まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

IBAエムシャーパークに思うこと

2011-02-13 00:19:57 | 建築・都市・あれこれ  Essay

近々IBAエムシャーパークの事業で建築家として都市デザイナーとして活躍したクリスタ・ライヒャー氏の「『ルール地方の転換戦略と将来構想』ポストIBAエムシャーパークのまちづくり」とした講演会があります。

私たちは産業遺産を活用したまちづくりの実践と研究をしています。鶴岡まちキネはその到達点の一つでもあり、出発点でもあります。そういった私にとってIBAエムシャーパークの存在は大変気になるものです。講演を聴く前に『IBAエムシャーパークの地域再生』という本を読み返してみました。この本の副題は「『成長しない時代』のサステイナブルなデザイン」となっています。私と同じJUDIのメンバー永松栄さんの編著です。あらためて読んでみて大変参考になることが多く、以下思いつくままメモしておきたいと思います。なおこの文章でのIBAエムシャーパークについての記述は、この本の内容を引用させていただいていることをお断りしておきます。

IBAエムシャーパークという名の地域づくりが行われたのは、ルール地方のエムシャー川沿いの800K㎡のエリア。200万人が住み17自治体に関わります。19世紀半ばから石炭と鉄を中心とする重工業地帯として発展しましたが、20世紀後半からは産業構造の転換で一気に衰退が進み人口減少、高い失業率などの構造的問題に直面しています。水質や土壌汚染などの環境問題もあります。都市構造的にも他の地域のように中世都市から生まれたコンパクトな都市と美しい郊外という形態ではなく、工場の周りに住宅地が絨毯のように広がるという、いわば日本にも似た構造を持っているようです。

そういった課題に対して、ノルトライン・ヴェストファーレン州が「改革運動のモデレーター」として動き始めたのです。州はIBA(国際建築展)というドイツの伝統的手法を対象地域に適用し、1988年から1999年の間で、生態的環境の質と都市(居住)空間の質を飛躍的に高めることを目指しました。

具体的には、IBAエムシャーパークという公社(100%州の出資)を作り、公社が各自治体や自治体連合、民間事業者の100を超えるプロジェクトを束ねました。すべてのプロジェクトの共通目標を失わないために、7つのテーマのもとに5つのプロジェクト群が整理されています。 その中に私たちの活動と共通する「産業建造物の保存利用」も位置づけられており、多くの成果を上げています。

その詳細な内容は、本の中に美しいカラー写真とともに紹介されているので、そちらを見ていただきたいと思います。ここでは、この一連の事業、取り組みから感じたことを記述しておきます。

①成長しない時代の発展の方法

うまい言葉がないので「発展」と書いたので、量的拡大を思ってしまいますが、IBAエムシャーパークを英語で紹介する文章にはchange without growthという言葉がよく出てきます。拡大することを期待するのではなく、質的な変化をこの機会に成し遂げようということでしょう。

ドイツは70年代の半ばから人口の自然現象が続いています。ルール地方でも50年代のピーク時から20%を超える人口が減っているそうです。

西ドイツ全体で見るとその当時から海外移民の受け入れで社会増を維持してきたわけです。私が80年初頭にドイツを訪れたときにたくさんのトルコ人労働者街があるのに驚きましたが、その傾向はその後もすっと続いています。ここで着目すべきはそういった時代には地域構造を生態環境的でサステイナブルなものにすることができるしそうし続けることが必要であると理解されていることです。先ほど述べた質の変換の好機であるととらえているのです。さらにそのためには都市計画と建築に対する高い質が必要になるという認識も共有されています。この背景にはドイツを含むヨーロッパでは都市計画が建築と同じ人の住む環境を造形する芸術的行為だという文化的背景があるように思います。

