オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

お知らせ

2017年02月07日 18時33分02秒 | 音楽
一昨日の5日の日曜日にNHK・Eテレの「クラッシック音楽館」で放送された井上道義指揮NHK交響楽団の定期演奏会。
11月の定期演奏会からオール・ショスタコーヴィッチプログラム。
交響曲第12番「1917年」が圧巻だった。指揮者の気迫、そして共感がオーケストラに伝わった見事な演奏でした。
この気持ちを、どう伝えるのか本当に難しい。
このところ、ブログでの音楽の扱いをどうすべきか苦慮していました。
そして決めたことは、フィギュアスケートに関して、このまま継続。しかしクラシック音楽やオペラ、バレエなど音楽関係に関しては本当に心苦しいのですが休止とします。
現在、私はクラシック音楽のFacebookのグループ「クラシックを聴こう!」(非公開、加入には承認が必要)に加わっていて定期的に投稿しています。
このグループでは私のようなズブの素人音楽ファンから音大出身者、そしてプロの音楽ファンまで加入していて、私自身、いろいろな情報や意見に接して、たいへん音楽的視野が広くなってきたような気がしています。そしていい意味でのミーハー感覚を取り戻し何でも聴いてやろうという気持ちが、ますます強くなっています。
また指揮者・朝比奈隆を話題にしても、多くの朝比奈ファンがいることを知り、気兼ねなしにやりとりが出来、けっして私が孤独でない実感がありブログでは味合うことのできないものがあります。
実は、昨晩、アリス=紗良・オットのピアノによるグリーグのピアノ協奏曲と抒情小曲集のCDを話題にしたところ、「いいね」が一気に100件を超え、今も返信に対するコメントに追われている嬉しい悲鳴の状態です。
そんな現状で、ブログまで手が回らない状態なので、いったん休止にした方が良いと判断させて頂きました。
ただ何か音楽に関して大きなことや、ライブなどに接してどうしても伝え事があらば、コメントさせて頂きます。
なお今まで、音楽面でお世話になった方には、もし伝えたいことあれば、フィギュアスケートは継続しますので、関係ない話題でも、そちらにコメントしていただけたら、ご返事させて頂きます。
当ブログも、たいへんな曲り角にきたようですが、何卒、ご理解、そして今後も宜しくお願い申し上げます。




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年末はやはり第9.

2016年12月23日 11時34分40秒 | 音楽
年末は、どうしてもベートーヴェンの第9を聴いてしまう。今日は朝からマタチッチ指揮NHK 交響楽団の1973年のライブ録音のCD を聴く。ベートーヴェンの音楽の持つ大きさに圧倒される。
さてさて都会は第9の演奏会が花盛り。
私が初めて第9の演奏会を聴いたのは東京での大学生時代。1976年12月。東京都交響楽団による演奏。指揮は当時、音楽監督だった渡辺暁雄氏。合唱は日本プロ合唱連合。
当時、都響には学生券があり学生証を提示すると1000円で手に入るチケットがあり、貧乏学生だった私は大いに恩恵を受けたものです。
さて演奏会当日、私は上野の東京文化会館の最前列で生まれて初めて第9を聴きました。そして第4楽章では作品の持つスケールの大きさに私の心は、ぶっ飛んでしまいました。寒い夜でしたが熱い気持ちを持ったまま、下宿へ帰った記憶があります。
大学卒業後は郷里の四国に引っ込んだので、1度も第9を生で聴く機会は残念ながらありません。死ぬまで再び、都会のホールで再び第9を聴く日に巡り会うことを年齢を重ねるたびに願っています。






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ウィーンフィルの2017年ニューイヤーコンサートのプログラム

2016年12月16日 08時59分40秒 | 音楽
来年2017年1月1日、元旦恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートのプログラムが発表されています。
指揮はニューイヤーコンサート初登場のグスターボ・ドゥダメル。



初めて聴く作品もいろいろあり興味深々。
レハールの作品が登場するのも珍しいし、何と言ってもワルトトイフェルの作品はニューイヤーコンサート初登場?
ウィーンフィルのワルツ「スケートをする人びと」の演奏が楽しみです。
来年の元旦は私自身12年振りに休み。(これが私にとって最重要)
このところ、落ち着いて放送を見ることが出来なかったので、来年は酒を飲みながら(これも重要)腰を落ち着けて、ゆったりと音楽の都ウィーンからの衛星生中継を見ることにしましょう。


