おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その3。(「川越街道」第2日目。)

2019-01-11 19:52:36 | 川越街道
                          (13:22)国道を進み、しばらくして再び左の道へ。
                               

国道の喧噪から離れ住宅街を進む。 

(14:01)40分ほど歩くと、「不老川(ふろうがわ)」を渡ります。

                        ほとんど水の流れがない。
不老川
 霞川、柳瀬川などと並び、かつての古多摩川の名残とされている。周囲は武蔵野台地に位置し、地下水も低く、水に恵まれないため畑作(狭山茶など)が行われていた。貴重な河川であったことから親しみを込めて「大川」(おおかわ)と呼ばれることもあった。大雨の際には水がすべて不老川に集まるため、しばしば氾濫を起こし、2000年代以降にも河道の拡張工事が行われている。 1983年から3年間連続で「日本一汚い川」になるという不名誉な記録を作った時期もあったが、現在ではその汚名を返上している。
 市民団体や行政により浄化の取り組みが続いており、小魚や水生昆虫、カルガモなどが生息する程度まで回復している。狭山市の流域においてはしばしば鯉が泳ぐ姿も確認されている。週末になると釣り人も多い。一方、近隣河川や池沼同様に特定外来生物であるウシガエルの生息・繁殖も確認されるようになり、回復しつつある生態系を保全するためこれを駆除するとともに、オタマジャクシや卵の除去作業も続けられている。
 元々の読みは「としとらずがわ」であり、江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』では「年不取川」の表記を用いている。近代以降「不老川」の表記となったことから音読みの「ふろうがわ」という読みが広まり、現在、一般化している。この川を示す看板には「ふろうがわ」「FURO RIVER」という読み仮名がふられているものもある。

「としとらず」の由来
 雨が少ない冬になると干上がってしまい、太陰暦における年のはじめ(旧正月・春節)には水が流れなくなる。このため旧暦正月に全員が1歳ずつ年齢を重ねる数え年の習慣における加齢の際にその姿を現さないため「年とらず川」あるいは「年とらずの川」と呼び習わされている。また、干上がった川の橋の下で一晩を過ごすと、歳をとらないといわれる伝承があり、そのことから、「としとらず」川といわれるようになったともされる。
 生活雑排水が流れ込むようになると水量が増え干上がることはなくなっていたが、生活雑排水が流れ込まなくなってからは水量が減り、現在一部流域では水が干上がることがある。

年不取(としとらず)川を詠んだ歌

武蔵野や年とらず川に若水を汲程もなく春は来にけり
昔し誰わたり初けん武蔵野の若むらさきの年とらず川


江戸期の随筆より。(詠み人は不詳である。)

(以上、「Wikipedia」より)

旧家のたたずまい。



しだいに上り坂になります。

                   

(14:09)「烏頭(うとうざか)」。左手高台は「熊野神社」。

                                
烏頭坂
 旧川越街道を岸町から新宿2丁目・富士見町へ上る坂道で、往時は杉並木がありうっそうとしていた。
 新河岸川舟運が盛んな頃は、荷揚げした荷物を市内の問屋街に運ぶときに必ず通らなければならず、難所として知られていた。川越の地名として古くからあり、文明18年(1486)頃、この地方を遊歴した道興准后の『巡国雑記』に、「うとう坂こえて苦しき行く末をやすかたとなく鳥の音もかな」という歌がある。

注:「うとう」という地名は全国に存在していて、空洞状または凹状の地形、さらに切通しを指すところが多いようです。

その先に「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」山車の収納庫。 

コノハナサクヤヒメとはどんな神様?