IBAエムシャーパークは本のサブタイトルのように「成長しない時代のサステイナブルなデザイン」の好例です。

②停滞を打ち破るために構造的な変換を求めたこと

エムシャーパークの地域でも停滞に対して、当面の施策として遊休地を区画整理して新たな産業誘致という方法もあったと思われます。しかし彼らは、そうやって市場価格の低い土地をえさにして企業を誘致しても、今の大きなトレンドを変えることは出来ないと判断しました。

5つのプロジェクトとしてあげられているエムシャーランドスケープパークや水系の自然再生など都市空間の質を根本的に買えることで大きなトレンドからの構造的変化を起こすことを狙ったのです。

このことは、次のことを思い起こさせます。私たちは、産業遺産としての絹織物工場を映画館にコンバージョンするまちキネ作りに取り組みましたが、そもそもまちキネの計画はより大きな松文鶴岡工場跡地利用構想の一部をなすものです。2年後の移転が決まった2006年の夏に商工会議所首脳からその構想を聞いたときに私は正直大変驚きました。なぜかというと、その発想がIBAエムシャーパーク的な「構造的な変換」を発想したものであったからです。「デヴェロッパーに開発を任せると既存トレンドに乗ったものしか出来ない。それでは鶴岡中心部を構造的に変えていくことが出来ない。そこで、トレンド(当面の需要)から発想するのではない新しい利用形態と開発スキームを考えた」ということでした。トレンド(当面の需要)対応ではないわけですから、事業としてはリスクを伴いますが、そこは構想力とアイデアで牽引していこうというもので、それが第1期計画としてのまちなか映画館に繋がっているのです。

③ワークショップとしてのプロジェクト

そもそもIBAエムシャーパークのプロジェクトには「古い産業地域の未来に向けたワークショップ」という副題がついています。

公社は実行の予算や権限を持っていたわけではなくあくまでもモデレーターです。また、完成度の高い計画案を見せることで自治体などの事業者を束ねたわけではありません。単純な「成長」ではない時代、価値観や生活実態が多様化している中では、「計画」概念自体も変えなければならないという認識です。それがワークショップという言葉に表現されています。プロのプランナーも次の段階をおぼろげに思い浮かべることしか出来ないのですから、多くの人たちのイノベイティブなアイデアを導くようにモデレートしていくことが大きな役割となるのです。

一方で、建築家や都市計画家には空間の高い質を提案する力が求められ、多くのプロジェクトではコンペが実施されています。

 ④高い人口密度と集中的な投資

 

 上の①から③の点は大いに学ぶべきだと思いますが、日本とは大きく背景が異なる要素もあります。まず、800K㎡に200万人が住むという高密度です。ここにIBAの10年の期間中で50億マルク(うち公共が23)の投資がなされたのです。期間を限定し、密度が高いからこそ多くの投資効果が期待されたといえるでしょう。

 

 鶴岡は1400 K㎡近い広がりの中に14万人ですから、なかなか投資を集中するのが困難だと想像されます。しかし、だからこそ先ほど紹介したような「構造的変換」を生み出すようなイノベイティブなプロジェクトを官民合わせて推進するということが必要に思えるのです。

 以上思いつくままメモしました。残念ながら、まだ現地を訪れたことがありません。change without growthの必要な私たちにとって、必見プロジェクトであることは間違いなさそうです。


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1 コメント

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高谷先生 (ナガマツ サカエ)
2011-03-18 16:22:55
高谷先生
 今、震災で宮城大学のサーバーが休止しており、情報系の仲間が自前で動かしているサーバーにつながっているパソコンを借用しています。そんなこともあり、偶然、先生のブログを見かけて覗かしてもらいました。
 本の紹介をいただき、うれしく思います。最初の地震から1週間たち、少しは冷静に事態をみることができるようになってきました。先生のエムシャーパークの要点整理を読んでみて、直接、東北地震復興につかえるわけではないのですが阪神淡路復興モデルをトレースすれば、それでよいというものではないということが頭の中ではっきりしてきました。

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