エキセントリックで右翼的な日蓮宗の一派の国柱会・宮沢賢治「雨ニモマケズ」のモデルがいた。
日蓮宗の人と思いきや、違う。
「花巻のトルストイ」と呼ばれたクリスチャンの、斎藤宗次郎なんですね。
宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったらしい。
しかも、この斎藤宗次郎、「性、狷介」のために弟子が寄り付かなくなった内村鑑三に最後まで信頼され、最期まで看取って、内村の臨終に立ち会った。
こちら(ウィキの斎藤宗次郎)
以下、その斎藤宗次郎を謳った、賢治の詩
「雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして怒らず
野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
苦にもされず
そういう者に私はなりたい」
『愛の鬼才』 西村久蔵 みたいですね。