先日、ニュースで賑わした埼玉県内での全裸男の当て逃げ、轢き逃げ殺人、窃盗、暴行等々の暴走犯罪・・あの輩、中国、ロシア、北朝鮮ならば、即死刑執行、もしくは現場で射殺だろうなぁ。
治安維持というもの、善良な一般市民にとっては、どう考えればよいのかなぁ?
精神鑑定、責任能力・・また日本では長い刑事裁判になるのだろうなぁ。
国家の体を成していない無法地域からの難民に寄り添ったローマ教皇フランシスコの訃報に接した。
教皇の祖父母はムッソリーニの圧政からイタリアからアルゼンチンの逃れ命拾いした移民の子孫だったという。
アルゼンチンでの司教時代は貧困地区担当で週末はスラム街で過ごしたという。
「心の扉を開けて」「無関心が世界規模で広がる」「壁を築くよりも橋を架けよう」
一貫して寛容を説いたフランシスコ教皇ならば、今の世界をどう考えるのかなぁ?
~2019年11月25日の日誌から~
昨日の午後、広島へ到着。
夜、福井へトンボ帰り、広島での半日滞在。
それよりも、教皇の強行日程。
「平和の巡礼者として、被爆地ヒロシマ、ナガサキを訪れるのは、私の使命だ」と語ったフランシスコ教皇。
何を語るのか、その空気感に触れたくて、昨日、広島まで日帰りで出掛けて参りました。
広島のカソリック教会関係者は勿論のこと、神道、仏教界の代表関係者もお迎えした平和の集いでした。
原爆ドームのある対岸から遠く眺めていましたが、特別な高揚感もなく、感極まる歓喜もありませんでした。
ただ、不思議な穏やかさが漂う心の温もりです。
それが、目に見えないローマ教皇の存在という空気感でした。
今朝の地元の朝刊新聞。
教皇のメッセージを読んでみました。
長崎でのメッセージ、広島でのメッセージ。
武器の製造、維持、改良、武器商人もテロ行為。
簡単に言えば、世界のメディアに向けて問う「平和、戦争紛争への報道の在り方」に対するメッセージでもあります。
さらに言えば、唯一の被爆国である日本の政治姿勢です。
侵略する国も嫌だけど、侵略される国に暮らすのも嫌ですから、武力も備え、軍隊も用意する世界各国。
ロシアにも、中国にも、英国にも、仏国にも、北朝鮮にも、そして、アメリカにも、直接核廃絶を訴える、モノを言える日本になって欲しいのです。
草の根の平和運動、市民団体の平和活動が、いかに大事なものか、身に染みる昨日、今日、明日です。