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ヴェデルニコフ指揮NHK交響楽団のチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」

2016年11月15日 11時05分55秒 | 音楽
一昨日、夜のNHK・Eテレ「クラッシック音楽館」で放送されたアレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮NHK交響楽団の10月の定期演奏会。
プログラムはドヴォルザーク・チェロ協奏曲とチャイコフスキー・交響曲第6番「悲愴」
チェロ独奏はアレクサンドル・クニャーゼフ。私が先月末聴いた兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期演奏会と同じ組み合わせ。
クニャーゼフのチェロの響き。心に響くチェロである。アンコールも同じバッハの無伴奏チェロ組曲第2番から「サラバンド」。
何とかしてクニャーゼフのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲のCDを手に入れなければ!
そしてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
第1楽章、何か歯ぎしりするような冒頭、そのあとのしみじみとした美しい旋律、激しい心の葛藤の高まりの中間部、そして、そのあと詠嘆的な後半。
ヴェデルニコフはドラマのように見事に聴かせてくれる。
そして心に残ったのは第4楽章。
ゆっくりとしたテンポの演奏は何か死を目の前にしたチャイコフスキーの慟哭なのかもしれません。
それにしても先週放送された「春の祭典」、そして今回の「悲愴」と、今まで聴きなれていた作品が、初めて聴いたような強いインパクトを私に与えてくれました。
「春の祭典」の時もコメントしましたが、自分自身にとって最高の演奏を聴かせてくれる現役指揮者は、2001年に亡くなった朝比奈隆で途絶えたと思っていました。
そして今、アレクサンドル・ヴェデルニコフを知った喜びは、本当に大きいものがあります。
次の来日は、いつだろうか?その時もぜひ兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期演奏会にも、ぜひ登場して欲しいものと強く願っています。





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ヴェデルニコフ指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会

2016年10月30日 20時31分40秒 | 音楽
一昨日の10月28日の金曜日。西宮市の兵庫県立芸術文化センターへ行く。
目的は兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期演奏会を聴くため。四国から高速バスに乗っての大遠征である。そして日帰りの強行軍である。
指揮はアレクサンドル・ヴェデルニコフ。
プログラムはチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」とショスタコーヴィチの交響曲第10番。チェロ独奏はアレクサンドル・クニャーゼフ。
指揮のヴェデルニコフは私が今、一番、注目している指揮者です。それだけに一度は、生のステージに接してみたいという気持ちが強かったので、せっかくの関西でのコンサート。行かねばならぬと思ったしだい。またヴェデルニコフは今月、NHK交響楽団の定期演奏会にも登場して、素晴らしかったとの情報も得ていたので、たいへん期待が高まるものがありました。
まず、最初の「ロココ風の主題による変奏曲」ですが、クニャーゼフのチェロ独奏が素晴らしかった。素晴らしいチェロの音色だった。
またヴェデルニコフの指揮するオーケストラも素晴らしかった。単に美しい旋律を、なぞっているのではない。何かバレエを見ているような抒情的な美しさというべきか。とにかく気持ちがこもっているのである。私にとって、チャイコフスキーの演奏は、こうであって欲しいと思う演奏。アンコールでもフィナーレが演奏され、嬉しいかぎりでした。
そして、ショスタコーヴィチが圧巻。凄かった!やはり、この指揮者は只者ではない。
単にオーケストラを大きく鳴らしているというのではなく、やはりロシアの大地に、どっしりと根付いたズシンと心に響く演奏。
私自身、ショスタコーヴィッチの交響曲のCDは交響曲全集として全曲持っていますが、私自身、まだ自分のものにしていなかった。
まだまだ、ショスタコーヴィッチの交響曲は私にとって距離のあるものでしたが、今回の演奏を聴いて何かショスタコーヴィッチの重い扉を1つ開けることができたと思います。私にとって、本当に意義深いコンサートでした。
そして、やはり指揮のヴェデルニコフは、これからも目が離せない。もし、機会があれば、次はグラズノフやラフマニノフの交響曲。そしてショスタコーヴィッチの交響曲だったら第4番か第15番あたりを聴いてみたいものである。






