アナーキー小池の反体制日記

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#375 S市神社騒動

2010年01月23日 | ボクの思い・信条・理念
先日、砂川市が住民に起こされている市有地を無償で神社に貸していることについて、最高裁の判断が下されました。
実は砂川市はボクのマチの隣にあり、ボクの今の職場はそこにあります。
そして、訴えられていた神社は2軒とも職場にごく近いところにあります。

この訴訟、随分昔から延々と続いていましたが、ようやく決着しました。
ボクは宗教の存在すら否定的な思いを持っているものだから、一部違憲の今回の新指針は真っ当だと思うものです。

でも思うところがあります。
訴訟を起こしたのは、ボクと同じ宗教に対し否定的な人なのかと勘違いしていました。
原告はクリスチャンだそうです。宗教を信じている人でした。
なんだ!、これじゃーミミクソとハナクソの争いじゃーありませんか!
他宗教に寛容性のないユダヤ教系の信者が、他宗教に便宜を与えている事に対し不満をぶつけているように思ってしまいます。(表現が下品で申し訳ありません。原告はそんなつもりは無いんでしょう。)

また、裁判所は神道を宗教と認めていますが、神道は広い意味では宗教ですが、実態は宗教以前、原始宗教なんです。
宗教の形態が未熟で教義は付け刃。
目くじらを立てて攻撃するほどの対象ではありません。

太古から人は太陽を崇め、路傍の石や草にも畏敬の念を持ち、感謝を込めて手を合わせました。

明治期にここに入植した人たちもまさにそうしたんだと思います。
神社があるわけじゃない、神主がいるわけじゃありません。
開墾したときに出てきた手ごろな石を、路傍に建て、道祖神とか馬頭観音とかに見立て手を合わせていたんです。

今回の2軒の神社はその延長上です。
開拓民の生活にゆとりが生じて、寄合いの小屋が欲しい、鳥居があれば格好が付くって、寄付を募ってようやく造ったものなんでしょう。

前にも記していますがボクは、宗教は諸悪の根源だと思っていますが、その宗教とは体系化された狭い意味での宗教のことで、原始宗教的な自然を崇めるものまで否定するものではありません。

日本神道は一時、好戦的な輩(やから)に利用され、印象の悪いものになってしまいました。
でも古代に、また明治の開拓期の民衆に与えた力は評価しなければなりません。

今回の最高裁の新指針は1件について違憲、もう1件は合憲との判断です。
法を単純に解釈すると2件とも違憲になりそうに思いますが、ボクの神社原始宗教説を一部採用し、妥当な審判になったと思います。
(一部冗談です。念のために!)





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