糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

人間らしく生きたい

2014-09-01 | 日記

 気がつけば、このブログの更新もひと月以上ご無沙汰でした。余裕のない日々を送ってまして(本当か?)。

 

8月29日、ちょっとした企画のお誘いを受けて参加しました。

 「新日本婦人の会」という団体の支部の中に、要求でつくる「小組」があり、その企画に乗ったわけです。行き先は嬬恋村や草津町。一昨年たいへんお世話になった地域で、それ以後うかがう機会に恵まれなかったんです。

 今回、とりわけ私が行きたいと思っていたのは「国立療養所栗生楽泉園」への訪問でした。ハンセン病患者の療養所です。

 ハンセン病患者とその家族は、不知や後遺症、政策などの要因で長い間不当な差別を受け続けてきました。

 とりわけ草津の栗生楽泉園には、「特別病室」という名の重監房があり、人権侵害はなはだしい行為が国の政策によって行われていました。

 この重監房が、「資料館」内部に実寸大で再現されています。一昨年、故谺雄二さんとお会いしてお話しし、自治会の方のご案内で園内を視察した際、「ここに資料館ができるのだ」と説明を受けていたのですが、この日までついぞ訪れる機会を逸していました。そうこうしているうちに谺さんが亡くなり、残念な思いを抱えていたので、楽しみにしていました。

 

 資料館で受けたハンセン病に関する解説や映像によって、ハンセン病にまつわる歴史を知ることができましたし、再現された重監房を見て、資料館をひととおり見終わると、なおのこと、谺さんらの叫びが聞こえてくるようでした。

 彼らの願いは、根本的にはただ一つ、「人間らしく生きたい」ということです。外見が変わっても、「人間なんだ」という主張をひたすらに続けてきました。

 今、日本で新たにハンセン病に罹患する人は、年にゼロから数人なのだそうです。が、こうした「療養所」で隔離されて生きることはありません。感染力も弱く特効薬もあり、治る病気です。

 明治時代、ヨーロッパではすでにその治療法が確立され、通院によって完治する病気となっていたのに、日本では戦後も重監房を含む「隔離」は続きました。

 

 国は、いま静かに時間が過ぎるのを待っています。栗生楽泉園の入所者は圧倒的な高齢化で減少の一途をたどっています。「黙っていても彼らは滅ぶ」。

 患者たちは願っています。自分たちの生きて来た軌跡を歴史に刻むことを。この国で人間らしく生きられない人がいた歴史を後世に残し、「人権」を考えることに役立てたいと。「資料館」はその悲願の一つの到達点です。

 

 戦前、日本において「人」として扱われた基準は、「兵隊になれるかどうか」でした。病気を持つ人や障害をかかえた人たちは、「人」らしい扱いを受けられませんでした。健康や体力が基準です。

 現在、日本において「人」として扱われる基準は、企業にとって「利益を生み出せるかどうか」です。そして、「稼げる人」が「優秀」だと言われます。カネが基準のようです。

 

 しかし、人権とは本来そういう尺度で判断できるものではありません。誰かの損得とは無関係です。人を大事にすること、人間が人間らしく生きること、それが可能なことって何だろう。どんな社会だろうと、あらためて考える機会となりました。

 

 個人で「資料館」へ行っても、解説など受けられるそうです。ぜひ一度、行ってみてはいかがでしょう。

 

 今度は家族を連れて行きたいと思う私です。

 

 

 あ、写真はモノクロフィルムで撮ったのがあるんですが、いずれ現像してからアップしようと思います。


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