見合い結婚と恋愛結婚の割合推移。
1967年くらいに、逆転して、恋愛結婚の時代に。
ここ10年のグラフはないが、10年前の2015年と大差ないだろう。
しかし。
最近は、マッチングアプリ・サービスでの結婚も増えている。それももし「見合い」に入れると、少子化のうねりを受けて(結婚相手を探す焦りからマッチング利用は増えている)、「見合い」割合は上昇に転じるのではないか。
家庭連合の合同結婚式が攻撃されたのも、この「恋愛結婚至上主義」の時代の流れから。
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久しぶりに内田樹の本を読んでいて、相変わらずのウチダ節「結婚はリスクヘッジ」論を拝読している。
内田先生もお見合い結婚には価値を認めているはずだ。
旅行とか病気とか老後を考えると、「惚れた相手と結婚する」恋愛結婚モデルには限界があって、「どんな人とでも長く暮らしていける」お見合い的結婚モデルに軍配が上がる。
私は恋愛結婚ですが、私の子どもたちには、恋愛でもなくてもいいから、結婚だけはしてほしいと思う。
凡百のビジネス書の中で、白眉。
もう11年前の本ですが、とても良く覚えている。
感動したので、手紙を書いて著者の赤羽さんに会いに行ったくらい。
経営730っていう、平野洋一郎さんがやっているClubhouseのグループでも、この赤羽さんは有名でした。
このゼロ秒思考で推薦されている、「A4ウラ紙を横にしてどんどん考えを書いていく」ってのは、今も、毎日、私は実践しています。
小乗(上座部)仏教徒の比較から。
小乗→大乗の流れ(2000年前)は、ユダヤ教→キリスト教の流れにそっくりなんですね。時期的にも。
小乗仏教と大乗仏教の違いは、以下の4点にまとめられる。
1 小乗:釈迦(人間)
→大乗:ブッダ(神格化)
→大乗:ブッダ(神格化)
2 小乗:智慧による悟り・自利
→大乗:慈悲の実践・利他
→大乗:慈悲の実践・利他
3 小乗:出家尊重、男尊女卑的
→大乗:全ての人間に仏性がある、女性尊重
4 小乗:限定的な世界
→大乗:宇宙的な広がり
→大乗:宇宙的な広がり
最近、宮沢賢治の大きさに驚いている。
これだけ、研究されている人もあまり多くない。
単なる童話作家ではない。
単なる詩人ではない。
神がかり的なところもあったらしく、故郷の花巻では「キツネ憑き」呼ばわりする人もいるそうな。
「私の中の宮沢賢治」をしっかり持ちたい。
そのためにはもっと賢治作品をまずは読まないと、、、
宮沢賢治は、右翼的な日蓮宗派の国柱会の信者。
でも、17,18歳のころは、浄土真宗やキリスト教からも学んでいた。
これは、彼が「真理を求める貪欲さと柔軟さを持っていたことを示すエピソード」。
と、瀬上正人さん(整形外科医でもあり、スウェーデンボルグ研究の第一人者ででもある)が書いている。
そう。
多様な宗教から学ばんとする貪欲な精神は、「真理」を求める旅でもある。
願わくば、この貪欲さ、真摯さ、謙虚さが、鈴木エイトさんにあれば。
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ちなみに、ガンディ好きな私は、ガンディがインテグリティみたいなニュアンスで「サティヤーグラハ」(「真理の把握」という意味のサンスクリット語)と言うのを知っていた。
サティヤーグラハを追求したガンディを尊敬している。一生、尊敬し続ける。
ただ、そのサティヤ(真理)が、オウム真理教のあの「サティアン」という施設の名前と同根だと最近に知って、微妙な気持ちになってます、、、
最近、改めて、以下の言葉が、私に重くのしかかっている。
最も偉大なる天才とは、最も他者のお陰を被っている人である
The greatest genius is the most indebted man
ラルフ・エマソン
こちら(過去記事)
要するに、ニュートンらが言う こちら 「巨人の肩に乗る」ってこと。
多くの偉人の肩に乗った人が、最も偉大だってこと。多くの偉人の本を読んだ人が、最も偉大。多くの尊敬する人、多くのロールモデルを持つ人、多くの先人の叡智を身に着けた人が、最も偉大、ってこと。
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なんでこの言葉を考えているかっていうと、仕事ばかりで、いい本を読めていないというストレス・コンプレックスがあるからかなぁ。
偉大な先人の肩から遠ざかっているからかなぁ。
いい本を読み、いい偉人に出会い、いい巨人の肩に乗る。
それが、向上心ある者の生き方だろう。
仕事関連で、Twitter/Xを見る。習慣になって1年弱くらいだろうか。
ようやく言語化できてきた。
改めて思う、Xというのは、「マウンティング道場」みたいですね。
または、「寸鉄人を刺す」選手権。
