→が「小名木川」。下の←が「日本橋川」。当時の「永代橋」と現在の位置は異なっている。

                     2010年代のようす。永代橋が下流に移っている。


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