元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

イチローの過去世 - 新・過去世物語 人は生まれ変わる

2016-08-08 15:13:53 | 日記

http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=11676

バットは剣そのもの

 イチローをイチローたらしめているのは、あらゆることに対してこだわり抜くことだ。そのこだわりが最もよく表れているのが、バットである。

 イチローは、職人にオーダーした選りすぐりのバットを、ジュラルミンでできた金属ケースに入れて持ち運ぶ。湿気が多い時には、その中に除湿剤を入れて保管し、木製バットを湿気から守る。

 極めつけは、フォアボールで出塁する際、バットを地面に優しく置くこだわりぶり。まるで「自分の魂の一部」であるかのように大切に扱うのだ。

 こうした姿に、布製のバットケースが当たり前のメジャー選手は度肝を抜かれた。イチローが道具を大切にする姿勢は、他の選手たちに"野球人としての作法"を伝道しているかのようだ。

 バットに特別なこだわりを見せる理由を、塚原卜伝の「刀」に求めれば納得がいく。

 卜伝の刀は、当時の一般的なものよりも長く、1メートル近くあったと言われている。

 剣豪にとって、「刀は武士の魂」。もし錆びてしまえば、それは武士の恥となる。刀に新しい油を塗り直す手入れを怠ってはならないのだ。

 イチローが打席に立つ時、バットを真っすぐに立て、ピッチャーを見据える。イチローの代名詞であるこのフォームは、集中力を極限にまで高める"自己流の礼法"だ。

 それは卜伝のような剣豪が、対峙する相手を一瞬で捉えるかのように、刀を構える姿と重なる。イチローにとって、バットは「真剣そのもの」なのだ。 

究極を追い求める貪欲さ

 イチローと言えば、「練習の虫」として知られる。

 小学3年生の時から、1年365日のうち、360日を練習に費やした。中学では、朝7時から早朝練習をし、寮生活だった高校の時には、自由時間を素振りやランニングに当てた。プロになるための練習を積み重ねた。

 その後、ドラフト4位ながらも、プロ入りしたイチローは、日本の野球界で大活躍を見せ、アメリカに渡った。

 異国生活は、今年で16年目を迎え、42歳という年齢は選手の中で高齢に位置する。野球選手の平均引退年齢は29歳だが、本人は、50歳まで現役を続けると強気だ。

 それだけではない。専門家が驚くのは、高齢であるのに、イチローの筋肉が、餅のように柔らかいことだという。

 この肉体を作り上げているのは、徹底した自己管理。食べる時間や試合に向かう時間もすべて決め、誰よりも早く球場入りすると、入念なストレッチを行う。計算された体の管理が、選手寿命を伸ばしている。これらは、すべてベストパフォーマンスを発揮するためだ。

 こうした姿に、多くの人は「なぜそこまで野球を究めようとするのか」と不思議に思うかもしれない。

 実はこうした姿も、剣の道を貪欲に求めた卜伝とオーバーラップ(二重写し)する。

「神が降りてきましたね」

天才打者イチロー4000本ヒットの秘密

天才打者イチロー4000本ヒットの秘密

大川隆法著

幸福の科学出版

 イチローの真骨頂とされているのが、「メンタルの強さ」だ。数々の記録を築いてきたイチローだが、その分、逆境にぶち当たり、苦しむ時もある。その時、一つの信念に立ち返るという。

「マイナスの空気っていうのは、どうしても、皮膚から入ってくる。悪い方に流れることだけは、絶対にしない、という信念を持ってやっている」

 チームが不振にあえいでも、その空気にのまれない。心は常に平常心であることを心掛け、重圧にもあえて立ち向かい、むしろ、それを楽しんだ。

 先述した霊言で、イチローの潜在意識である守護霊は、プレッシャーについてこう語っている。

「プロでやってて『恐怖』を感じない人はいないと思う。(中略)打てない恐怖。クビになる恐怖。現役でなくなる恐怖。事故の恐怖。それから死球を当てられたり、ファンの人気が去っていく恐怖。もう、いろんなものはある」

