こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

ゆっくりゆっくり大きくなあれ

2014-01-26 15:56:51 | 大きくな~れ
昨日の朝、ソウルへ帰る長女と○クン、○みちゃんを関空で見送りました。



↑ 朝、忘れものを駅まで届けてくれた次女が写してくれました。

泉大津で急行に乗り換え、岸和田で、○クンの大好きなラピートに乗り換えます。あんまり時間は変わらないけど、これは最後のサービス。




憧れのラピートに乗って「ラピート、速いね!」と何度も言ってました。

今日は次女と○ちゃんが、パパに迎えに来てもらって帰りました。



帰る直前に残してくれた作品。楽しそうに、○ちゃん語でおしゃべりしながら描きました。
ほっぺたの傷は公園で遊んでころんだ時のもの。
○ちゃんより親の方が毎日、気にしています。
子どもは、小さな怪我や小さな病気を繰り返して、たくましく育つもの。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、言うのが私の役目でした。

二組の親子が帰って、家の中は急に静かになりました。

プロフィールにあるように、私は38歳で初めて今の仕事に就きましたが、先輩議員の病気で「その後任に」と要請され、「見習い」みたいな活動を始めたのは、一番下の娘が○クンくらいの時でした。
子育てしながら、なかなか思うように動けないので、「半人前」の仕事しかできずに落ち込むこともありました。
一方、子どもたちと一緒に過ごす時間が私のエネルギーとなり、考え感じる、そして表現するヒントにもなりました。
そして「私は私なりに」「私だからこそ」と言える仕事をしようと思うようになりました。

この1ヶ月間は、その頃のことを思い出しながら過ごしました。

今、娘たちはデジカメやスマホで写真や動画を撮り、子どもたちの成長を記録し、私にも毎日のように送ってくれます。
私が子育てしていたときは、そんな便利なものはありませんでした。

子ども達が保育所から小学校低学年のころに、書いたものを友人たちが手作りの本にしてくれたことがあります。



子どもたちの作文も入っているので、著者の私の名前の下には、長女、次女の名前があります。末の娘は今の○ちゃんくらいの年頃でした。

当時36歳の私は巻末にこんな文章を残しています。

「今、心を病んで学校に行けない子ども達が増えているといわれています。自ら命を断った子どもたち、幼くして“殺人者”になってしまった子どもたち、それらの悲しいニュースを私たちは他人事として聞き流すことはできません。同じ時代の同じ社会に、紙一重のところでわが子たちや、それにつながる“あの子”や“この子”が生きているという想いに うちのめされそうな時さえあります。それならば尚のこと、あたりまえの子どもたちの成長を語り合い 喜びあいたいと思うのです。」

今読み返し、この気持ちは20年近くたっても変わらないなあと思います。

「ゆっくりゆっくり・・・」という表題は、世の中の早期教育、英才教育の「3歳からでは遅すぎる」などという(今なら「生まれてからでは遅すぎる」というかもしれません。)宣伝文句に、「ちょっと違うんじゃないか」という気持ちをこめたものでした。

末の娘が生まれた年の夏、長女は5歳、次女3歳。そのときに書いた拙い詩が、こ小さな本の巻頭です。

その一節を、今は、○クン、○ちゃん、○みちゃんの3人に贈ります。

「三つの命たち
この世の美しいものを
心と体で
たっぷりと味わいながら
大きくなれ
ゆっくり ゆっくり
大きくなれ」


コメント
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