吉水神社から次は徒歩数分で東南院へ。
こちらも大峯山持護院となります。
ここは約5年振りの参拝です。
【東南院】
<2012年5月26日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/7bd181905af87a6d3573b968a20257df
所在地:奈良県吉野町吉野山2416
宗派:金峯山修験本宗別格本山
御本尊:役行者
創建:7世紀後半
開基:役行者
札所:役行者霊蹟札所
【山門】
御本尊御開帳の案内板があったけど、
よく見たら金峯山寺やった。(^^;
【多宝塔】
東南院の見所は何と言ってもこの多宝塔です。
というか、多宝塔しか無いと言っても過言では無い。
もし多宝塔が無ければ単なる旅館です。(^^;
やっぱり美しい塔です。(^^
【御朱印】
御朱印をいただいてから金峯山寺へ。
<金峯山寺>
<2012年5月26日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/35ff174175ce2571beb459219a71ee00
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
宗派:金峯山修験本宗
御本尊:蔵王権現3躯(重要文化財)
創建:7世紀後半
開基:(伝)役小角
札所:役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道、大和四神めぐり、紀伊山地三霊場会
【蔵王堂】
金峯山寺の桜もやはりピークは過ぎていましたね。
それでも可憐な桜に渋い蔵王堂はよく似合う。(^^
【観音堂】
【鐘楼堂】
【南朝妙法殿】
金峯山寺に訪れても下まで降りて南朝妙法殿まで行ったことは無い。
歩き疲れていることもあるけど、
あそこまで歩くと結構遠くてしんどそうに感じるのよね。(^^;
それに金峯山寺とはちょっと異質の雰囲気も感じるし。
でも今回は脳天さんに行くので意を決して行く事にした。(大袈裟)
本日のベストショット。(^^
【不動窟】
【南朝妙法殿】
参拝した時は何の建物で金峯山寺が絡んでいるのか、
よく知らなかったのでちょっと調べてみた。
ここは吉野朝宮という後醍醐天皇の皇居だった場所で、
元は実城寺があった場所。
後醍醐天皇はこの寺を金輪王寺と名前を変え、
吉野朝宮として仮の皇居として京都に戻るのを目指した。
しかしそれも叶わず失意の内に崩御。
徳川家康は吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、
寺号を没収し金輪王寺は実城寺に戻され明治時代には廃寺となった。
現在その跡地は公園および金峯山寺の妙法殿があり、
没収された寺号は吉野勢力とともに日光に移され、
金をとって輪王寺となった。
【仏舎利宝殿】
仏舎利宝殿は案内板によると下記の通り。
昭和42年、金峯山修験本宗初代管長五條覚澄大僧正が、
インドに渡りガンジー首相より釈尊の御真骨を拝戴し、
この仏舎利宝殿を建立して御奉安いたしました。
修験道の御開祖役行者は、釈迦牟尼如来の応現身であります
金剛蔵王大権現を金峯山上で御感得。
その金剛蔵王大権現御出現の地、山上ヶ岳の湧出岩で採った聖火と、
比叡山延暦寺より奉迎した不滅の法燈を御宝前にかかげて、
仏舎利不滅の法燈として釈尊の遺法を伝えております。
【御朱印】
こちらも大峯山持護院となります。
ここは約5年振りの参拝です。
【東南院】
<2012年5月26日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/7bd181905af87a6d3573b968a20257df
所在地:奈良県吉野町吉野山2416
宗派:金峯山修験本宗別格本山
御本尊:役行者
創建:7世紀後半
開基:役行者
札所:役行者霊蹟札所
【山門】
御本尊御開帳の案内板があったけど、
よく見たら金峯山寺やった。(^^;
【多宝塔】
東南院の見所は何と言ってもこの多宝塔です。
というか、多宝塔しか無いと言っても過言では無い。
もし多宝塔が無ければ単なる旅館です。(^^;
やっぱり美しい塔です。(^^
【御朱印】
御朱印をいただいてから金峯山寺へ。
<金峯山寺>
<2012年5月26日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/35ff174175ce2571beb459219a71ee00
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
宗派:金峯山修験本宗
御本尊:蔵王権現3躯(重要文化財)
創建:7世紀後半
開基:(伝)役小角
札所:役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道、大和四神めぐり、紀伊山地三霊場会
【蔵王堂】
金峯山寺の桜もやはりピークは過ぎていましたね。
それでも可憐な桜に渋い蔵王堂はよく似合う。(^^
【観音堂】
【鐘楼堂】
【南朝妙法殿】
金峯山寺に訪れても下まで降りて南朝妙法殿まで行ったことは無い。
歩き疲れていることもあるけど、
あそこまで歩くと結構遠くてしんどそうに感じるのよね。(^^;
それに金峯山寺とはちょっと異質の雰囲気も感じるし。
でも今回は脳天さんに行くので意を決して行く事にした。(大袈裟)
本日のベストショット。(^^
【不動窟】
【南朝妙法殿】
参拝した時は何の建物で金峯山寺が絡んでいるのか、
よく知らなかったのでちょっと調べてみた。
ここは吉野朝宮という後醍醐天皇の皇居だった場所で、
元は実城寺があった場所。
後醍醐天皇はこの寺を金輪王寺と名前を変え、
吉野朝宮として仮の皇居として京都に戻るのを目指した。
しかしそれも叶わず失意の内に崩御。
徳川家康は吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、
寺号を没収し金輪王寺は実城寺に戻され明治時代には廃寺となった。
現在その跡地は公園および金峯山寺の妙法殿があり、
没収された寺号は吉野勢力とともに日光に移され、
金をとって輪王寺となった。
【仏舎利宝殿】
仏舎利宝殿は案内板によると下記の通り。
昭和42年、金峯山修験本宗初代管長五條覚澄大僧正が、
インドに渡りガンジー首相より釈尊の御真骨を拝戴し、
この仏舎利宝殿を建立して御奉安いたしました。
修験道の御開祖役行者は、釈迦牟尼如来の応現身であります
金剛蔵王大権現を金峯山上で御感得。
その金剛蔵王大権現御出現の地、山上ヶ岳の湧出岩で採った聖火と、
比叡山延暦寺より奉迎した不滅の法燈を御宝前にかかげて、
仏舎利不滅の法燈として釈尊の遺法を伝えております。
【御朱印】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます