幸せの青い星☆

この世に生まれる前に星になった息子光希(こうき)。光希が導いてくれた3つの命☆
青い星に守れられて暮らす家族日記です。

事件です

2007-04-13 | 日々のこと
先週末、大変な目に会いました

母たちが手伝いに来てくれてたので家具探しに行ったのですが、いいパソコンデスクが見つからず、一度自宅に戻りました。夕方『やっぱお母さん達がいるうちに見つけよう!』と、すぐ帰るつもりで子どもたちを預けて、旦那さんと二人で出かけました。

出かけなければあんな目に会うこともなかったのに…

お店の駐車場に入る時、後ろでバイクをふかすすごい音が…。旦那さんの曲がり方が気に入らなかったのか、追い抜きざまににらみつけられました。怖かったけど、駐車場に入ってホッとした時です。真正面から、バイクが突っ込んできました。あと数メートルのところで止まりましたが、私は半泣きでした。

怖いお兄さんが降りてきて、『なんや!?今の!』って感じで、ガラスごしに『謝れ!降りてこい!』の連発。窓を開けずに無視する旦那さん。

相手はキレまくって窓ガラスをたたき始めたので、ようやく旦那さんが窓を開けました。上着まで脱いで、『お前降りろや』と言われましたが、旦那さんは冷静に『降りてどうするつもりか』って言いました。そしたら『わかるやろ』とニヤニヤしながら威嚇してきました。旦那さんも最初は相手にしてなかったけど、ついに胸ぐらをつかまれ、とりあえず謝りました。でも『謝る態度じゃなかろうもん。降りてこいや。お前の住所から全部調べてどこまでも追いまわすけんね。俺を一般人と思うなよ』とまで言い始めました。

その時ちょうど腕に刺青が見えて、私は血の気がひきました。『絶対殴られる』と思いました。女が出る幕じゃないのはわかってたけど、旦那さんの殴られる姿は見たくなくて、思わず『女の私が出れば少しは引いてくれるかも』と思って、車を降りて旦那さんとその男の間に入って『子どもが待ってるので、もうやめてください。私が謝りますから』と言いました。今思えば恐ろしいことをしましたが…。言うまでもなく無駄で、旦那さんは、車から引きずり出されそうな勢いで胸ぐらをつかまれ、しまいにはTシャツやぶれちゃいました。お店の人が間に入っても相手の怒りはおさまらず、誰が呼んだかわからないですが、警察が来てやっと離れてくれました。

結局私達も取り調べを受けるはめに…。私はもう『追いまわす』『一般人じゃない』という言葉を真に受けてパニック状態で、『だって、あの人おいかけるとか一般人じゃないとかって言ってましたよ。子どもがいるので、なんとかしてください』って半べそかいてました

私は警察に行く間も『追いかけ回されるの怖いから早くナンバーかえようよ』とか『通勤中刺されたらどうすんの』とか泣きながら言ってたけど、旦那さんは冷静で『ああいううのは口だけだから大丈夫』って言ってました。『何度もからまれたことあるけど、殴られたことはない』って。でも、今回の人はしつこかったらしいです警察こなかったらあの人どうするつもりだったんだろう。あそこまで粘ると、逆に引くに引けない気もするし…。

もう関わりたくないので、何かまた事件を起こしたときに捕まえられるように被害届は出して、告訴はしないという形をとりました。

相手は、33歳無職。警察に捕まって親も呼ばれて、ようやく反省したようで、謝っていたということです。『一般人と思うなよ』ってあんた、無職じゃん!と今更ながら腹がたちますわざわざお店の駐車場に入ってまでいちゃもんつけて、よっぽど暇なんだなぁ。結局帰りは9時前になり、パソコンデスクは買えずせっかくの貴重な週末の時間を返してほしいです。

今冷静に思えば、刺青じゃなくてタトゥーだったし、やくざがバイクっていうのも変だし、数メートルも空けて止まる度胸しかない男だったし(本当にやくざなら寸止めできるはずっ)、私パ二くりすぎでした。でも、私もあそこまでからまれたのは初めてで、本当に怖かったんですでも引っ越すと、事故にあったり、何か良くないことがおきるっていうし、これでもう悪いことは起こらないといいな

新居より

2007-04-11 | 日々のこと
なんだか毎日バタバタで更新が滞ってしまいました。引越の荷物の整理というより、日に日に我が家の双子が手がかかるようになって…、家事もろくにできず、いつまでたっても引越しの片付けができない状態です。



新居は、10階立ての7階。オーシャンビューが素敵で、今日も双子が一緒に昼寝したすきに洗濯を干しながら癒されました夜は夜で夜景がこれまた素敵テレビで出てたんですが、ココは川と海の合流地点なので、潮干狩りもできるそうです。

マンションが何十棟もある場所なのでご近所付き合いが不安でしたが、家族向けマンションで子どもが多くて、お母さんたちも気さくに挨拶してくれて、ホッとしましたしかもマンション内に公園がいくつもあって、放課後の子どもたちがキャッチボールしたり、ドッジボールしたり、なわとびしたり…健康的やっぱ子どもはこうでなくっちゃ横浜では近くにそういう場所がなかったせいか、子どもが外で遊んでてもDSやってる姿しか見たことなかったので…

そういえば、素敵な出会いがありました。まずはお隣さん。片方は私達と1日違いで引越をされてきて、お互い引越したばかりということもあって、うまくやっていけそうです。もう片方はなんと奥さんが保育士さんをしてる方でした。とっても頼もしいお手伝いに来てくれてたお義母さまが『いい出会いがあるわね。あなたの大変さを神様が見てくださってたのよ』って言ってくれました。