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もうすぐ、久し振りにオーケストラの演奏会

2016年10月18日 15時11分38秒 | 音楽
仕事ことばかり考えていたので(本当?)すっかり忘れていた。
今月10月28日、兵庫芸術文化センターへ兵庫芸術文化センター管弦楽団を聴きにいくことになっていた。チケットは神棚に置いたままである。
地方在住のため、生のオーケストラの演奏会は久し振りである。
何年か前の尾高忠明指揮NHK交響楽団の高松公演(オール・ラフマニノフプログラム)以来。
今回の指揮はアレクサンドル・ヴェデルニコフ。プログラムのメインはショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 ホ短調 。
ヴェデルニコフは現在、NHK交響楽団の指揮に立っているはずなので、そのあと関西へ。
過去のN響との演奏会は放送で見ていますが、なかなかの
めったにない機会。素晴らしい演奏でありますように!




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ピアニストの中村紘子さん死去

2016年07月29日 08時57分17秒 | 音楽
訃報です。
日本を代表するピアニストの中村紘子さんが大腸がんのため7月26日に亡くなりました。72歳でした。
中学生から高校生時代、私がクラシック音楽に興味を持ち、いろいろ聴きだした頃、既に中村紘子さんは日本を代表するピアニストで、若く美しいその存在は、何か雲の上のまぶしい存在でした。
当時、テレビでの放送に出演していた中村紘子さんの姿に胸をときめかせて見入っていたものです。
そして訃報を知って何か一つの時代が終わったような気持ちを強くする。
また著作の「チャイコフスキー・コンクール」や「ピアニストという蛮族がいる」は今も私の本棚に並んでいます。
この数年、闘病生活を送っていると聞いていましたが、5月頃だったか、テレビ番組「題名のない音楽会」に出演されていて、お元気な姿を見ることができて安堵していたのですが・・・。
まだ早い。本当に残念です。
中村紘子さんのご冥福を、ひたすらお祈りいたします。





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追悼、音楽評論家・宇野功芳氏.

2016年06月13日 22時23分46秒 | 音楽
昨日、音楽評論家の宇野功芳氏の訃報に接してコメントしました。
私自身、40代後半頃から音楽評論家の批評など気にせず、本当に自分自身が聴きたいもの、自分自身がこうだ!と思ったものを聴いていく、要は「我が道を行く」状態になり50歳代になると、より頑固な状態になりました。
それでも、やはり宇野功芳氏の訃報は衝撃的で今も心の中にポッカリと穴が開いた状態である。
何故だろう?
クラシック音楽を聴き始めて、最初は自分が持っている知識だけでは、どうしても壁に当たってしまう時期が誰でもあったと思います。
こんな時、頓挫してクラシック音楽から離れてしまうか、雑誌や本など活字のごやっかいになって知識を新たに吸収して、新たな一歩を踏み出すか、どちらかと思います。私の場合、そんな頃は現在のネットなど無い時代だったので音楽雑誌の影響が大変大きかった。
私が宇野功芳氏の批評を初めて読んだのは、そんな頃、中学3年生の時、初めて買った音楽雑誌「音楽の友」での演奏会批評でした。
今から44年前?
あの頃の「音楽の友」は分厚かった!そして演奏会批評も、あの頃は現在のようにチョロチョロと書かれたものではなく、一つの演奏会の批評に2ページも亘っているものがあり読み応えがありました。
そして初めて読んだ宇野功芳氏の演奏会批評。ピアニストの宮沢明子さんの演奏会の批評でした。
現在もそうですが、当たり障りのない、何が言いたいのかよく分からない音楽評論家と称する人たちの文章が多い中で、宇野氏の文章は中学生の私でも分かりやすい文章で夢中で読みました。
そして、いかに素晴かった演奏会で、宮沢明子さんが、いかに素晴らしいピアニストであるか、その文章から、熱く伝わってくるものがあり、私自身、この批評を書いた「宇野功芳」と言う名前を強く心の中に刻み込みました。
残念ながら、私は宮沢明子さんの生の演奏会を機会はありませんでしたが、後年、菅野沖彦氏が録音を担当したレコード「マイクと楽器の対話」を購入したのは言うまでもありません。
そして高校生になって「レコード芸術」を購読するようになりましたが、その頃、新譜月評で交響曲を担当していたのが、当時、音楽評論の大御所だったO氏でしたが、再発売のレコードの批評では手抜きが多く、まだ高校生だった私でも何か物足りなさを感じていましたが、そのO氏が病気になり2か月ほど宇野氏がO氏に代わって交響曲の月評を担当された時がありました。
そして、その時、クナパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィルによるブルックナーの交響曲第8番のレコードが再発売され、その熱の入った文章に、ぜひ聴いてみたいと思い初めてクナパーツブッシュのレコードを購入しました。
私にとってブルックナーの音楽との出会い、そしてクナパーツブッシュとの初めての出会いでした。
ブルックナーやクナパーツブッシュと私の橋渡しをしてくれたのが宇野功芳氏でした。
そして、その頃、レギュラーとして協奏曲の新譜の月評を担当していたのが宇野功芳氏。
宇野氏の月評と通じてヴァイオリン奏者のチョン・キョンファアを知りました。
クナパーツブッシュ、そしてチョン・キョンファアの素晴らしさを教えてくれた宇野功芳氏。
どれだけ私の心の中で財産になったでしょうか!
あの頃、高校生だった私も、現在は来年に還暦を迎える頭がすっかり薄くなってしまったジジイである。
ただ、これからもクラシック音楽は死ぬまで聴き続けるでしょう。
宇野功芳氏が教えてくれたことを、しっかりと心に刻み込んで、これからもクラシック音楽に向かい合って行きたい。
改めて宇野功芳氏のご冥福をお祈りします。



