アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#288 ”終末から”

2009年07月02日 | 教育・文化・芸術・スポーツ
前回後半に、終末論にはくみしない、と記述しました。
記してから思い出しました。
ずっと昔に発行されていた雑誌の"終末から"です。
大学の終わりから就職した頃まで、ホンの1,2年、隔月に発行され、あっという間に廃刊になりました。
あんまり売れなかったのでしょう。
このまちでは手に入らず、札幌まで買いにいった記憶があります。

発行元は筑摩書房で、この雑誌の失敗で経営が一時行き詰まったともいわれました。
(一度、倒産したんでしたっけ?)

ボクはこの雑誌の熱心な読者で、発刊を毎回楽しみにしていました。
一言でいうとボクにぴったりな、反体制でアナーキーな雑誌でした。
赤瀬川源平や嵐山光三郎らが執筆人で、過激な意見を発信していました。

ずっと昔のことなので記憶は余りありませんが、大手新聞社に対する攻撃的な論評は憶えています。
朝日や毎日、読売といった新聞を彼らは例えば朝日新聞紙(がみ)と呼ぶんです。

新聞としての使命を果たしてないぞって、言いたかったのでしょう。
だから、新聞ではなく新聞紙(がみ)なんだ、となるのでしょう。

その時代、今よりは新聞に対する支持が強かったと思います。
新聞には、今よりリベラルでラジカルな気風があったように感じます。
それをあの時代にコテンパンに攻撃するのですから、立派です。
今の新聞は、彼らにどのように評価されるのでしょう。

・・・
東北(きっと青森県)に赴任した若い記者が、早速農家回りに行きました。
新聞社の腕章をして、農作業中のおじさんに取材をしました。
おじさんは新聞社の記者だと知ると、「新聞ってええもんだな。こったらええもんはない!」って、褒(ほ)めるんだそうです。

よ~く話を聞くと、新聞とは新聞紙(がみ)のことで、栽培しているリンゴの袋ガケに重宝しているとのこと。

この話は"終末から"に載っていたものではないのですが、ご存知の方もおられましょう。
新聞と新聞紙(がみ)はこのように大違いです。

今では信じられませんが昔、新聞紙(がみ)を今のテッシュペーパーやトイレットペーパーのように使っていました。

新聞紙(がみ)がこのような思われ方をしていた時代、赤瀬川源平は新聞(社)そのものを新聞紙(がみ)にまで貶(おとし)める文章を書いてるんです。

もっと他の事も辛辣に批判していたんでしょうが、憶えていません。

・・・
最近、大手新聞社は"押し紙"の存在を騒がれています。
発行部数を増やすため、購入部数以上を印刷し販売店に配り、それを回収し古紙業者に回すことを行っているというのです。
スポンサー料確保の関係なようですが、これぞまさしく新聞紙(がみ)屋さんに成り下がった証です。

赤瀬川源平に言わせると「"新聞紙(がみ)屋"め、とうとう"便所の落とし紙(がみ)屋"かい?」って、なるように思います。
(ボクはそんな下品なコトバは使いません。)
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