 恐怖と戦う定めを負うイチローはよく、「覚悟」という言葉を口にする。覚悟とは何か。尊敬する王貞治氏の名前を挙げながら、次のように語る。

「王監督にも僕にも、野球のために命を削る覚悟があるということです」

 イチローにとって、ピッチャーとの対戦は「決闘」。血は流さないものの、命を懸けるに値する"戦場"なのだ。

 自らの心を追い込み、命を懸けて戦場に出る姿は、卜伝とて同じこと。

 卜伝は、37回も戦に出たにもかかわらず、6カ所の矢傷しか負わなかった。その勇名が全国に広まると、数多くの名だたる剣豪が勝負を挑んできた。真剣での立ち合いとなれば、明日の命はないかもしれない。命を懸ける戦いの連続に、卜伝は全人生を捧げた。

 しかし卜伝は、勝てば勝つほど、心に苦しみをつくった。これまで倒してきた剣豪の亡霊が、彼の前に現れ、心に「死の恐怖」が渦巻いたのだ。そして、自分の心が神からどんどん遠ざかる感覚にさいなまれた。

 魂を新生させるために、卜伝は、鹿島神宮で3年間、人との交わりを一切絶ち、自分と徹底的に向き合う「千日参籠」に入った。

 その修行の最終日に、神の啓示を受け、一撃で相手を仕留める奥義「一の太刀」という悟りを得る。この時、卜伝はついに神と一体になったのだ。

 最悪の状態から神の臨在を感じたのは、イチローにも当てはまる。

 それは、2009年の野球世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でのこと。日本中の期待を一身に背負ったイチローだったが、極度の不振に陥った。そのストレスにより、胃潰瘍をわずらい、立つのもやっとの状況に追い込まれた。

 だが、極限状態だったイチローは、決勝の韓国戦、同点で迎えた10回表にヒットを放ち、チームを世界一へと導いた。このヒットに、日本国民は歓喜の声を上げ、テレビの平均視聴率は36%を叩き出した。

 イチローは、試合後のインタビューでこう絞り出した。

「神が降りてきましたね」

 武道で重んじる「心技体」が一つとなったことで、出るべくして出たヒットと言えるだろう。

 イチローの守護霊は、神と一体になることについて次のように述べている。

「鹿島の神の霊流を引くには、やっぱり、『剣禅一如』じゃないけども、『剣』と『無我の心』でもって、神とつながっているところに、一直線に雷を引いてくるようなつもりだ」

 アメリカ発のベースボールに武士の魂を吹き込んだイチロー。彼の神髄は、過去世という霊的真実を知らなければ、十分に理解できまい。(編集部 山本慧)


 卜伝は幼少期より、剣術の名人から奥義をみっちりと教え込まれた。毎日が鍛錬の日々だった。16歳になると、恩師から実力を認められ、武者修行として諸国を巡る廻国修行に出る。

 だが、卜伝は一度の修行では満足せず、周囲の反対を押し切って、生涯三度の旅に出る。この異国生活は約30年もの長きにわたり、3回目の旅はなんと68歳の時だった。平均寿命が40歳にも満たなかった戦国時代を考えれば、異例の長寿。しかも高齢でありながら、体の衰えを感じさせなかったという。これほど剣の道を究めようとした人物は他にいただろうか。

 その修行の間、卜伝は、室町幕府の将軍・足利義輝や、武田家に仕えた軍師・山本勘助などに剣術を指南した。当時、卜伝の流派は、「無手勝流」と呼ばれ、現在、「鹿島新当流」という名で継承されている。

 卜伝とイチローの人生は、究極の世界を追い求める「求道者」そのもの。

 実際にイチローは、8年連続200本安打という107年ぶりの大記録を達成したことについて、こう語っている。

「僕の中では、それは旅に近い。(100年に1人の)旅行って言いたくなる」

 卜伝の魂にある貪欲に道を求める傾向性が、イチローのメジャー挑戦を後押ししたのだろう。

 


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宗教を批判的に報道するのは世界の非常識 日本のマスコミの矛盾

2016-08-08 13:32:13 | 日記


http://the-liberty.com/article.php?item_id=11755

日本のマスコミは、「信教の自由」への理解が十分でないようだ。

宗教の教えや内容に対して価値判断ができないためか、お金や権力、人間関係のトラブルという視点だけで宗教を報じることが多い。

しかしこれは、世界の非常識。西洋の伝統では、政治参加の自由という市民的自由権は、信教の自由と同じように保障されなければならないというのが常識だ。


◎日本のマスコミの矛盾した姿勢

日本では、「信教の自由と同じように」という発想が抜け落ちている。そのため、「民主主義の旗手」とされるマスコミが、市民的自由権を最も保障するはずの「信教の自由」を批判的に報じる。