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音楽評論家の宇野功芳氏、死去。

2016年06月12日 22時36分16秒 | 音楽
訃報。
6月10日、音楽評論家の宇野功芳氏が老衰のため亡くなった。86歳。
音楽雑誌「レコード芸術」の月評も、勇退したばかりだった。
あまりにも突然で本当に驚いている。
最近は、私自身、わが道を行く状態ですが、それまでは、クラシック音楽を聴き始めてから一番影響を受けた音楽評論家である。
もし宇野功芳氏がいなかったら朝比奈隆やクナパーツブッシュ、ムラヴィンスキーそしてチョン・キョンファといった演奏家の魅力に気が付がなかったのは間違いない。
そして何と言ってもブルックナーの音楽!
ブルックナーの交響曲の魅力を著作等を通じて数多くのことを教えてくれました。
大学生の時、購入した著書の「モーツァルトとブルックナー」は私のブルックナーを聴くことへの大きな指針となりました。
この本は今も、そのままの状態で私の本棚に並んでいます。
また「名指揮者ワルターの名盤駄盤 」もワルターの大好きな私にとって、たいへん参考になるものでした。
宇野功芳氏の評論は他の音楽評論家にはない良いものは良い、悪いものは悪いと分かりやすい言葉で演奏の良し悪しを伝えようとする素直さが魅力だった。
私の大好きな指揮者のベームに対しても褒める時はとことん褒め、くさす時はボロクソで、私自身喜んだり憤慨したりでしたが、この落差が今にして思えば、それが魅力だったのかもしれません。
また指揮活動も行い、私の手元にはベートーヴェンやブルッックナーのCDがありますが、やりたい放題で、ここまでやるか!と思ったものです。
数年前に吉田秀和氏が亡くなり、今回の宇野功芳氏の訃報。
私にとって、クラシック音楽を聴くことにに対することへの道しるべを示してくれた音楽評論家が、とうとういなくなってしまった。
今頃、天国で朝比奈隆とブルックナーの音楽の魅力を語り合っているのでしょう。
私がクラシック音楽を聴き始めてから約40余年。今まで本当にありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。
今は亡き宇野功芳氏のご冥福を、ひたすらお祈りします。






