オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

チェコの名花チャスラフスカ死去

2016年09月01日 21時56分00秒 | スポーツ
リオオリンピックが終わりましたが、まだ、その余韻が残っている時に一人のオリンピックの金メダリストの訃報を知りました。
海外の方でしたが、何かまた昭和が遠くなった気持ちになり、今も本当に寂しい気持ちで一杯です。
チェコのベラ・チャスラフスカ。
1964年の東京オリンピックと1968年のメキシコオリンピックの女子体操の個人総合での金メダリスト。
チャスラフスカの名前を聞くと、何とも言えない懐かしさ、そして、憧れを感じるのは私の世代まででしょうか。
当時はチェコではなくチェコスロバキア。
東京オリンピックでの演技は全く記憶はありませんでしたが、メキシコオリンピックの時、私は小学5年生。テレビでしっかりと見ているので、きちんと記憶に残っています。
本当に美しかった。女性の持つ本当の美しさを体操と言う競技で見事に見せてくれたと言えるでしょう。そして、それが、まだ悪ガキ時代の私にもテレビの映像を通じて伝わるくらいの素晴らしい名選手でした。
チャスラフスカという子供にとって憶えにくい?と思える名前でしたが、私は直ぐに言えるくらいでしたから、メキシコオリンピックの放送を通じての彼女の演技は物凄いインパクトでした。
さて、いつだったか忘れましたが、少し以前、NHK・BS1でチャスラフスカのドキュメンタリーを見ました。
いかに彼女は時代の波と当時の体制に翻弄され苦しい思いをしたか、胸が痛みました。
メキシコオリンピックの年、1968年のチェコスロバキアの民主化運動(「プラハの春」)の支持を表明して「二千語宣言」に署名。そして同年8月のワルシャワ条約機構による軍事介入。プラハ侵攻。しかし彼女は「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたので、迫害を受け、たいへん苦しい立場、苦しい時代が続きましたが、その信念を崩すことはなかった。
リオオリンピックの直前、新聞で2020年の東京でのオリンピックの開催をたいへん喜んでいたこと。しかし膵臓がんに侵され、余命宣告を受け2020年まで生きることのできないことを彼女自身、自覚していることを知り、私自身、泣き出したい気持ちでした。

「2020年は、雲の上から、大好きな日本に向かって手を振りますね」

ベラ・チャスラフスカ。8月30日、故郷のプラハで死去。74歳だった。
ひたすら、ご冥福をお祈りします。





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