信教の自由を尊重しないスタンスでは、障害者、女性、移民、そして少数派の政党など、あらゆる少数派の権利が脅かされてしまいかねない。

マスコミの掲げる「言論の自由」という市民的自由権は、ある日突然、この世に生まれたものではない。信教の自由を求める過程で生じてきたものである。言論の自由が認められる理由である「信教の自由」を批判しながら、言論の自由を主張する日本のマスコミは、歴史に対して無知であり、矛盾していると言わざるを得ない。


◎日本のマスコミが報じない米大統領選候補者の信仰告白


日本では、日々のニュースで宗教がポジティブに扱われることはほとんどないが、アメリカのメディアでは宗教に対してフェアな報道がなされている。

アメリカ大統領選のディベートでも、ドナルド・トランプ氏、ジョン・ケーシック氏、マルコ・ルビオ氏、ランド・ポール氏など、共和党の大統領候補者たちは自らの信仰について大いに語り、メディアもそれを躊躇なく報道した。

少し長めだが、今年1月の共和党大会でのマルコ・ルビオ候補(当時)の発言を紹介しよう。

マルコ・ルビオ氏 Crush Rush / Shutterstock.com

You see, why are we one of the most generous people in the world -- no, the most generous people in the world? Why do Americans contribute millions of dollars to charity?(なぜ私たちの国は世界で最も寛大な国、いや、最も寛大な国民なのでしょうか。なぜアメリカ人は何百万ドルをもチャリティに寄付するのでしょうか)

It is not because of the tax writeoff. It is because in this nation, we are influenced by Judeo-Christian values that teach us to care for the less fortunate, to reach out to the needy, to love our neighbor. This is what's made our nation so special.(それはチャリティに税金がかからないからではありません。私たちの国にユダヤ・キリスト教の伝統があって、恵まれない人たちに手を差し伸べるように、私たちに促しているからです。それが私たちの国を特別な国にしているのです)

And you should hope that our next president is someone that is influence by their faith. Because if your faith causes you to care for the less fortunate, it is something you want to see in your public figures.(次の大統領は、信仰心を持った人であることをみなさんは期待していいでしょう。信仰が恵まれない人に対して手を差し伸べることを促すのであれば、それこそ公の人物にふさわしいからです)

And when I'm president, I can tell you this, my faith will not just influence the way I'll govern as president, it will influence the way I live my life. Because in the end, my goal is not simply to live on this earth for 80 years, but to live an eternity with my creator. And I will always allow my faith to influence everything I do.(私が大統領になったら、信仰心が大統領としての行政に影響を与えるだけでなく、私の人生を支配するものとなるでしょう。というのも、私の人生は、ただ80年の人生を生きるというのが目的ではなく、私の創造主とともに生き切ることだからです。私は、信仰心が、私の行うすべてに影響を与えることを許します)

つまり、「大統領という公人は信仰心がなければ務まらない。信仰心がその国を素晴らしい特別な国にしているのだから」と言っているのである。

ところが宗教に疎い日本のメディアには、大統領候補の信仰告白は異常なものと映るのか、アメリカの政治家に特有なことだと考えているのか定かではないが、宗教的発言が日本で報じられることはほとんどない。


◎「信仰なき民主主義」は恐ろしい

フランスの政治思想家トクヴィルは、「信仰なき民主主義は、扇動的な世論が国民を洗脳してしまうので、多数者の専制が起こる」と述べた。ここで言う「扇動的な世論」とは、信仰なき民主主義におけるマスコミが形成するものだろう。その結果起きるのは「専制」であり、これを防ぐには信仰の力が必要だということだ。

トクヴィルはまた、「人間がもし信仰をもたないならば、彼は隷従せねばならない。そしてまた人間が自由であるならば、彼は信じなければならない」とも語っている。この言葉を深く考えるべき時が来ている。

そして言うまでもないが、政治権力は、政治参加の自由といった市民的自由権を「信教の自由と同じように」保護すべき立場にあることを忘れてはならない。(長華子)

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2016年6月6日付本欄 【討論で学ぶ】政教分離の意味、知っていますか?(中級編)
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