昨日はいつものように妻北小前の妻萬公園交差点での挨拶交通安全運動から始まりました。
午後都城に行き、宮崎県市長会研修会を聞きました。
講師は元岩手県知事の増田寛也氏(現在日本郵政㈱ 社長)で、内容は「人口減少といかに向き合うか」でした。
人口減少の推移、今から取り組みむべき対策など、議員の一人として大変参考になりました。
政治活動に活かしていこうと思った次第です。
さて市長選も中盤を過ぎ、私の耳にもいろいろと噂などが飛び込んできました。
真偽がファクトチェックされていないものを平気で言っている人たちがいるので、ここしばらくは私が議会の場で取り上げたことを中心に書いていこうと思っています。
尚、議会の場で言った事は全文西都市のホームページで検索できますし、私はこの問題を毎回のように取り上げています。
特に前押川市長の時、病院問題(新病院建築において)がキナ臭くなった時からは特に質問しています。2018年(平成30年)から2023年9月までは毎回取り上げています。
市民の皆さんの真偽チェックに役にたてばよいなと考えます。それでは一部抜粋して選挙戦の期間中書いていきます。
まず私の立ち位置を確認します。私は2007年一般市民の時(議員でない時という意味です)、救急医療を考える会の会長をさせていただき、当時崩壊状況だった救急病院を応援するため、いくつかの講演会や署名活動を行いました(署名活動は当時1市5町1村11万人の人口の時、5万6千の署名を集めました)。
そして議員の立場で命と安全を守る救急医療に携わろうと議員に手を挙げました。
応援している候補は皆さんわかっているでしょうが、2007年からの救急医療の経緯を踏まえて現職の橋田候補です。
それでは質問を簡潔にした内容で書きますが、以前ブログで書いたものを要点を明確にするために加筆、省略した部分がありますし、わかりやすいように私の質問は太字にします)。
まず2019年(新病院の機運が高まりいよいよと期待していましたが、押川元市長の迷走によって危うくなり始めたときです)6月議会。ここでは建設予定地を2018年まで話し合った内容を反故にしてからの事です。
(私)市長はセンターの未来図をどのようにえがかれているのか伺います
(押川元市長)西都児湯医療センターが担っている救急告示病院や地域災害拠点病院としての機能を維持し、引き続き地域住民の健康の維持及び安全安心の確保に寄与できるよう注力したい
(この部分は良い答えです)
(私)医療センターについてです、救急医療に関する質問は毎回しておりますが、西都の未来を考えると最も大切なことだと考えているからです
今議会では4人の議員が質問するようです、重なることがないように、なるだけ絞って質問席からうかがっていきます
昭和55年に公設民営型の西都市西児湯医師会立西都救急病院が設立され地域住民の安心安全な生活の環境つくりに貢献しましたが平成16.17年に救急病院が存続危機になりました
その原因は何だったのでしょうか?(これが2007年に市民として活動したきっかけになっています)
(当局答弁)平成16年に新臨床研修医制度が導入されたことなどの理由で、大学から派遣医師の引き上げが起こり、医師不足の状況に陥ったと認識している
(私)室長が言われる通り新臨床研修医制度が導入されたのが原因だし、救急病院を支えてこられた医師会の先生方の高齢化も原因だと思っています。
ですが現在のセンターを見てもらうとお分かりでしょが、乗り越えることができました。それを乗り越えられたのは、どういう要因だったと市長はお考えになられますか
(押川元市長)
・ 西都救急病院に残られた医師やスタッフの方々が限られた人数の中でも診療を継続していただいたこと
・ 地元医師会や市議会などが協力して病院運営や医師の確保に奔走されたこと
・ 多くに市民の皆様に支えていただいたこと、 以上の要因で乗り越えられたと考える
(私)そのころ経営されていた医師会の苦労、常勤医として診療に当たられた濵砂先生やスタッフ、そして昭和55年から平成16年までの救急病院の功績に対し、市民が支援応援したことで「西都児湯に救急医療をなくすな」という市民間のコンセンサスができたことが大きかったと思います。
ハードとソフトで分ければハード部は医療に従事する医師やスタッフ、ソフト部は市民の応援です、住民一市五町一村10万5千人の思いは特に重要です、そこで次の質問ですが、先日二回目となる議会報告会を開きました、その時何人かの市民から出たのは市民に対して新病院の進捗に対する報告がないというものでした、これはとても重大な問題だと思います。
市民は新病院を喜ぶ半面、市民をないがしろに物事が進んでいくさまに問題意識を持っています、これが続けば禍根を残すことになると心配しています3月議会に私が市民向けの報告をお願いしたとき市長は「新病院の本申請後」と言われました。
本申請を終えた今、すぐにでもやるべきだと思いますが市長のお考えをお聞きします
(押川元市長)病院債が借りられることになりましたので、用地取得の感触をある程度得ることができましたら、できるだけ早い時期に市民の皆様に説明報告会を開催したいと考える
(私)
用地取得の感触とは具体的にどういった感触でしょうか
(押川元市長側)
・用地取得に当たって協議に応じていただけるかどうか、地権者の意向を確認するものである
