第二次大戦後、立川や横田など米軍基地の周辺にはアメリカ村と呼ばれる軍人用の住宅が立ち並んでいた。
当時は今のようにアメリカに気軽に行ける時代でもなく、自由な雰囲気を求めてわざわざアメリカ村に移り住む日本人も多かったという。
細野晴臣なんかも70年代初頭には狭山の稲荷山公園にあったアメリカ村に住んでいたという。
アメリカ村。
戦後60年経った現在、その多くは取り壊され、もはや今の40代以上の人たちの記憶の中にしかない物だとばかり思っていた。
それだけに、立川の昭和記念公園の裏側あたりを通った時に、こんな看板を見て、「まだアメリカ村なんてものが存在するのか!」とちょっとびっくりした。
家々をちらっと見てみると、基地に勤めていると思われるアメリカ人も多く住んでいるようだが、今や街中で普通に外国人を見ることが全く珍しくない東京だけに、特にこのあたりだけ変わった雰囲気を感じるということはない。
それよりも、平屋建てのアメリカ村が周りの住宅やマンションに比べて貧相に見え、月日の流れを感じてしまった。
当時は今のようにアメリカに気軽に行ける時代でもなく、自由な雰囲気を求めてわざわざアメリカ村に移り住む日本人も多かったという。
細野晴臣なんかも70年代初頭には狭山の稲荷山公園にあったアメリカ村に住んでいたという。
アメリカ村。
戦後60年経った現在、その多くは取り壊され、もはや今の40代以上の人たちの記憶の中にしかない物だとばかり思っていた。
それだけに、立川の昭和記念公園の裏側あたりを通った時に、こんな看板を見て、「まだアメリカ村なんてものが存在するのか!」とちょっとびっくりした。
家々をちらっと見てみると、基地に勤めていると思われるアメリカ人も多く住んでいるようだが、今や街中で普通に外国人を見ることが全く珍しくない東京だけに、特にこのあたりだけ変わった雰囲気を感じるということはない。
それよりも、平屋建てのアメリカ村が周りの住宅やマンションに比べて貧相に見え、月日の流れを感じてしまった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます