オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

興福寺

2011年01月18日 22時16分43秒 | 
1月7日と8日の奈良と大阪への旅。7日の東大寺のことは触れましたが、8日の朝、訪ねた興福寺のことは、まだ触れていませんでした。
8日の朝、開扉と同時に東金堂と五重塔の前に立つ。


上記写真は昇りゆく太陽が東金堂の屋根の上に、差しかかった時、五重塔をバックに撮影したものです。

まず東金堂の中に入る。シンと冷え切った堂の中で四天王像などの仏像を見る。やはり身が引締る思いである。
そして東金堂を出て国宝館へ行く。有名仏像ばかりで、ただただ圧倒され時間が経つのを忘れる思いである。
国宝館の中央に巨大な千手観音菩薩立像。5メートルを超える巨像。凄い。
そして千手観音菩薩立像の前にズラリと並んでいる八部衆の仏像たち。圧巻。
その八部衆の中央に立っているのが、有名な阿修羅立像である。

阿修羅立像を見た瞬間、息が止まるような思いになる。あの、眼差しは何と言い表したらよいのであろうか?この時、何故か私の頭の中で鳴り響いたのはモーツァルトの交響曲第29番の第1楽章とピアノ協奏曲第27番第1楽章であった。この仏像にはモーツァルトの音楽がピッタリである。
本来の阿修羅は激しい表情で、牙をむき、赤い肌、三つの顔、6本の手という異様な姿で最高神のインドラ(帝釈天)に戦いをしかけたインド神話の戦いの神である。
しかし、興福寺の阿修羅の表情には、そのような戦いの激しさを見る事は出来ない。逆に静けさと内面深さを強く感じさせるものがある。何故だろう?
興福寺の阿修羅立像は元々今は無くなっているが西金堂にあった仏像。西金堂は光明皇后が母の橘三千代を弔うために「金光明最勝王経」に描かれた釈迦浄土の世界を表そうと建てられたものだった。いろいろ調べてみると「金光明最勝王経」の思想では「懺悔」が重用とのこと。「懺悔」とは自分が作った罪や、その業として受けた罪を内省し、心身を清めること。光明皇后は、このような気持ちを抱いて祈願したのだろうか。そしてこの堂に安置する仏像を作るにあたり、創作に携わった仏師が、光明皇后の思っている釈迦浄土の世界を十分に理解して阿修羅を筆頭に八部衆の仏像を作って行ったのだろう。
興福寺の阿修羅は戦いのあと武器を捨て、戦いを繰り返した自らの罪や業を懺悔しているのであろうか?その懺悔の気持ちが、あの表情に表れているのだろうか?
いろいろなことを思いながら、じっと阿修羅立像を見つめました。これから何度か訪れてこの阿修羅立像を見つめなくてはいけないでしょう。

8日は午後2時までに「スターズ・オン・アイス」を見るために、なみはやドームへ行かなくてはいけなかったので、時間が足りなかった。
もっと阿修羅立像を見たかった。もっとじっくりと国宝館の仏像たちも見たかった。また写真家の土門拳が好んだと言う三重塔もじっくり見たかった。
これらは次の機会である。早い時期に再び興福寺を訪ねてみたい。できたら通常は非公開の北円堂の公開の時に訪ねてみたい。
今回は、かなり駆け足だったので次回は丸1日をかけて、じっくりと興福寺を見るつもりである。今回の奈良訪問はたいへん寒い時期の訪問でしたが、修学旅行などの団体さんと重なることがなかったので、ザワザワした雰囲気はなく落ち着いた気分で見る事ができました。次回も、そういった時期も狙ってみたい。