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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(666)

2010年03月05日 | Weblog
2010.3/5   666回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(9)

 風が少し荒れた夕暮れに、紫の上はお庭をご覧になろうと脇息に寄りかかっておいでになりますところへ、源氏がお出でになって、

「今日は、いとよく起き給ふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」
――今日はよくまあ、起きておいでになりますね。中宮の御前にいらっしゃると、大そうご気分が晴れ晴れなさるようですね――

 と、うれしそうにおっしゃいます。こればかりの小康をもたいそう喜んでおられる源氏のお顔色を拝見するにつけても、紫の上はお気の毒で、いよいよの時には、どのように動揺なさるかと思いますと悲しくて、紫の上の(歌)、

「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」
――ともすれば風に落ち散る萩の上の露は、そこにあるといってもほんの暫くのことです。私もこうして起きていても、やがてはかなくこの世を去るのでしょう――

 紫の上のお命が、萩の上の露のようにはかなげなのを、源氏はいっそう忍び難く、(歌)

「ややもせば消えをあらそふ露の世に後れさきだつ程へずもがな」
――ともすれば、先を争って消えてゆく露にも等しいこの世に、せめて私たちは前後の間をおかずに死にたいものです――

 と、涙をぬぐい切れないほどお泣きになります。
中宮のお歌は、

「秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうえとのみ見む」
――秋風が吹きますと、少しの間も留まらない露を、草の上のこととのみ誰が思いましょう。人間の命もそれと変わりがありません――

 源氏は、このお二人は申し分のない方々でいらっしゃるものの、そうかといって、千年も共に暮らせるものではない、とお考えになって悲しみが込み上げてくるのでした。

「今は渡らせ給ひね。みだり心地いとくるしくなり侍りぬ」
――もうお引きとりくださいまし。気分がひどく悪くなりましたので――

 と、御几帳を引き寄せてお寝みになってしまわれました。

ではまた。

源氏物語を読んできて(665)

2010年03月04日 | Weblog
2010.3/4   665回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(8)

「秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさわやぐやうなれど、なほ、ともすればかごとがまし。さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐし給ふ」
――待ちわびていた秋になって、あたりが大分気持ちの良い涼しさになり、紫の上のお身の上も少しは落ち着いていらっしゃるようですが、ともすれば、ちょっとしたことがお身体に障るようです。といって、身に沁みて感慨深いほどの秋風ではありませんが、とかく涙がちにお過ごしになっておられます――

 明石中宮はそろそろ内裏へ参内なさらねばなりませんのを、紫の上は、もうしばらく側においでになってください、と申し上げたいのですが、出過ぎたようでもあり、帝からのお使いがひっきりなしに参りますのも気になって、申し上げかねておりましたところ、中宮の方からこちらへお見えになりました。
病中のこととて、室内は取乱れてはおりますものの、紫の上も是非ともまた、お目にかかりたく、念入りにお席を準備されました。

 紫の上のご様子は、

「こよなう痩せ細り給へれど、かくてこそ、あてになまめかしき事の限りなさもまさりて、めでたかりけれ、と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の香りにも、よそへられ給ひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御様にて、いとかりそめに思ひ給へる気色、似るものなく心苦しく、すずろにものがなし」
――すっかりお痩せになってしまわれましたが、かえってこうなられたお姿は、限りもない上品さと優雅さも勝って、余計に風情がおありです。今まであまりにも艶やかに匂い満ちて、はでやかな盛りの頃は、却ってこの世の花の香りにも似て、形としての美の方が勝っておられましたが、今は、この上もなく可憐でお綺麗なお姿で、世のはかなさを思っておられますご様子は、譬えようもなく痛々しく、どうしようもないほど物悲しいのでした――

◆かごとがまし=託言がまし=恨みがましい。(ちょっとしたことで)愚痴っぽい。

◆あざあざと=鮮鮮と=あざやかに。はっきりと。

◆すずろに=とりとめもなく。

ではまた。

源氏物語を読んできて(663)

2010年03月02日 | Weblog
2010.3/2   663回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(6)

