本日、朝からもう一度フルトヴェングラーのシューベルトの交響曲第9番を聴く。第2楽章と第4楽章は2度聴く。今まで1942年の狂ったような演奏のライブ録音をよく聴いていたが今回は死の前年の1953年の演奏なので、かなり落ち着いている。しかしその演奏の深さは物凄いものがある。今回は特に第2楽章に惹かれた。淡々とした演奏のようであるがオケの音色の渋さ、そこから出てくる美しさは何と言ったらよいのだろう。特に中間部分のはかなさは表現のしようがない。まさにフルトヴェングラーの心の表れとしか言いようがない。
シューベルトの9番にはワルター指揮コロンビア交響楽団の、こちらもたいへん素晴らしい録音があります。スケールも大きく歌うところは歌い、まさにワルター節全開であるがフルトヴェングラーの演奏と違う点は何であろうか?フルトヴェングラーの演奏は何か人間業を越えた、とてつもない大きさを感じます。
私がフルトヴェングラーの録音を熱心に聴き出したのは、この十年前くらいで、それまで、どうしても録音状態の悪さが気になってしょうがなかった。CDの技術の発展のお蔭で状態のよい復刻盤に巡り会えた為であろう。(ハズレもありましたが・・・)
フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニ、クレンペラー・・・現代の指揮者より昔の指揮者の方が良いと言うつもりは毛頭ありませんが、やはり何かが違う。フィギュアスケートもシーズンオフになったのでしばらくは音楽を聴く事に没頭するつもりである。
シューベルトの9番にはワルター指揮コロンビア交響楽団の、こちらもたいへん素晴らしい録音があります。スケールも大きく歌うところは歌い、まさにワルター節全開であるがフルトヴェングラーの演奏と違う点は何であろうか?フルトヴェングラーの演奏は何か人間業を越えた、とてつもない大きさを感じます。
私がフルトヴェングラーの録音を熱心に聴き出したのは、この十年前くらいで、それまで、どうしても録音状態の悪さが気になってしょうがなかった。CDの技術の発展のお蔭で状態のよい復刻盤に巡り会えた為であろう。(ハズレもありましたが・・・)
フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニ、クレンペラー・・・現代の指揮者より昔の指揮者の方が良いと言うつもりは毛頭ありませんが、やはり何かが違う。フィギュアスケートもシーズンオフになったのでしばらくは音楽を聴く事に没頭するつもりである。