おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「サウンドオブミュージック」(古きよき映画シリーズその4)

2012-11-16 21:27:02 | 素晴らしき映画
 「ミュージカル」。ストーリーも、歌われる曲も有名。あらためて観ても、よく出来ています。

 修道女のマリア(ジュリー・アンドリュース)は、7人の子供がいる退役海軍大佐トラップ(クリストファー・プラマー)家の家庭教師となります。トラップ家の古風で厳格なしつけに対し、マリアは、子供たちに音楽の楽しさ、歌うことのすばらしさを教えます。ひどく批判的だった大佐も、子供たちの美しいコーラスを聞いた時、音楽を愛した昔を思い出し、次第にマリアに心を開いていきます。
 トラップ家でパーティが開かれますが、オーストリアではナチの勢力が強くなている時代(ドイツによるオーストリア併合)、広間に飾られたオーストリア国旗はナチ派の非難のまとに。ダンス中に大佐を愛しはじめている自分に気づくマリア。
 自分もマリアを愛していることで、大佐は男爵夫人との婚約を解消し、マリアと結婚します。
 ハネムーンから帰った大佐を待っていたのは、ナチスからの召集令状。ナチスの台頭を許せず、母国・オーストリアを愛する大佐は、一家でスイスへ亡命することを決意します。
 トラップ一家が亡命するために屋敷を出たところにやってきたドイツの官吏、大佐を新たな任務先へ護送しようとしますが、大佐は歌のコンクールへの一家での出場を口実にし、護送の延長を認めさせます。
 ナチス突撃隊らの厳重な監視の下、ザルツブルクの祝祭劇場で行われたコンクールで、《Do-Re-Mi「ドレミの歌」》、オーストリアの愛国歌(という劇中での設定ですが)《Edelweiss「エーデルワイス」》、そして《So Long, Farewell「さようなら、ごきげんよう」》を歌う一家。 審査の結果、トラップ一家が優勝します。その表彰式の隙に家族は逃げ出し、修道院に身をかくします。そこで、長女の恋人で、今はナチに与するロルフに見つかりますが、危機を脱して裏口から車で逃走します。
 ナチス突撃隊も追跡しようとしますが、車のエンジンがかかりません。修道女たちの手には、その車から外された部品が握られていました。 一家は山を越えて、亡命先のスイスへと向かいます。

 映画の中で歌われる曲(ほぼ順番に)。
《The Sound of Music》主題歌。
《Maria「マリア」》
《I Have Confidence in Me「自信を持って」》
《Sixteen Going on Seventeen「もうすぐ17才」》
《My Favorite Things「私のお気に入り」》
《Do-Re-Mi「ドレミの歌」》
《The Sound of Music》
《Lonely Goatherd「ひとりぼっちの羊飼い」》
《Edelweiss「エーデルワイス」」》
《So Long, Farewe「さようなら、ごきげんよう」》
《Climb Ev'ry Mountain「すべての山に登れ」》
《Something Good「何かいいこと」》
《Do-Re-Mi「ドレミの歌」》
《So Long, Farewell「さようなら、ごきげんよう」》
《Climb Ev'ry Mountain「すべての山に登れ」》。
 今でも口ずさまれる曲が多いことに気づきます。特に、ラストシーン。一家で山越えをするときに歌われる「Climb Every Mountain」は、前途の困難にも何とか希望を持って乗り越えていこうとするトラップ一家の姿が、美しい自然の風景と一体となって、観客にも一緒に味わえるすばらしい一曲となっています。

 
 この作品は、あくまでマリアの自伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』を「基にした」ミュージカルを「基にした」映画であり、史実とは異なる点が多々ある。(元のミュージカルの時点で相当史実と違いが生じていた)
・映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時すでにマリアは修道院をやめていた。
・トラップは「大佐」と呼ばれているが、これはオーストリア・ハンガリー帝国海軍の複雑な階級制度から来る誤訳であり、実際には少佐が最終階級であった。
・実際の合唱団にはトラップ少佐の7人の連れ子の他に、マリアが産んだ3人の子供も加わっていた。
・実際にトラップ・ファミリーに音楽を教えたのはマリアではなく、トラップ一家に居候していた神父フランツ・ヴァスナーである。
・実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、トラップ少佐の方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役だった(渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、トラップ少佐の死後マリアだけで子供達をまとめきれなかったのも一因とされる)。伝記がミュージカル化される際、マリアは事実が脚色して描かれる事には寛容だったが、亡き夫が横暴に描かれるシーンにだけは納得しなかった。
・実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民も多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍やアドルフ・ヒトラーを迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では97%が賛成したとされるが、ドイツ軍進駐前に国民投票を行えば合併拒否が選択されることは確実であったという見解もある。ただしヒトラー自身がオーストリア出身である。
・トラップ一家が亡命したのは、トラップ少佐の元に召集令状が届いたためではなく、ヒトラーの誕生日に一家の合唱団が歌を歌えとドイツ軍に命令されたためである。
・映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス突撃隊の追跡を振り切るが、史実では列車と車を乗り継いでチロル州の山奥に逃げ、警備が比較的甘かったイタリアとの国境をアルプス越えして平和裏にオーストリアを脱出した。
・またオーストリアを脱出の山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルク-スイス越えルートとは全くかけ離れた場所で撮影された。このため地元民から見ると唖然とするような、地理的にありえないラストシーンとなった(ザルツブルクから山越えすれば現在のドイツ領に入る。その傍にはアドルフ・ヒトラーの別荘すら存在する)。

 以上のように、「Wikipedia」では映画と実話との相違点を列挙しています。
 だからといって、この映画のおもしろさ、すばらしさを楽しむ気持ちを奪ってはいないと思います。アメリカ映画らしく舞台背景としての「反ナチ」の色の濃さに、史実との違いを含めて、しかめっ面をする向きは今でもあると思いますが・・・。



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1 コメント

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どこのドイツ (ガーゴイル)
2022-10-03 13:09:44
べー軍のべーのトラップ家はトラップサービスの創業者一族である。

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