永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(147)その4

2016年10月25日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その4  2016.10.25

「かくて異腹のせうとも京にて法師にてあり、ここにかく言ひ出したる人、知りたりければ、それして呼びとらせて語らはするに、『なにかは。いとよきことなりとなんおのれは思ふ。そもそもかしこに守りてものせん、世の中いとはかなければ、今は形をも異になしてむとてなん、ささのところに月ごろはものせらるる』など言ひ置きて、又の日といふばかりに山越えにものしたりければ、異腹にてこまかになどしもあらぬ人の、ふりはへたるをあやしがる。」

◆◆こうしてその女の腹違いの兄弟も京で法師になっており、このことを言い出した人がその法師と知り合いだったので、その人をとおして呼び寄せて相談させますと、「どうして支障などありましょうか。とても良いことだと私は思います。そもそもあの女の手元で子どもを育てるには、とても心もとない暮らしですから、今はもう尼にでもなってしまおうかと、さるところに今は移り住んでいられるのです」などと言っておいて、早速次の日に、志賀の山越えをして、出かけて行ったところ、その女は腹違いでもなく細々と面倒をみてくれたこともない人が、わざわざ尋ねてきたことを不審に思ったようでした。◆◆



「『何ごとによりて』などありければ、とばかりありてこのことを言ひ出したりければ、まづともかくもあらで、いかに思ひけるにか、いといみじう泣き泣きて、とかうためらひて、『ここにも今は限りに思ふ身をばさるものにて、かかるところにこれをさへひきさげてあるを、いといみじと思へども、いかがはせんとてありつるを、さらばともかくもそこに思ひ定めてものし給へ』とありければ、又の日帰りて、『ささなん』と言ふ。」

◆◆その女は「どんな御用向きで」などとたずねるので、しばらく世間話などしてから、このことを持ち出したところ、まず始めはなんとも言わず、それからどう思ったのか、ひどく泣いて泣きはらして、どうにか落着いたところで、「私としましても、今はこれまでと思うこの身はどうでもよしとして、このようなところにこの子を引き連れておりますのをとても辛く思っております。それも今さら仕方がないと思って諦めておりましたのに、それではどのようにでも、あなたのご判断でお取り計らいくださいませ」との返事でした。
次に日に、その法師が帰って来て、「これこれの次第でした」と言います。◆◆




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