天保十一年十一月一日、酒井忠発が、江戸城黒書院で、三方領地替を言い渡されました。
忠発と庄内藩にとりましては、まさに「青天の霹靂」でありました。
ところで、当日の江戸の天気はどうだったでしょうか。
江戸九段下の【井関隆子日記】によりますと、「時雨の雲も昨日に尽ぬるにか、日影花やかに晴わたりぬ」
となりまして、前日までのぐずついた天気がようやく晴渡ったようです。
全国の天気分布図を見ますと、
となっており、日本海側の一部を除き日本列島は概ね晴になっております。
忠発の言い渡された時間は正午前後と考えられますので、
午正晴、55度、29寸7分【霊憲候簿】 言い渡された時の江戸城黒書院での天気は晴、気温は摂氏12,8度前後で、
暮れも程近い、新暦11月24日としては穏やかな天気でしたが、天気とは裏腹に「神田大黒」の庄内藩江戸屋敷は
暗雲の中にあったと考えられます。
柴又の寅さんに言わせれば「空は晴れても、心は闇よ」と言ったところでしょうか。
冗談はさておき、暮れには早速国元に向けて、矢口弥兵衛が早駕篭で出立します。
早駕篭出発の時は、気温は摂氏11.7度と高めでしたが、江戸も曇りとなりました。
秋田、山形では、一月前の十月一日に初雪が降っており、道中の雪も心配です。
興味は尽きませんが、夜も更けましたので、今日はこの辺で「おやすみなさい」
忠発と庄内藩にとりましては、まさに「青天の霹靂」でありました。
ところで、当日の江戸の天気はどうだったでしょうか。
江戸九段下の【井関隆子日記】によりますと、「時雨の雲も昨日に尽ぬるにか、日影花やかに晴わたりぬ」
となりまして、前日までのぐずついた天気がようやく晴渡ったようです。
全国の天気分布図を見ますと、
となっており、日本海側の一部を除き日本列島は概ね晴になっております。
忠発の言い渡された時間は正午前後と考えられますので、
午正晴、55度、29寸7分【霊憲候簿】 言い渡された時の江戸城黒書院での天気は晴、気温は摂氏12,8度前後で、
暮れも程近い、新暦11月24日としては穏やかな天気でしたが、天気とは裏腹に「神田大黒」の庄内藩江戸屋敷は
暗雲の中にあったと考えられます。
柴又の寅さんに言わせれば「空は晴れても、心は闇よ」と言ったところでしょうか。
冗談はさておき、暮れには早速国元に向けて、矢口弥兵衛が早駕篭で出立します。
早駕篭出発の時は、気温は摂氏11.7度と高めでしたが、江戸も曇りとなりました。
秋田、山形では、一月前の十月一日に初雪が降っており、道中の雪も心配です。
興味は尽きませんが、夜も更けましたので、今日はこの辺で「おやすみなさい」
まさに青天の霹靂ですね!
そういえば、私も井関隆子の日記『旗本布陣が見た江戸のたそがれ』という本を持っていますが、ここに庄内藩の運命の日のお天気が書いてあるとは、まったく気づきませんでした(不覚!)
いつもながら、いろは丸さまの情報収集力には脱帽です
いうまでもなく『旗本夫人』です
お目汚しをしてしまい、申しわけありませんでした。
過分なお言葉を頂き、恐縮です。
今度は、雪の具合を調べてみようと思っております。
また、お時間を頂きます。
牛の涎のように細く長くなってしまい、申し訳ありません。