東武練馬駅 その2

2017-04-29 10:26:02 | 日記

私が二十歳の時にお付き合いした女性が住んでいた東武練馬駅にはたくさんの思い入れがあります。旧道に出る場所に北町観音堂(石観音堂)が構えます。北町観世音菩薩。北町の仁王像がいるのよ。

浅間神社は同じ旧道沿い。天祖神社の右肩に富士山の浅間神社。左後方の後頭部には清性寺。
上板橋駅は07の首(頸)「こうべ」の甲部で神戸。KOBEの媚。陽線にあたるので眉の第三の目を示します。
上板橋駅07~環八~東武練馬駅08。末広がり。お山の八。そこに下練馬の富士山が待っていてくれました。スケールはぴったしの100分の1。海抜は「産みを抜く」。

産みの自在性がある女性像。右肩の有る無しを産むの有無。肩口が硬い口の象徴となります。陰唇が開いて閉じれません。非常識の常識の中にいるのです。
天祖の且は「まないた」の俎。爼。真名板。昔むかしから食べ物を千切って契ってきた象徴がまな板。

100分の1。百聞は一見にしかずの百分。聞=分。聞き分けです。白は「はく」「つくも」の九十九。白に横一線の目頭と目尻に線を引くと百になるのね。
九十川は新河岸川のもと源流。伊佐沼から伸びて上福岡19で合流します。19は胆嚢のたん腦。九十九の九字縛りも軽くなるのよ。目(瞳)は一番「こん」が溜まる場所です。苦渋の色。「しぶい」も自製できるものなのです。

駐車場看板の裏側に白狐稲荷神社があります。白狐の霊石。曰く、豊臣秀吉から秀頼。次いで石田三成に渡った霊石。関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は霊石を置いて越後に逃げました。後で捕まり死罪となってしまいます。
徳丸地区の斉藤氏から祭りこみの依頼を受けました。斉藤氏は石田三成が泊まって霊石を預けた宿屋の子孫にあたります。
関ヶ原の戦いは、岐阜県の米原市~養老町の間。日本人はお米を主食にします。どんぐり眼の「まなこ」は大きなお米の粒で「円らな瞳」。石田三成の「さんせい」の酸性。産生。掛け合わせの「産」の算を表しています。ゆえに駐車場看板の裏側に白狐稲荷がいるのです。後頭部の光頭は瞳の輝き。童心の道心。

視神経や水晶体や。眼底。眼窩。既定の規定に神経玉が入りました。










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