その数日後、双子用ベビーカーで散歩してたら、自転車のおばさんに『頑張ってるわね』って通りすがりに言われました。帰りにまたそのおばさんに会いました。話すとこの地区の民生委員の方で、近所で赤ちゃん教室をしてるということで、誘っていただきました。赤ちゃん教室探してたから良かったさらに自宅の電話番号まで教えてくれて、『孫は6人いるから2人預かるのも平気。疲れたらいつでも連絡して』と言ってもらいました。さすがにいきなりお願いはできないけど、そういう人がいるっていうだけでとっても心強く思えました

歩いて10分のところにショッピングモールがあって、赤ちゃん本舗と大きいダイエーとあといろいろお店が入ってます。なんだかんだで毎日歩いて行って、プチウィンドウショッピングしてます。こうせいが最近プチ人見知り&抱っこ病なので、双子用でも片方には結局バッグを乗せてますが…。昨日も近所の子どもに話しかけられて泣いちゃいました。子ども大好きだったのになぁ。やっぱり人見知りかしら

まだお友達もできてないし、不安もたくさんあるけど、なにはともあれなんだかいいところです

最後の横浜

2007-04-06 | 双子との日々
ご無沙汰してます。3月31日に福岡の新居に引越して、1週間。まだまだバタバタですが、なんとか生活できるほどになりました。

横浜での最後の1週間はバタバタで、そしてとても素敵な1週間でした

まず、母親学級で一緒だった6人が、急だったにも関わらず集まってくれて、お別れ会をしてくれました。しかも、おそろいの靴下&赤ちゃん用CDのプレゼントもいただきました。



そして、長月の会。お誕生日もケーキでお祝いしてもらったのに、最後の最後にまたケーキでお祝いしてもらいました夕方の帰り道、ちょっと肌寒い坂道をみんなで一緒に帰ってたら、なんだか寂しさがこみ上げて、センチメンタルな気分になりました長月の会がなかったら、私はきっと横浜での双子育児を乗り越えることができなかったと思います。たぶん根をあげて実家に帰ってたはず。長月の会のみんなのパワフルさや明るさが私を助けてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいですありがとう

お引越の日は、業者にお任せパックにしました。前日に梱包のおばちゃんが来てくれたのですが、これがまた超適当。最後に捨てようと思って、新聞紙の束と一緒にいらなくなった本を紐で十字にしばっておいてたんです。なんとおばちゃんったら引越しの荷物に見事に入れちゃいました。気づいたときにはもうガムテープが張られた後で、他にも、カラダスキャン(体重計)の空き箱も荷物の中に…。本体はしっかり別のダンボールに…。もう『ありえない!』と思いましたが、午前中だけで作業をしなければならない上に、赤の他人のうちの引越しですもんね。仕方ないか。でも、それを職業にしている以上、確認するなりして、もう少し気を遣ってほしかったです翌日は、荷物の運び出し。前日のおばちゃんたちに比べておっちゃんたちはプロのワザを見せてくれました。ただのダンボールがいろんな形に変化、変化。蛍光灯を入れるのに、6角形に変化したときは思わず拍手しちゃいました。




子どもたちは、梱包のおばちゃんだろうが、運び出しのおっちゃんだろうが、お客さん大好きなので、1日中ニコニコしっぱなしでしたでも、夜になると寝てくれなかったり、そうかと思ったらバタッと寝て夜中の3時に起きて2時間ほど寝ずに遊んだり、変でした子どもは敏感なので私たち以上に疲れてたんだと思います。

最後の日は仲良しのゴン太先生夫婦のお宅に泊めてもらいましたゴン太先生お手製の最後の晩餐はとってもおいしくて、私一人でかなりの量を食べてしまいました。レシピも聞いてしまったほどです。夜はうちの子たちが先にお風呂に入らせてもらったので、ゴン太先生のお子ちゃまのねんねが遅くなってしまったにも関わらず、嫌な顔ひとつせず、思いっきりもてなしてもらいました。このお返しは福岡でね子どもが寝てからは、旦那たちは銭湯、ゴン太先生とビールをいただきながら、女同士盛り上がりましたこれが最後だとは思えないくらい普通で、逆に転勤してしまうのが、嘘なんじゃないかと思いました。

翌日の旅立ちの日は、大雨。羽田までタクシーで行くことにしました。ゴン太先生の旦那様であり、うちの旦那さんの同期のEsperが先に会社に行くので、最後のお別れをしました。寂しかったですウルッときちゃったけど、なぜかゴン太先生が泣いてしまい、私が慰めました私たちは、大雨のせいでタクシーがつかまらず、バタバタと家を出たので、ゴン太先生とゆっくりお別れができませんでした。でも、これで良かったのかも。ゆっくりお別れしてしまってたら、きっと号泣してただろうから。横浜から少しずつ離れていくタクシーの中でしんみり泣いちゃいました。

横浜での2年間。泣いたり笑ったり、悲しいことも嬉しいこともいろんなことがあったけど、私たちに夫婦にとって、大切な思い出があり、大切な人たちのいる大切な場所になりましたまた絶対カンバックします

横浜での双子育児6ヶ月、何度も実家に帰ろうと思ったし、何度も子どもたちから逃げ出したくなりました。でもここまで夫婦二人で頑張って元気に育ってられたことは、私の人生の中でいちばん頑張ったって誇れることですもちろんいろんな人の助けがあったからここまでこれたのだと思います。それを忘れないで新しい土地でも、家族4人で頑張っていこうと思います。

ありがとう、横浜



新居についてはまた近々更新しますね。