百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

九十九、百。

2018年03月14日 | 百伝。
この頃、ずっと立ち眩み、眩暈することが多くて、よく寝ています。

今日の福井地方、気温20度を超えるポカポカの春日和でした。

身体を動かすためにも、散策して参りました。

まずは、浜町界隈から歩き始めました。

2020年東京オリンピック新国立競技場設計の建築家隅健吾さん設計の建物が見えます。





九十九橋を渡ります。



江戸時代、この橋は、石と木によって半分づつ造られていて、江戸時代には、日本三大奇橋のひとつと呼ばれたみたいです。



九十九橋を渡ると、「桃園」と言って、かつては、桃の樹園が広がっていたようです。



つくも(九十九)町に入ると、こんな寺があります。

山号は、萬松山 曹洞宗 永春禅寺。

ふと思い浮かべるのは、百島の萬松山 曹洞宗 西林禅寺。

山号は、同じく萬松山です。

先日、百島ネットの中の話題で、江戸時代の屏風に、百島が、桃嶌と記載されていたとのこと。

実は、尾道史の中で、倭寇の時代から既に「桃島の北浦何某が活躍した」という記録が残っています。

百島が、桃島であったのは、間違いないと思います。

松竹梅、松の前には、桃を意味するのではないかと憶測するのです。

つまり、九十九の次は、萬であり百。

長野県の木曽路にある旧日義村の百島へ、愛知県津島市の百島へ、大阪の西淀川区百島へ。

元気ならば、もう一度、行ってみたいなぁ。


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