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続編「~あるチェロ奏者の死~」

2016年05月08日 20時01分41秒 | 音楽
私は毎日、自家用車での職場への行き帰りは、いつもNHKのFM放送を聴きながらである。
昨晩の帰りではNHK交響楽団のアーカイブスから首席チェロ奏者だった今は亡き徳永健一郎氏の特集を放送していてドヴォルザークのチェロ協奏曲の第3楽章の最後とブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲の第一楽章の途中までを聴きながら帰宅しました。
そして、今日。
昨日の当ブログの人気記事の順位を見て驚いた。
「最後のコンサート~あるチェロ奏者の死~」が3位。
何と4年前の2012年の書き込みが上位とは驚きだった。
この「あるチェロ奏者」は亡き徳永健一郎氏を指している。
昨晩のFM放送と関連があったのだろうか?
それにしても現在でも徳永健一郎氏に関心を持たれていると思うと何とも言いようもない気持ちである。
昔々、私の東京での大学生時代。
よくNHK交響楽団の定期演奏会に通いました。
私の青春時代の大きな思い出となっています。
田舎の貧乏学生だった私にとって、当時は金銭的に大変でしたが、当時のN響の定期演奏会を聴いたことは、今も私の心の中で大きな財産となっています。
そして、その頃の首席チェロ奏者が徳永健一郎氏でした。
いつもN響のチェロのトップに座っていたのが徳永健一郎氏。
あの頃のいろいろなことが、頭の中を過ぎります。
徳永健一郎氏チェロ独奏によるNHK交響楽団との協奏曲のCDはあるのでしょうか?
改めて聴いてみたくなりました。

「最後のコンサート~あるチェロ奏者の死~」


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「レコード芸術」か?「音楽の友」か?

2016年03月18日 17時36分13秒 | 音楽
私はクラシック音楽に目覚めて約40余年。高校生時代から音楽雑誌は「音楽の友」と「レコード芸術」の2誌を10年ほど前まで、休まず購入していました。
しかし10年ほど前、1誌に絞らなくてはいけない事態となりました。理由はフィギュアスケートの雑誌「ワールドフィギュアスケート」を購読し始めたため、財務大臣閣下(私の妻らしい)から『「ワールドフィギュアスケート」を購入するなら音楽雑誌は1誌にしろ!』と言う厳しい大臣命令が下り、私は熟慮の上、泣く泣く(大袈裟な)「音楽の友」を諦め、「レコード芸術」だけを購読することにして、現在に至ったのである。
ところが、今、それが、ぐらつこうとしている。
先々週の休みの日。わが街の商店街の書店で「音楽の友」の最新号を立ち読みしていたのですが、オペラ歌手のネトレプコの話題、現在のウィーンの音楽事情、そして武満徹没後20年の特集など話題満載で、とても立ち読みで対応できないので買ってしまった。
帰宅して「音楽の友」を見た大臣閣下は怒る、怒る。
それにしても、このところ「音楽の友」か?「レコード芸術」か?私はぐらついている。
理由はこの数年「レコード芸術」が面白くないからである。
昔はレコード会社各社の広告を見るだけでも楽しかったのですが、現在、レコード会社の統合や消滅で広告が大激減。
また目玉の新譜月評もメジャーレーベルが元気がないので、面白味なし。オペラ好きの私にとっても、オペラ全曲の新録音が、ほとんどないので、高崎保男氏の批評を、ほとんど読めないので楽しくない。再発売のオペラのCDの批評も高崎氏にお願いできないものか?
また再発売のCDの扱いの手抜きが目立つ。再発売のCDの方が光るものが多いし、特に最近は箱物、セット物が多いので、何ページを使ってもいいから、きちんとしたコメントが欲しい。再発売だから、これくらいでいいという編集者側のマンネリを感じてしまう。思いきって新録音と再発売のスペースを逆にした方が、いいのではと思う。また再発売を担当している執筆陣の方が、新譜担当の執筆陣より面白いコメントを読むことが出来るのでは?年功序列はやめましょう。
海外盤RIVIEWも既に、既にネットで知っている情報ばかりで、どうにもなりません。
ただ時々、昨年の「生誕150年、シベリウスとその時代」や「生誕100年、スヴャストラフ・リヒテル」といったオッと思う興味深々の特集があるから困ったものである。以前の音楽評論家の吉田秀和氏の特集は凄かったなあ。あんな特集を、もっと読みたい。
しかし同じ特集でも音楽評論家達の自己満足の結晶である「レコード・アカデミー賞」など、私にとっては、どうでもいいことであり、今も続いている「名曲名盤500」でのしたり顔した音楽評論家の多数決など、うんざりである。
「レコード芸術」は究極のおたく雑誌と私は思っていましたが、どうも最近はどうも、そんな感じも薄れてきました。
これも不景気による新録音の激減が最大の理由なのでしょう・・・。
しばらくは毎月、最新号が書店に並んだ頃、特集の内容で、「レコード芸術」と「音楽の友」のどちらにするのか決めることになるのかなあ。
しかし、それをしてしまうと、せっかく一冊も欠かさず、ズラリと月順に並んでいる「レコード芸術」が途絶えてしまうのも残念である。
さて4月号は、どうなることやら?






