山に登りたい 

あの山にも、この山にも、もっともっと登りたい!

リベンジ可愛岳

2018-05-09 23:45:18 | 宮崎県の山
2018年5月3日(木)晴れ 可愛岳728m

何としても、可愛岳に登りたい!!
2月に登るつもりが雨で断念してしまい、ずっと気になっていました。

「西郷どん」無念の可愛岳に今日こそ登ります!
明治10年8月15日、和田越の戦いに敗れた西郷は「薩軍解散布告令」を出した後、僅か600名の兵たちと共に17日夜10時頃可愛岳突囲を決行する。
その足取りをたどって南コースで登ることにしました。

民家の側に標識は小さくて、見過ごしそう。

地元の方に声をかけていただき、間違えずに済みました。

桐野利秋宿営の地


南コース登山口


西郷さん達はここを歩いたのかなあ。


暑い夏の夜に


地元の住民数人に案内させ、その先に望みがあると信じて突囲したのか。

その思い、想像してもしきれない。

水のみ場


炭焼き跡


ザレの平
ここも歩いたのかな。


前屋敷…誰かのお屋敷があったのだろうか。


拝門とあったので、額ずいて祈りました。


この先がノゾキです。




高さ70メートルの断崖絶壁になっていて、逆さづりの修験者たちの修行が行われていたらしい。
この岩からつるされたのかな。

怖くて覗けないよネー。

見晴らしは最高!


ちょっとしたロープ場があって、


鉾岩


山頂に着きました!

ここで昼食。一息入れましょう。

おや、クマバチがホバリングしてる。さっさと下山しようよ。


帰りは分岐まで戻って、北コースで下山します。

烏帽子岳588m


見晴らしいい!


巨石があったり、


でも地味で荒れた登山道でした。


中津大四郎自刃の地の墓標とお墓。
誰かお参りしてくれているのでしょうか。
寂しいね。


ニニギノミコト御陵の地。
西郷さんは政府軍が天皇家の祖先の墓に向けて砲撃はできないであろうと考え、この地に宿陣したのです。


資料館に戻ってきました。

入場料が無料になっていました。
時間があるので、ゆっくり見学しました。
何か、切ない……。

可愛岳は地味な山でした。
寂しい山でした。リベンジできてよかったです。


本日の軌跡





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2 コメント

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リベンジ (yamabousi)
2018-05-10 09:07:28
おはよさん!
リベンジできてよかったですね。
自分も薩摩の出身なので、ことのほか、思い入れのある
山でした、
一つ一つの遺構と墓標に歴史を感じながら、歩いたことでした、それにしても敗走の陣、せつないですよね
あの資料館を見ると、薩摩の人と 丸に十の字が今も
その心意気が伝わってきます。
あそこから高千穂経由して薩摩に帰ったのですよね
きっと当時は険しい山道だったことでしょう。
訪ねて歩いてくれてありがとうと言う気持ちです。
山帽子さん、ありがとうございます (けいこたん)
2018-05-10 23:09:06
可愛岳に登れて、胸のつかえがとれた感じです。
薩軍の思い、いかばかりか・・・、せつないですね。
やはり当時は険しかったのだろう、ジグザグの登山道ではなく、直登だったかもしれない。夜なのに…など、思いながら歩きました。
そして、山帽子さんのことを思いながら、登りました。
同郷だと、切ない想いはひとしおですよね。
登れてよかったです。
私こそ、ありがとうございました。

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