 コノハナサクヤヒメという神様は、竹取物語のかぐや姫のモデルにもなったといわれる、日本神話に出てくる国津神という神様です。
 物語の中でとても重要な働きをする神様で、今の天皇家につながる神様です。
・・・
コノハナサクヤヒメと富士山・浅間神社との関係
 コノハナサクヤヒメの名前が有名な神社と言えば、富士山頂に奥宮を奉る、富士山本宮浅間神社です。
 浅間神社の主祭神が「コノハナサクヤヒメ」で、配神には、コノハナサクヤヒメの夫であるニニギノミコト、父のオオヤマヅミの神が祭られています。富士山を頂く、浅間神社は古くから富士信仰の拠点になります。
 そのため、諸説ある神社になり、元々はコノハナサクヤヒメが祭神ではなく、富士大権現、富士大菩薩、浅間神、浅間大菩薩と言う呼称で一般に信仰を集めていました。
 その後、江戸時代の文献の中で、富士山がその昔活火山であったことと、コノハナサクヤヒメが火の神であったことから、富士山の主祭神の浅間大神はコノハナサクヤヒメの別称という表記も見られます。
 また、富士山の美しい姿から、富士山に女神がいるということも昔から言われていたことから、後にコノハナサクヤヒメが祀られたとも考えられています。

 コノハナサクヤヒメはアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトと結ばれ、天皇家につながる子供を生むことになる、日本神話の中でも有名な神様です。
 天孫降臨後、葦原の中つ国で国の経営をしていたニニギノミコト。
 ある日、笠沙の岬を散歩しているときにとても美しい姫に出会いました。その姫がコノハナサクヤヒメです。
 あまりの美しさにニニギノミコトはすぐにコノハナサクヤヒメにプロポーズをします。
コノハナサクヤヒメはそのプロポーズについては父の神であるオオヤマツミノカミに確認をしますと伝えます。
 コノハナサクヤヒメから、ニニギノミコトに婚姻を申し込まれたとオオヤマツミノカミは聞くと、大喜びをします。
すぐに結婚を了承をしますが、ただコノハナサクヤヒメとの結婚を了承するだけでなく、コノハナサクヤヒメの姉であるイワナガヒメも一緒に嫁ぐことを申し出ます。
 オオヤマツミノカミの配慮でコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹二人がニニギノミコトの元を訪れましたが、ニニギノミコトはイワナガヒメをオオヤマツミノカミの下に返してしまいました。
 理由はコノハナサクヤヒメとは違い、イワナガヒメは見た目が醜かったからです。
 オオヤマツミノカミはそのことを受けて、ニニギノミコトにこのように伝えます。
「私がイワナガヒメを一緒に嫁がせたのは、コノハナサクヤヒメは美しい美貌を持っているが、桜の花のようにすぐに散りゆく(短い命)であるため、
イワナガヒメという、岩のように永遠の命を持つものを一緒に授けました。
 しかし、それを断ってしまったため、ニニギノミコト様の子供は天津神のような永遠ともいえる寿命を持つことはできず、短い命になるだろう。」
こうして、神の子供ではあるが、天皇家は人間と同じような短い命になってしまったのです。
 そんな事件はありましたが、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは深い愛で結ばれました。
ある日ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメから懐妊をしたと報告を受けます。
 しかし、ニニギノミコトはそのことについてある疑いを持ちました。
それは、コノハナサクヤヒメとは一夜を共に過ごしましたが、その一夜で子供を授かったと言うのです。
 ニニギノミコトはその子は自分の子ではなく、自分以外の国津神の子ではないかと疑うのです。
 この疑いを受けたコノハナサクヤヒメは激怒します。
 そして、この疑いを晴らすために次のように言います。
「そこまで言うのであれば、その疑いを晴らすために、産屋に火を放ちそこで出産をして見せましょう。天津神の子供であるのならば、どんな状況でも無事生まれます。そうしてその疑いを晴らします。」
 コノハナサクヤヒメは宣言通り、産屋に入ったのち、その小屋に火を放ちます。
 そしてごうごうと燃え盛る小屋の中で3人の元気な男の子を産むのです。
 コノハナサクヤヒメがご出産された三柱の子供は上から

火照命/ホデリ(=海幸彦)
火須勢理命/ホスセリ
火遠理命/ホオリ(=山幸彦)

 と名付けられました。
 そして、3男であるホオリの孫に神武天皇がお生まれになるのです。

(この項、「」HPより)

 「富士浅間神社」は、この先、街道の東側にあります。



                「国道254号線」と合流します。

 (14:14)歩道橋で「国道16号線」、JR川越線、東武東上線を越えて行きます。


                            

旧道をゴールである「川越市役所」まで進みます。


                       


1880年代のようす。「川越街道」以外の道路や鉄道はない。



2010年代のようす。中央が「国道16号線」等との交差点。
 
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