
えー、大阪文楽劇場に行ってきた。
毎年新年のあいだに文楽、狂言、落語と対面することになって数年。
狂言と落語に共通点はあるが、なんで文楽なのかは本人も謎。
いつも不思議だったのは、落語や狂言の座席に外国の人がいるのはあまり違和感なかったが、文楽は不思議であった。
あの荒唐無稽なストーリー。日本人も分からない言葉。いいまわし。そしてあの好き勝手な、とうてい許せそうもないどんでん返しの連続の文楽。
なんであれを外国のひとが見にくるのかわからなかった。
今日も後ろから3列めの席だったが、まわりは外国人。後ろ2列もすべて外国人(ヨーロッパ系らしい)
彼らが4時間15分、身ゆるぎもせず先代萩やお里沢市のものがたりを見ている。
しかも日本人の観客はほぼ高齢者なのに、彼らはみな若者である。
昼の休憩時には頭をスカーフで包んだ女性たちが食べるカレーの香りでロビーは珍しい雰囲気だ。
「いったいわかっているのかいな」と思うのはわたしだけでもなさそうである。
前席の人もつぶやきつつ後ろを気にしている。するとお連れが言った。
「えらいやん。なんでも見てやろういう精神」
そうなんか、そういうことで彼らは目をかがやかして浄瑠璃の熱演に耳を傾け、人形のあの人間とは思えない動きに見入っているのだろうか。
そして人間国宝があやつる人形のなんともいえない美しさを理解するのかもしれない。
いや、私も、わからないつつ惹かれる、というけったいな気分である。
先代萩の乳母が幼い主君のために炊事をするシーンの美しかったこと。
あのシーンを語る浄瑠璃のなんと…。また行きたいではないか。
毎年新年のあいだに文楽、狂言、落語と対面することになって数年。
狂言と落語に共通点はあるが、なんで文楽なのかは本人も謎。
いつも不思議だったのは、落語や狂言の座席に外国の人がいるのはあまり違和感なかったが、文楽は不思議であった。
あの荒唐無稽なストーリー。日本人も分からない言葉。いいまわし。そしてあの好き勝手な、とうてい許せそうもないどんでん返しの連続の文楽。
なんであれを外国のひとが見にくるのかわからなかった。
今日も後ろから3列めの席だったが、まわりは外国人。後ろ2列もすべて外国人(ヨーロッパ系らしい)
彼らが4時間15分、身ゆるぎもせず先代萩やお里沢市のものがたりを見ている。
しかも日本人の観客はほぼ高齢者なのに、彼らはみな若者である。
昼の休憩時には頭をスカーフで包んだ女性たちが食べるカレーの香りでロビーは珍しい雰囲気だ。
「いったいわかっているのかいな」と思うのはわたしだけでもなさそうである。
前席の人もつぶやきつつ後ろを気にしている。するとお連れが言った。
「えらいやん。なんでも見てやろういう精神」
そうなんか、そういうことで彼らは目をかがやかして浄瑠璃の熱演に耳を傾け、人形のあの人間とは思えない動きに見入っているのだろうか。
そして人間国宝があやつる人形のなんともいえない美しさを理解するのかもしれない。
いや、私も、わからないつつ惹かれる、というけったいな気分である。
先代萩の乳母が幼い主君のために炊事をするシーンの美しかったこと。
あのシーンを語る浄瑠璃のなんと…。また行きたいではないか。