(私)今回鑑定評価の予算が計上されていましたが、鑑定は感触を得るときには行っているのでしょうか?(ここが後日問題になった点でもあります、私たちは比較するため(鑑定しないとIC近くの土地と比較できないと言い続けたので)に鑑定することを了としました、ところが鑑定評価を了とした、議会は鑑定して場所を承認したと話をすり替えて市民に話しました)
(押川元市長側)用地取得の感触をある程度得てから、鑑定評価を実施する
(私)すると、すごく浅い意味での感触と考えられると思います、それならば極めて早い時期に、つまり決定に行く前に報告をすると受けとめますが、そう考えてよろしいですね
(押川元市長側)できるだけ早い時期に市民の皆様への説明報告会を開催したいと考えている
(私)その時には現医療センター近くである申請に提示した場所、そして最後まで残った有力だった候補地との客観的な比較を透明性を持って提示してほしいと考えます、いかがでしょうか(今までのいきさつから考えれば、当然の質問です)
(押川元市長)
・ 建設場所を妻地区(西都児湯医療センター周辺)としたのは市民、市外の皆様に認知されている
・ 基幹道路県道24号があり、公共交通機関であるバスや自動車によるアクセスが良い
・ ジェット機(新田原基地)の騒音被害が抑制され療養環境として優位である
・ 市役所本庁との連携が緊密にできる
・ 道路改良等がなく付帯工事の費用を抑えることができる
・ 人口が減ってしまう本市の現状を考えコンパクトシテイとして考える
(市民市街の皆さんに認知されていると述べましたが、この時点ではまともに説明されていないので、センター側はもとより、報告会の前なので市民は知らされていません)
(私)今説明されたのは現医療センターにきめた後付けの理由を述べただけに感じます。土地の面積、土地の形状、単価、購入に至るほかの要素、児湯との利便性などなど比較を出してもらいたいという意味です。是非用意して報告会に臨んでほしいと思います
さて、本申請の予定地と最終まで残り外れた土地とを比較すると私はどう考えても、最終まで残った土地の方が交通利便性、採算面これは大事です、安全性においてより良い選択だと感じています。ですが大事なのは市民の思いです、市民が未来の西都を考えて、判断できる報告を早急にしていただきたいと思います
繰り返しですが市長いかがでしょうか?(とにかく透明性をもって比較し、市民の意見を聞いて欲しいと私は希望しました)
(押川元市長側)
・用地取得の感触を得たら、できるだけ早い時期に説明会を開催したい
(私)
市民は報告を受ける時期としてはこれ以上延ばすのは限界だと感じています。よろしくお願いします。
ところでもし市民が場所等に「NO!」「NO!」
を突きつけたとしたら、申請内容を変えることは可能なのでしょうか
(押川元市長側)
・市民のご理解が得られるよう最大限の努力をしていく
(私)
すべてをさらけ出して市民の理解が得られるのなら、何も申しませんが、異を唱えることがあり、それが未来の西都を考えたとき妥当なら、方向転換することもいとわないでほしいと希望します、
もう一つは新病院を経営していくのに最も大切な要因であるのは、現実に医療センターを運営するスタッフ、それも常勤医の先生方です。
新病院計画においてセンターの先生方との話し合いはどのくらいの頻度で行っていますか
(押川元市長側)
・これまで市、地元医師会、医療センターとの三者協議や、必要に応じて医療センターの先生方とは協議をおこなってきた
(私)
平成28年の懇話会これは5回くらいやっていますね、では未来の病院を考えるという意味で活発な前向きの意見が出ていたと思いますが、最近特に仮申請前から今まで新病院の在り方についてそんなに話し合っていない気がしますが、・・伺います何度そしてどんな議題で話し合ったのでしょうか
(押川元市長側)
・ 病院事業債の仮申請をした昨年11月から今日まで7回行った
・ 合計で7回で、協議内容は病床機能、建設場所である (一昨日のセンターの皆さんが議員に訴えたところを見てください、途中で話をしなくなった経緯がわかります)
(私)最後にしたいと思います
私はもっと深く話し合ってほしいと考えます、それはセンターは一市五町一村の拠点病院だし、災害時先日は地震もありましたし、南海トラフ大地震もあるのじゃないかと言われています、その時に1市五町一村そして宮崎市の住民の命を守る新病院です。
地域の住民のみなさんも新病院を心から願っています
だからこそ
センターを経営していく先生方と行政特に市長が意思疎通を図り、未来の病院をどうつくるのか、どういう形にしていくのかまた財源をどうするのか、住民の安心安全を守り、市の財政にできる限り悪い影響のない病院に向かってほしいしそう言ったことを市民と話し合ってほしいと考えています
そして市民、市民はこれほど新病院を望んでいるわけです、ですから市長は早く報告をしますといいましたから期待をしていますが、いろいろな要素を市民にさらけ出し、こういった病院を作りますよと、こういった風に市民のための病院を作りますよ、そういったように(報告を)してほしい。
そういった報告会をやらないと、このことによって、報告会をやらないことによってまた市民が分断する、非常に不幸なことになると思います。早急に市民と一緒に考えるというぐらいの報告会を行ってもらうことを強く要望して私の質問のすべてを終了します
