観光客「ショック」羅臼沖業者「近づかないで」 くじらウオッチング船眼前で捕鯨(北海道新聞) - goo ニュース
自分は給食で鯨を食べた、恐らく最後の世代だと思う。
今から20年以上前、小学生の頃、茨城県のとある港町に数年間住んでいた。
そこの小学校では給食で時たま鯨のミンチを串刺しにした、いわば鯨のつくねのようなものが時たま出た。
ソコソコおいしいとは思ったものの、また食べたいと思うものでもなかった。
そして最近、回転寿司でも時折鯨の軍艦巻にお目にかかることがある。
何回か食べてみたが、これまたソコソコおいしいと思うけど、また食べたいと感じるほどではない。
北九州あたりの市場にあるという鯨専門店へ行って、100グラム数千円の鯨肉を食べてみたら、全く違った感想を得られるのかもしれないけれど。
今の食生活の中では、「あったらあったでいいけど、なくても困らない」レベルのポジションにいる鯨肉。
調査捕鯨でとれた鯨肉も余り気味なのだとか。
日本人でも、鯨は食べるものではなく見るものだという認識の人が増えてきた。
でも、捕鯨という文化、技術は残しておくべくだと思う。
今の肉食の主役、牛、鶏、豚、いずれも100%の安心を得ているわけではない。
笑われるかもしれないが、鯨肉にある程度頼らなければいけない時代が全く来ないという保証はないだろう。
そして「鯨はかわいいから食べられない」という感情論。
人の好き好きにケチをつける気はないが、自分には鯨よりも馬のほうがはるかにかわいく見える。
「かわいい、かわいそう」という言葉で、食料を得るという人間にとって最も大切な行為が邪魔されるのはおかしいのでは。
ホエールウォッチング船から捕鯨の様子が見えるのも、一種の社会勉強。
それがいやなら、捕鯨の邪魔にならない時間帯に、ウォッチング船の運航をずらすべきだ。
自分は給食で鯨を食べた、恐らく最後の世代だと思う。
今から20年以上前、小学生の頃、茨城県のとある港町に数年間住んでいた。
そこの小学校では給食で時たま鯨のミンチを串刺しにした、いわば鯨のつくねのようなものが時たま出た。
ソコソコおいしいとは思ったものの、また食べたいと思うものでもなかった。
そして最近、回転寿司でも時折鯨の軍艦巻にお目にかかることがある。
何回か食べてみたが、これまたソコソコおいしいと思うけど、また食べたいと感じるほどではない。
北九州あたりの市場にあるという鯨専門店へ行って、100グラム数千円の鯨肉を食べてみたら、全く違った感想を得られるのかもしれないけれど。
今の食生活の中では、「あったらあったでいいけど、なくても困らない」レベルのポジションにいる鯨肉。
調査捕鯨でとれた鯨肉も余り気味なのだとか。
日本人でも、鯨は食べるものではなく見るものだという認識の人が増えてきた。
でも、捕鯨という文化、技術は残しておくべくだと思う。
今の肉食の主役、牛、鶏、豚、いずれも100%の安心を得ているわけではない。
笑われるかもしれないが、鯨肉にある程度頼らなければいけない時代が全く来ないという保証はないだろう。
そして「鯨はかわいいから食べられない」という感情論。
人の好き好きにケチをつける気はないが、自分には鯨よりも馬のほうがはるかにかわいく見える。
「かわいい、かわいそう」という言葉で、食料を得るという人間にとって最も大切な行為が邪魔されるのはおかしいのでは。
ホエールウォッチング船から捕鯨の様子が見えるのも、一種の社会勉強。
それがいやなら、捕鯨の邪魔にならない時間帯に、ウォッチング船の運航をずらすべきだ。
食文化ってそれこそ、国や人種によって色々在りますよね。犬大好き人間ですから、韓国の様に犬肉を食すというのは抵抗が在るものの、これだって彼の国の立派な食文化で在り、抵抗を持つのは自由なれどそれを完全否定してしまうのはアンフェアだと自分は考えています。ですから鯨肉を食す我が国の食文化も、とやかく言われたくないという気持ちが。
アメリカでも嘗て捕鯨をしていましたが、これは基本的に鯨油を得る為のものと言われていますよね。江戸時代に”黒船”が日本近海を航海していたのも捕鯨、即ち鯨油を採る意図も在ったと。鯨油を採れば、その他は全て廃棄。それに対して我が国では、芸肉や髭、骨、果ては性器迄余す所無く鯨を活用していました。他の生物の命を奪うという行為は同じなれど、その活用性は全然違っていたと思っています。
>今の食生活の中では、「あったらあったでいいけど、なくても困らない」レベルのポジションにいる鯨肉。
高価になった鯨は、家庭料理からも離れた存在になってしまった事もあると思います。料理法も分からないかたも多いということもあり、別に食べなくても良いと言う存在になってしまったのかもしれませんね。
>かわいい、かわいそう」という言葉で、食料を得るという人間にとって最も大切な行為が邪魔されるのはおかしいのでは。
仰る通りと思います。
鯨については知能があるから食べるなみたいな話もありますけれど、個人的にはよく分からない理屈という印象です。
まだ「捕鯨は銛を何本も打ち込んだり時として嬲り殺しみたいにするのが残酷」という方が分かりそうな感じですが、あまりこの手の意見を見ないのは捕鯨の実態とかが分かっていないということでしょうか。
ちなみに自分は馬と犬が大好きです。
高校1年の時、まだ勝ち馬投票権を購入するという週間がなかったころ一度口にして以来馬肉は食べてませんが、実は韓国の犬料理、捕身湯には興味があって、一度食べてみたいと思っているんですよね。
ただ捕身湯もソウルオリンピックの頃など、色々圧力を受けて今では隅に追いやられたような立場になっているみたいですけど。
昭和20年代、ちえさんも絶対生まれていない時代だと思いますが(更殴)鯨は貴重な動物性蛋白だったという話はよく聞きます。
いまではその頃のノスタルジー、そして自分を含めた珍しモノ好きによって鯨肉の需要は細々と支えられているという感じですね。
そして動物が人間の食のために殺されるシーンを見るというのは一つの勉強なのかなとも思うんです。
以前、どこかの田舎のおじいさんが、放し飼いにしていた鶏を絞め、それを孫たちにわざと見せていたのをテレビで見たことがあります。
孫たちは泣きながら水炊きを食べていましたが、人間ってそういうことをしないと生きていけないんですよね。
本当に訳のわからない理由ですよね。
馬は自分の真後ろを除く300度以上の視野があるとかで、自分からすればそんな素晴らしい能力を持った動物を桜鍋にして食うなよって言いたくなりますけど(苦笑)