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没後20年、武満徹

2016年02月26日 11時15分59秒 | 音楽
私の毎週日曜日の細やかな楽しみはNHK・Eテレで放送されるクラシック音楽館。
2月21日の放送は昨年12月のNHK交響楽団の定期演奏会よりコダーイ、バルトーク、サン・サーンスの作品。指揮はシャルル・デュトワ。
前半のコダーイの「ガランタ舞曲」とバルトークの組曲「中国の不思議な役人」は面白かった。ただ、都会的な演奏でカラッとしていて土俗的な感じが薄かったのは、しかたないか。
後半はサン・サーンスの交響曲第3番。どうも私は昔から、この曲が苦手である。今回もレベルの高い演奏ですが私の苦手感は払拭出来なかったのが実感。
それよりも、今回の放送で一番印象に残ったのはコンサートプラスでの「没後20年・武満徹特集」でした。
武満徹が亡くなったのは1996年2月20日。もう20年経ったのか!という気持ちである。
放送で演奏されたのは「海へ ~アルト・フルートとギターのための~ 」と「そして、それが風であることを知った 」の2曲。
「海へ」はエマニュエル・パユのアルトフルートとクリスティアン・リヴェのギター、「そして、それが風であることを知った 」はエマニュエル・パユのフルート、川本 嘉子のビオラ、吉野 直子のハープという贅沢な顔合わせ。
武満徹の作品は時代的には現代音楽に区分されますが私自身、現代音楽という気持ちで聴くことはありません。何の違和感もなくスッと武満徹の世界に入っていくことが出来ます。
今回のフルートを中心にした作品。聴いていて何か遠くへ連れ去られそうな気持ちでした。武満徹の持つ鋭く美しい感性に耳を澄ますのみである。
私の好きな作品に 「系図-若い人たちのための音楽詩」があります。
今、この作品を無性にききたいのですが、以前デュトワ指揮NHK交響楽団による演奏をビデオテープで録画していたのだがテープが何処かへ行ってしまった。CDは小澤征爾が指揮したCDがあるのだが語りが英語である。やはり日本語での語りで聴きたいのだが現在CDがない。気長に待つしかない。
武満徹は晩年、オペラにも意欲を見せていたが、その早すぎる死で、武満徹のオペラは聴くことが出来ない。どんなオペラになっていただろうか?と「系図」を聴くと思いを馳せるものがあります。
さて今回放送された2作品。
NAXOSから発売されていた「日本作曲家選輯」シリーズから5枚目に登場して私はすぐに購入しました。フルートを中心にした作品が収録され「エア」も含まれています。
今も手に入るのかな?
また武満徹は多くの映画音楽も作曲しています。
黒澤明監督作品の「乱」の音楽も武満徹。
今、私の手元に映画「乱」の初公開時のパンプレットがあります。
その中で今は亡き映画評論家の淀川長治氏の手記があり、公開前に「乱」のラッシュを見た時の様子が書かれています。

>ラッシュとは御存知のように、まだこれから切ったりつないだるする、音楽もまだ入れていない。武満徹さんはバクダンの火薬の線の糸のような顔で見ていらっしゃった。

世界のクロサワと世界のタケミツ。この2人の2ショット写真は、まだ見たことありません。
どんな会話をしていたのでしょうか?凄い世界だったでしょうなあ!