(非常に不幸なことになると言いましたが、その後起こったことを見れば一目瞭然です。センターの医療充実を図り、経営的にも黒字化にもっていった長田先生を公募という形で罷免し(とっても残酷なやり方です、橋田市長のように堂々と辞職勧告を突き付けた方が正々堂々としていると私は思います)、医療技術の優秀なドクターを失うことになりました。そのため貯えた3億円強の貯金は失うことになりました。鑑定評価した結果も議員には公表せず、当然新病院建設も霧のように消えてしまうことになりました。まさに市民の不幸を招いたのです)
これからは当時のブログに書いた文章です。
以上が質問です
実は今日お通夜がありました、ご夫婦とも私と親しくさせていただいた方です
奥様がご逝去されたのです
すごく行動的で明るく社会活動もやっている奥様でした
突然の病に倒れてしまいました
肺疾患の難病でした
お通夜の席でご主人さんとお話ししました、治療は医療センターで行ったのですが、その治療姿勢にいたく感動されていました
結果はお亡くなりになられたのですが、何とか直してやろうというドクターそして看護師さんたちのスタッフに心から感謝されていました
ご主人さんは私に「西都児湯医療センターは素晴らしい病院です、この病院を無くさないように、今いる医療技術の優れた、素晴らしい先生方を失わないようにしてください」このように言ったのです
生前の奥様をしのび、ご冥福を祈ってきました
ここから私の思いです
実は西都医療センターの新築計画は大変厳しい面を持っています(と私は考えます)
それは以下の2つの面です
①建築場所の問題
②診療科の問題
まず場所の問題ですが、押川市長が推進しているのは医療センター周辺といっていますが私が思うにその場所は商業施設のあるところです、そしてもう一つ候補だった場所は赤池地区です(これは数年前新病院を建築する計画があった時に候補となった場所です)
それでは箇条書きで私が問題視しているところを
1.土地価格が桁違い・・・センター近くでは計画されていた土地規模は予算規模からみて大規模な縮小となります
2.営業補償、解体の問題・・営業しているところですから先の費用が掛かります
3.一市五町一村の拠点病院という位置づけだと、市内はかえって不便な場所(やはりインターに近いほうが良い
4.1000年に一度の確率で水没する場所(これは西都市の大部分)という事だが、現在埋め立て残土ある状況(だった)
5.災害ヘリ、ドクターヘリを設置する必要がある新病院にとって、学校や保育園近くは問題
6.市役所の近くである必要性が理解できない
7.コンパクトシティは私も賛成であるが、その地域は宮崎寄りの地域が将来の町つくりに合っているので赤池地区も含まれる
8.市内中心地は軟弱地盤である
9.診療科は将来性を考える必要がある、つまりこれからのニーズと市民病院であるための採算性を考える必要がある(失った地域包括ケアが懸念である)
10.30年の長きにわたって西都市そして市民は病院債の支払いをしてかなくてはいけません、絶対必要な病院であるからこそ、その支払いをいかにして減らすか、採算性をしっかり考えなければイケナイ、そのためにはこの2点は重要である
11.同時に市庁舎も建築されますこれは約50億です(計91億7千万円)、いまだかつてない市債だと考えます、だからこそ透明性を持った議論をすべきだと思う(立派な市庁舎ができました)
12.今の若者子どもたちにとって良き判断をしたと思ってもらえる行動をしなければいけない(だって2.30年後は私たちはたぶんいないから、責任ある行動を)
もっとありますが・・・・これらをベースにして市民間で議論して建設場所を選ぶという手段を踏んでいくのが大切だと思います
市民一人ひとりが新病院の場所に対し、喧々諤々の討論し、その結果を十分生かして市は決断をしていく
今のままだと、市民が知らないうちに(真の了解を得る前に)できちゃった・・そして市民の知らないところで、将来採算性が悪く借金地獄だったという事にはしたくないと考えています
最後に言いますがわたしは新病院建設には大大賛成です、そのためにはある程度の血と汗は流す必要があるぐらいと思っています
今進めている計画が私が思っているような悪いものでなく、センターの先生方が持てる医療技術を発揮できる環境であり、それによって市民の安心安全を得ることができれば何も言いません
でも詳しい説明と比較したうえでの議論がないのが怖いのです
実は
私の母は現在入院中です、入院しているのは市内のT病院で、大変良い治療を行っていただき心から感謝しています
そしてある時は、医療センターとの協力によって母の治療は進んできました
そのような医療の協力関係が構築でき、より良い医療を受けることができる西都の医療環境の軸として医療センターの新病院を望んでやみません
西都の未来の姿(私は宮崎市のベットタウンという面が大きくなると考えます)を思ったとき命を守る医療と子供の教育の充実があって人が住むと考えます、そしてそれは西都の未来のために最も大事な要件であると信じます
だいぶ長い文章になりましたが、2019年7月に書いたものです、ファクトチェックの参考になれば幸いです。
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