如何に短い言葉で、如何に刺さる言葉を吐き、如何にバズるか。
バズり選手権というか。
バズること、宣伝すること、広めることがどうしても先決になってしまい、議論を深めたり、対話したりする場所・フォーラムではない。
要するに、思考を深める場所ではない。
思索を紡ぐ場所でもない。
んなことは、分かり切っていたのかもしれませんが、それでも、ほんとうに腹落ちするためには、時間を要する。
離れるに如くはなし。
エキセントリックで右翼的な日蓮宗の一派の国柱会・宮沢賢治「雨ニモマケズ」のモデルがいた。
日蓮宗の人と思いきや、違う。
「花巻のトルストイ」と呼ばれたクリスチャンの、斎藤宗次郎なんですね。
宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったらしい。
しかも、この斎藤宗次郎、「性、狷介」のために弟子が寄り付かなくなった内村鑑三に最後まで信頼され、最期まで看取って、内村の臨終に立ち会った。
こちら(ウィキの斎藤宗次郎)
以下、その斎藤宗次郎を謳った、賢治の詩
「雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして怒らず
野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
苦にもされず
そういう者に私はなりたい」
『愛の鬼才』 西村久蔵 みたいですね。
次男が「天蓋付きベッドってなあに?」と質問。何かの本で読んだらしい。
こういうのは、ググって画像を見せるのが、教育的に、一番いい。
そこでググると、、、
1万円以下で買えるんですね。数千円で欧州のお姫様に!!
家庭連合は、日本法人創設以来60年、霊感商法や刑事事件で、一切の責任を負っていない。詐欺強迫(脅迫)で意思表示が取り消されたことも一件もない。
このことをもって、反家庭連合諸氏(鈴木エイトさんとか)は、「家庭連合が信者に責任をなすりつけてきた」と攻撃する。
しかし。
家庭連合としては、本体(教団)に法的な責任がない以上、それを主張してきて、それが裁判所にまっとうに認められただけのこと。
それを「なすりつけ」と攻撃されるに値するであろうか。法的に責任がなければ、法的に責任がないと主張するのは当たり前のこと。
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返す刀で攻撃すれば、「なすりつけ」と家庭連合を攻撃する反家庭連合諸氏も、拉致監禁強制改宗(ディプログラミング)の責任を、脱会屋ではなく、霊感弁連ではなく、親に「なすりつけて」きた。
その「なすりつけ」は、50年、成功してきた。1966年から2015年。
その「なすりつけ」は、2015年の後藤徹さんの最高裁勝利で、ようやく、終了した。端的には、拉致監禁が終了した。
その50 年の暗黒の歴史は、『日本宗教の闇』(室生忠、絶版)に活写されている。
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ただ、2年前の安倍暗殺事件から、また家庭連合に対する攻撃が始まり、郷路征記弁護士の「親による監禁は正当行為」というトンデモ理論を迂闊に信じた信者の親が、信者を監禁する事件も、復活している(2021年 今田孝支事件)。
中国の儒教と共産主義には、少し関係がありそうだ。
儒教は宗教とは違う。孔子が論語で「怪力乱神を語らず」「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」などと言ったことから、儒教は宗教ではない。
その、「宗教に対する距離感(の遠さ)」が、2500年経って、中国が共産主義を受け入れる素地になったといえる。
共産主義は、宗教を「アヘン」として遠ざける。唯物論。理論で世の中を見ようとする。「見えない」もの(宗教が代表格)に価値を認めない。
中国は、儒教の国。怪力乱神を語らない国。
そのバックグランドが、中国をして、共産主義を受け入れせしめた、といえないだろうか。
禅の大家・鈴木大拙が、スウェーデンボルグを訳している。
スウェーデンボルグは、「北方のブッダ」「北欧のアリストテレス」と呼ばれ、宗教界のダ・ヴィンチみたいな? 半分アッチの世界に行っちゃった(失礼)ような人。
スウェーデンボルグに影響を受けた人は、
- ヘレン・ケラー
- ゲーテ
- バルザック
- ドストエフスキー
- ヴィクトル・ユーゴー
- エドガー・アラン・ポー
- エマソン
- 新井奥邃
など。ここに鈴木大拙も加わるのか。
こういう「知のバトン」をしっかり受け取らないといけないですね。
石原伸晃さんは有望に見えたけど、メインストリームから突然消えた。
要するに、干された。
幹事長なのに、総裁の谷垣さんを支えずに、総裁選に出たから。
これが決定的な理由だそうです。
政界の人間模様が、勉強になりました。