1. そして、それが風であることを知った(フルート、ヴィオラとハープのための)
2. 雨の樹(3人の打楽器奏者のための)
3. 海へ(アルト・フルートとギターのための) I – The Night
4. – II – Moby Dick
5. – III – Cape Cod
6. ブライス(フルート、2台のハープ、マリンバと打楽器のための)
7. 巡り~イサム・ノグチの追憶に(フルート独奏のための)
8. ヴォイス(声)(フルート独奏のための)
9. エア(フルート独奏のための)
10. 雨の呪文(フルート、クラリネット、ハープ、ピアノとヴァイブラフォンのための)

ロバート・エイトケン(フルート)
ニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブル
[メンバー]
 ノーバート・クラフト(ギター)/エリカ・グッドマン(ハープ)/サンヤ・エン(ハープ)/ロビン・エンゲルマン(パーカッション)/ジョン・ワイヤー(パーカッション)/ボブ・ベッカー(パーカッション)/ラッセル・ハーテンバーガー(パーカッション)/ライアン・スコット(パーカッション)/デーヴィッド・スワン(ピアノ)/ホアキン・バルデペニャス(クラリネット)/スティーヴン・ダン(ヴィオラ)

2001年6~8月 カナダ、トロント、トロント芸術センターでの録音




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フィンランド放送交響楽団のシベリウス。

2015年12月05日 12時34分33秒 | 音楽
11月29日の日曜日にNHK・Eテレで、この秋、来日したフィンランド放送交響楽団の演奏会の放送がありました。
ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子さん。指揮は首席指揮者のハンヌ・リントゥ。
プログラムは当然ながら、オール・シベリウスプログラム。
それも交響詩「フィンランディア」、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番というシベリウス定番プログラム。
交響曲は、やはり第4番以降の作品を聴いてみたかったというのが私の本音。
それでも、それなりに楽しみました。
フィンランド出身の指揮者とフィンランドのオーケストラの組み合わせ。
先般のチェコフィルの来日公演の放送の時にもコメントしましたが、私自身、必ずしもお国ものにこだわる方ではありませんが、やはりフィンランドのオーケストラによるシベリウスの演奏。やはり空気の違いがあります。これはチェコフィルの「わが祖国」と同様、どうにもならないものがあります。
「フィンランディア」の中間部の「フィンランディア讃歌」の歌い方は、本当に気持ちがこもっていて、やはり他国のオーケストラの演奏との違いを見せてくれました。
そして素晴らしかったのはヴァイオリン協奏曲での諏訪内晶子さん。
諏訪内さんのヴァイオリン独奏の音色が、このフィンランドのオーケストラに溶け込んでいて、時には冷たく、そして時には熱く、このヴァイオリン協奏曲の魅力を最高に引き出してくれた演奏で本当に素晴らしかった。
特に、私の大好きな第2楽章の後半の盛り上がりは最高だった。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、私にとって特別な作品だけに、今回、録画した映像を手元に置くことが出来ることは本当に嬉しい。
アンコールでもシベリウスの作品が2曲、演奏されましたが、その中で「4つの伝説曲」より第4曲「レンミンカイネンの帰郷」が演奏されたのが、これまた嬉しかった。「4つの伝説曲」は今、私が一番、ハマっている作品。それにしても私の大好きな第1曲の「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」も聴いてみたかったなあ。

昨日、ネットで手配していたオッコ・カム指揮ラハティ響によるシベリウス交響曲全集の最新録音盤が届きました。
シベリウス生誕150年の記念の今年。
今年も、あとわずか。暮れまでシベリウス三昧になりそうです。





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チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の「わが祖国」(全曲)

2015年11月17日 12時56分28秒 | 音楽
このところ仕事でハードな毎日が続いていた。そして今日は、やっとこさの公休日。
疲れているのに寝てればいいのに、普通通りに目が覚める。しかたがないので?朝からCD.
久し振りにマーラーの交響曲第2番「復活」を聴く。
マーラーと言えば、どうしてもバーンスタインだが、PHILIPSの優秀な録音で聴いてみたくなったので、今日は小澤征爾指揮ボストン交響楽団による1986年の録音のCDを聴く。
やはり大編成のオーケストラとコーラスが一丸となる第5楽章のフィナーレは、ワ~と叫びたくなるくらい我を忘れるものがありますな。

