アナーキー小池の反体制日記

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#3924 記し継ぐべきこと ⑩ 滝川市の負の遺産(吉岡分・9)

2021年11月10日 | マチの事件簿

滝川市の負の遺産(吉岡分)は今回で終わりです。

吉岡清栄市長のことをボク自身は、就職してしばらくは田舎の首長ってこんなもんなんだろう、ってしか思わなかったんです。
職場の上司はみな戦前に生まれ戦前の教育を受けた封建的な者ばっかりでした。
新しい感性を持った者なんか、ほとんど存在しません。
そんな中、首長に期待するのが間違いだ、って悟っていたんです。
しかし途中、吉岡市長の評価が異様に高いのに驚きました。
国からたくさん金を引き出すことが高評価につながっていたんです。
でも国庫補助事業といっても100%国がお金を出すのではありません。
半分とか3分の1とかは地元の負担です。

ボクは当時、こんなことばっかりやっていたら、このマチの財政がどうなるのか不安を覚えていました。
そう思っている職員はけっこういたんです。

案の定、いつの時代も財政当局は“財政非常事態だ!”とバカの一つ憶えに叫んで職員の給料を減らしたりと、大変苦労?していたもんです。
しかし財政当局にしても、国庫補助事業で工事をするのは10分の1の費用でモノが出来るので大変お得!との認識を示していましたので、吉岡清栄の手先にすぎなかったんです。
吉岡市政時代、本当は借金として後に支払わなければならないお金なんだけど、買い物中毒のオバさんみたいに浪費を重ねていました。
そのツケはその後 長い間、市財政を苦しめる結果となったのでした。

そうしてるうちに、吉岡清栄は狂気に駆られたようにヘンなものを造ることの連発です。
ヘンな状況だぞ、って心配している職員は少数ながらいたんです。
しかし廻りをポチで固めた吉岡清栄にはそんな声が届きません。
とうとう20年の満期を迎えるまで、負の遺産を造り続けました。
借金体質を固定化し、将来にツケを残し、なおかつ隠れ負債のような国庫補助金の返還義務まで遺したんです。

・・・
もっと大事なことがあります。
吉岡清栄は、このマチの40年にわたる暗黒時代の元凶なんです。
暗黒時代は、彼の違法で稚拙な判断により生じました。
彼が首長現役の時も、ごろつきSのゴロツキは始まっていました。
吉岡清栄の違法で稚拙な判断が、このマチの40年にわたる暗黒時代の元凶なんです。

もう一度、伝えます。
このマチの40年にわたる暗黒時代は、吉岡清栄市長に遡(さかのぼ)ります。
後々、解決しようともしなかった面々も責任は重大ですが、諸悪の根源は吉岡清栄市長です。
そこのところはきちんと評価?しなければなりません。

なお吉岡清栄市長とは、昭和46年(1971)から平成3年(1991)までの20年間にわたり、滝川市の市長を続けた輩(やから)です。
そしてそんな吉岡清栄にいまだ心酔してるもんがいるんです。
ボクはそんなのを見て、バッカじゃ~なかろうか!って思っているんだけど。

滝川市の負の遺産(吉岡分)を終えます。

次回からは、滝川市で10年ほど前まで、委員長(末松静夫副市長)の私物と化されていた市職員懲罰委員会についてです。

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