 明石の中宮が内裏からお里に赴かれますときの儀式も形通りで、いつもと変わりがありませんが、紫の上は、

「この世の有様を見はてずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり」
――若宮たちのご成長になって栄えていかれるご様子を見る事もなく、この世を去ることになるのかと思いますと、何もかもが物悲しくあわれ深いのでした――

 紫の上は、しばらく明石の中宮と御対面になっておりませんでしたので、なつかしく、明石の御方もお出でになって、しっとりと落ち着いた御物語をなさるのでした。

「上は御心の中に、思しめぐらすことも多かれど、さかしげに、亡からむ後など宣ひ出づる事もなし。ただなべての世の常なき有様を、おほどかに言少ななるものから、浅はかにはあらず宣ひなしたるけはひなどぞ、言に出でたらむよりもあはれに、もの心細き御気色はしるう見えける」
――紫の上は、お心の内では何かとお考えになっておられますが、いかにも賢そうに死後のことなど言いだされることもありません。ただ一般にこの世の定めなき無情の有様を、決して浅はかにはとれぬ口調で、大様に言葉すくなくおっしゃるのが、言葉に出しておっしゃるのよりもあわれ深く、何となく心細げなご様子がはっきりと読み取れるのでした――

「宮達を見奉り給うても、『おのおのの御行く末をゆかしく思ひ聞こえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心の交じりけるにや』とて、涙ぐみ給へる御顔のにほひ、いみじうをかしげなり」
――(紫の上は)明石の中宮腹の皇子たちをご覧になるにつけても「みなさまの御将来を拝見したいと思いましたのは、こうも儚かった命を惜しむ気持ちがあったからでしょうか」と、涙ぐんでおいでになるお顔の匂わしさは、なんとも言えずお美しい――

 明石の中宮は、紫の上様がどうしてこのようにおなりになったのかと、お思いになりながら、涙が止まらず、お泣きになります。

◆しるう見えける=著く見える=はっきりと読み取れる

ではまた。

源氏物語を読んできて(662)

2010年03月01日 | Weblog
2010.3/Ⅰ   662回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(5)

 この法会が終わり、それぞれお帰りになろうとするのにも、紫の上には最後のお別れのようで、たまらなく名残惜しく思われて、花散里にお文を出されます。

(歌)「絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にとむすぶ中のちぎりを」
――やがて死ぬべき身ですが、この御法を頼みにと思います。あなたとは来世も永久に御縁のつきない間柄ですものを――

花散里からの返歌は、

(歌「結びおくちぎりは絶えじ大かたののこりすくなきみのりなりとも」
――私は行く末短い身ではありますけれども、この御法でお約束しました貴女様との御縁はいつまでも絶えないでしょう――

 こうして、この法会に引き続いて、不断の読経、懺法などを怠らず、さまざまの尊い勤行をおさせになります。御修法は、紫の上のご病気には目に立つほどの効験もなく月日が経っていきますので、それはそのままお続けになって、更に大々的に所所の寺で行わせていらっしゃる。

「夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入り給ひぬべき折々多かり。その事と、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになり給へば、むつかしげに所狭くなやみ給ふ事もなし」
――夏に入りまして、例年なみの暑さでしたがやはりご病状が進んでいかれました。どこがどこという程のこともないのですが、ただ衰弱の具合で何となくおすごしなのでした――

「侍ふ人々も、いかにおはしまさむとするにか、と思ひ寄るにも、先づかきくらし、あたらしう悲しき御有様と見奉る」
――お側にお仕えしている人々も、いったいどうおなりになるのかと思い始めますと、目の前が真っ暗になってしまって、亡くなられるなどとは残念で悲しくてならないご様子だと拝見しております――

 このような紫の上のご病状を心配なさって、明石の中宮が二条院に退出されていらっしゃいました。東の対にいらっしゃる明石の中宮に、紫の上は西の対でご対面をお持ちになっております。

◆不断の読経(ふだんのどきょう)=僧に昼夜を通し、交替で読経させる。

◆懺法(せんぽう)=眼耳鼻舌身意の6根による罪障を懺悔(ざんげ)する修法

◆御修法(みずほう)=密教でおこなう加持祈祷の法。御(み)は接頭語

ではまた。