おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

M党のMくんの「世迷い言」

2005-12-20 23:40:58 | 平和
 民主党大会でMくんは「公」を強調し、新保守主義者らしい言い回しで、改憲策動に手を貸しました。これで憲法第9条の命運は決定づけられました。憲法改悪・第9条改悪による、戦争国家への道、「平和」のために国民を戦争に駆り立てる、自公路線に賛成の姿勢を示し、自らの立場を最大限に利用し、民主党総体を自民党にすり寄らせました。
 「公」明党のやり方が、自らの路線を貫徹させるため、「私」を「公」に変えること、すなわちここではすべての個人の思想信条を、学会の思想(公)、似非宗教思想路線に無理矢理従属させるために名付けられていることを知った上で、あえて「公」を強調する、そこに民主党員も反論しない、まさに日本の政治の危機的状況があります。今や大政翼賛会化ということになりました。多くのマスコミも反論しない状況です。
 山脇直司さんが次のように述べています。
 
 私自身は、日本語の「公」には英語のpublicではなく、officialなものを感じてしまう方なので、「公」という言葉を好きになれません。そのため、「政府や官の公 the official, the governmental」と「公共 the public-common」と「私的なもの the private, the personal」の三つを区別することを提唱しています。それで、「民(人々、たみ)が担う公共: 主権、選挙、オンブズマン、NPOなどで、民主主義社会において最も尊重されるべきもの」「官や政府が担う公共: 公共事業や社会保障などで、その正当性は民(人々)によってチェックされるもの」「営利企業が担う公共:CSRやメセナなどで、その評価は民(人々)が行うもの」という考え方が可能になります。
 そうした考え方をを基に、「個人個人を活かしながら、民の公共を開花させ、政府や官の公をできるだけ開いていく」という意味での「活私開公」を、小林正弥さんや稲垣久和さんなどと共に唱えています。
                   (publicーpeaceより引用)
 
 「公共」ということばも違和感がないわけではありませんが、「私」をないがしろにしがちな「公」という言葉のほうに、より違和感を感じます。
 「個人」と対応する考え方とらえかたとしての、「公共」という概念・モチーフを、この際、運動としても考えてみる必要があるように思います。「個人」を尊重する、大事にし、基本とする「公共」という概念が必要なのではないかということです。
 そうしてみると、Mくんの発言の軽率さと危険性を感じるのです。
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