さて昨晩も、早朝出勤が続いて疲れているのだから、さっさと寝ればいいのに、この15日夜、NHK・Eテレで放送されたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の放送の録画を見てしまった。
楽しみにしていたと言うこともありますが、疲れていても、音楽を聴いてみたいという気持ちがまだあるということは、私自身、まだ元気と言うことか?
さてチェコフィル。指揮はイルジー・ビエロフラーヴェク。プログラムはスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲である。
ところで私は昔からお国ものにこだわらない主義である。
ロシア音楽だったら絶対ロシアのオーケストラ、チェコの作曲家の作品だったら絶対チェコフィルなど言ったこだわりには、昔から背を向けている。
そんなものに、こだわっていたら視野が狭くなり、ぜっかくの素晴らしい演奏を聴き逃してしまうこともあり、また我が国のオーケストラ活動を無にしてしまうと思っています。
ただ、そんな私ですが、やはり、どうにもならないもの、どうしても超えることの出来ないもの、その国の人でなければ、どうしてもいけないものあると言うことも認めています。
今回の「わが祖国」全曲の演奏。チェコの指揮者、そしてチェコフィルによる、「わが祖国」の全曲演奏。
もう理屈ではない、技術云々を飛び越えた、脈々と流れてきた民族の血や歴史が、どんなに楽員が入れ替わってもオーケストラの伝統として、そして絶対にかけがえのないものとして楽員一人一人に伝わり、演奏として目の前で披露された時の素晴らしさ。
今回の「わが祖国」の演奏は、正にそれ。映像を見ていて楽員一人一人の表情から、この作品を演奏することの誇りすら感じさせるものがありました。
第1曲「高い城」の冒頭の2台のハープによるソロを聴いた瞬間、もう決まった!と感を強くする。
有名な第2曲「モルダウ」の美しさは何と言うべきなのだろうか!弦の美しさ!
第5曲「ターポル」や第6曲「プラニーク」は神がかり的演奏といっていいのでは。
アンコールもあり、びっくりする。
ドヴォルザークの「スラブ舞曲」作品72から第1。
これも凄かった。

さてさて、今回は女性奏者の皆さんの衣装が面白かった。
白をアピールした衣装。本当に斬新だった。多くの黒の燕尾服の男性奏者の中で、たいへんよく目立ち、この長い歴史を持つオーケストラに何か新しい風が吹き込んでいるよにすら感じさせるものがありました。
番組の最後に1959年、カレル・アンチェル指揮による初来日公演のお宝映像の放送もあり、たいへん貴重なものを見ることが出来ました。
私自身、ノイマン時代のチェコフィルの録音のCDはありますが、アンチェル指揮による録音は恥ずかしながら皆無。
アンチェル時代に踏みかまなければいけない時が来たようである。





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ベルリンフィルの次期首席指揮者&芸術監督決定!

2015年06月23日 16時11分36秒 | 音楽
サイモン・ラトルの後任のベルリンフィルハーモニー管弦楽団の次期首席指揮者&芸術監督が発表されました。
キリル・ペトレンコ。
1971年、当時のソ連のオムスク生れ。
2001年ウィーン国立歌劇場デビューを皮切りにコヴェントガーデン王立歌劇場,パリ・オペラ座,メトロポリタン歌劇場など世界の一流歌劇場に登場。
2002年、ベルリンのコーミッシェ・オーパーの音楽総監督、そして2013年にはバイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任。またバイロイト音楽祭にも登場して「ニーベルンクの指輪」を指揮。

今までの経歴を見ると、どうしてもオペラの指揮者のイメージが強く、かなり斬新な決定と言えるでしょう。
私自身、ベルリン生れのティーレマンを期待していたのですが・・・。
残念ながら録音も少なく、私自身どんな指揮者なのか、いま一つイメージが掴めていないので、全てはこれからでしょう。
現在のベルリンフィルからフルトヴェングラーの時代、そして1960年代のベーム指揮による録音で聴ける響きは完全に聴くことが出来なくなった。
ただ言えることはベルリンフィルはカラヤンの後、イタリア人、イギリス人指揮者が続き、そして今回はロシア人と、多国籍のグローバル化した王様オーケストラへと、ますます突き進んで行くのは間違いないでしょう。
それが時代の流れと言ってもしかたがないのかもしれませんが、やはり失ったものの大きさを強く感じてしまう。こんなことを思ってしまうのも単なる年寄りのたわごとなのかもしれません。
就任は2018年より。バイエルン州立歌劇場の音楽総監督とは兼務なのかな?気になります。
何はともわれ世界の楽壇の頂点に立つペトレンコの手腕に期待したいものです。




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