大阪を離れている若い人からのメール。
「選挙残念でしたね~。
そんな選択をしたら、もっと生活が苦しくなるような人たちが、みすみすあんな人を自分たちの長に選ぶのはなぜでしょう。」
「熟慮する、対話するということの価値が下がっているのが現代の日本なのかなと思う。
自分に反対の人は出て行け的発言をしてるけど、これってすごい幼稚な発言やと思うけど、これが幼稚で恥ずかしい発言とは思われない世の中になっているのかなっていう感じ。
自分に反対の人の意見は聞く価値がない、みたいな。
つまり時間がかかることはしたくないということですよね。恥ずかしいね~。
精神的にすごく貧しい時代ですね~。」
「民意がわからない公務員は去れみたいなこと言ってたらしいけど、そのうち『民意がわからいない民は去れ』って言いそう(笑)」
「若い人」は、実は離れて暮らす私の娘です。
「熟慮する、対話するということの価値が下がっている」という表現に考えさせられました。
今回のW選挙の結果についても、人々が何を願い、何を求めたのか。
それこそ「熟慮」しなければならないなぁと思います。
そのためにも「対話する」ことですね。
言いっぱなし、聴きっぱなしでない「対話」をすることはかなり難しい。
けれど、「対話らしい対話」ができたときは嬉しいです。
「選挙残念でしたね~。
そんな選択をしたら、もっと生活が苦しくなるような人たちが、みすみすあんな人を自分たちの長に選ぶのはなぜでしょう。」
「熟慮する、対話するということの価値が下がっているのが現代の日本なのかなと思う。
自分に反対の人は出て行け的発言をしてるけど、これってすごい幼稚な発言やと思うけど、これが幼稚で恥ずかしい発言とは思われない世の中になっているのかなっていう感じ。
自分に反対の人の意見は聞く価値がない、みたいな。
つまり時間がかかることはしたくないということですよね。恥ずかしいね~。
精神的にすごく貧しい時代ですね~。」
「民意がわからない公務員は去れみたいなこと言ってたらしいけど、そのうち『民意がわからいない民は去れ』って言いそう(笑)」
「若い人」は、実は離れて暮らす私の娘です。
「熟慮する、対話するということの価値が下がっている」という表現に考えさせられました。
今回のW選挙の結果についても、人々が何を願い、何を求めたのか。
それこそ「熟慮」しなければならないなぁと思います。
そのためにも「対話する」ことですね。
言いっぱなし、聴きっぱなしでない「対話」をすることはかなり難しい。
けれど、「対話らしい対話」ができたときは嬉しいです。
そんな選択をしたら、もっと生活が苦しくなるような人たちが、みすみすあんな人を自分たちの長に選ぶのはなぜでしょう。」
ブログの冒頭にこの様な書き込みを見つけまた
大阪府泉大津市在住の府民であり市民です
少なくとも今回の大阪府知事選挙において
共産党推薦の梅田章二さんより
維新の会の松井一郎さんのほうが
今の閉塞感漂う大阪を変えてくれる
府民としてそう考えるのは当然の事だと思います
生活が苦しくなる??その根拠はなんなんでしょうか
橋下氏はツイッターやブログで毎日のように府民に情報を発信し続けました
一方、梅田氏はというとホームページは閉鎖され
ブログを確認すれば最後はカブトムシの話で終わっている??
そんな議員に票を入れる府民がいると思われますか?
議員いや人間としてその差は歴然だと思いますがいかがお考えですか?
「生活が苦しくなる」と考える根拠について、メールの発信主がどう考えたかは確かめていませんが、私が「根拠」としたことを申し上げます。
維新の会の代表である橋下前知事のもとで3年9ヶ月の府政は「府民の生活」について大変冷淡だったと考えるからです。
「それは府の財政が大変だから」とおっしゃるかもしれませんが、たとえば子ども医療費助成制度は全国最低水準のまま据え置き。全国ほとんどの都道府県で実施している「通院で就学前までの助成」をするのに必要な財源は約23億円と聞きました。大阪よりずっと財政力の弱い道府県でも、はるかにすすんだ制度で子育て世帯を応援しています。
前知事は「福祉医療は財政がゆとりのあるときにやること」とも言っていました。
今後の政策についても「関空アクセスの整備」など莫大な投資をする計画はあっても、福祉については具体策は乏しく、数少ない施策の「国保広域化」は多くの市町村が保険料抑制のために、一般財会計から繰り入れしているものを「するべきでない」と明言していました。
ほんの一例です。
「そんな議員に票をいれる府民がいると思われますか?」とおっしゃっていますが(ちなみに梅田章二さんは“議員”ではなく一弁護士ですが、“政治家”と読み替えさせていただきます。)、梅田章二さんの当選のために微力を尽くした私も「府民」です。
梅田章二さんに願いを託した35万7159人の方々も府民です。
そんな「府民」は、出て行け・・・とまではおっしゃらないことでしょう。
梅田さんのブログが「カブトムシ」で終わっているのは、確かですね。8月の末、ちょうどそのころ、推薦団体である「明るい民主府政をつくる会」から立候補の要請を受け、11月まで、ブログ更新に時間とエネルギーを費やすこともなく駆け抜けてこられたことと思います。
情報発信の方法はいろいろあり、インターネットも、今の時代に重要なツールのひとつです。
有権者として、一票を行使するにあたって、候補者の名前で検索し、その活動や政策を知ろうとなさったことだろうと思います。そして「カブトムシ?」という違和感(不信感?)をお持ちになったことと思います。
そういう有権者の皆さんの真剣な思いに応える努力を、いただいたコメントに託された思いを真摯に受け止め、私たちももっとしなければならないと考えています。
ただし、今の選挙法のもとでは大きな制約がありますが。
私自身についていえば「維新の会」の政策を掲載した宣伝物は、告示前にたまたま駅で維新の会の皆さんと出会い、一枚を手にしただけでした。選挙前、選挙期間中を通じて「政策」がわかる宣伝物が配布されることはありませんでした。「選挙公報」では具体的なことは全くと言っていいほどわかりません。
梅田章二さんの政策を知らせる宣伝物は、出馬表明後、少なくとも2回以上、全世帯にお届けしています。お目にとまらなかったでしょうか?
梅田さんを推薦した通称「明るい会」の機関紙として発行したもので、「教育基本条例」や「大阪都構想」の何が問題かを具体的に指摘しています。このブログにも、以前書いたことがありますが、極めて不自由な制約された活動ではありますが、私たちなりの方法での情報発信の努力はしてきました。
「維新の会」に期待をされた多くの方々のその「期待」とは何なのか?
少なくとも、一市会議員として政治に携わる者として、真剣に耳を傾ければならないと思っています。
そういう意味で「熟慮」と「対話」の価値について、思いを書いたものです。